TA EIS HEAUTON

自省録。
自分自身という
最も手強い敵を相手に。

二人。

2008年06月27日 | フラグメント。
 表現したくても、表現できない時がある。時が来る。外に向かえば、途端に素直でなくなる。うまく表現しようだとか、分かってもらおうだとか、格好を付けてしまうからなんだろう。
 言葉に出すと何とかなるのに、言葉として書き出すと、途端に追いつかなくなる。録音機でも持ち歩いていればいいのかもしれないが、口に出そうとすると、今度は、頭の中の言葉が口を付いて出るよりも早く流れていってしまう。そうなれば、もう表現しようがないし、表現することをやめる。どだい、やめるともなれば、そのうち表現したくなるだろう。ぐつぐつと表現の欲求が燻っている限りは、ペンを放り出してしまった方が良い。ろくなものは表現出来まい。
 かくして私はペンを机に置く。
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 世の中には不平不満がごまんとあるが、それを聞く身になれば、いたたまれない気持ちになる。世の中はそんなに捨てたもんじゃない気さえしてくる。そうして、世の中をどれどれと眺めてみる。そら見ろ、そんなに捨てたもんじゃない。結局、嫌なことも好きなことも、手を繋いで並んでいやがるのだ。それをこっちの手は嫌だの、こっちの手が良いだのと、訳のわからぬ減らず口を叩くもんだから、嫌なことしか見えなくなったり、好きなことしか見えなくなって、世の中はあっちに行ったりこっちに行ったりしてしまう。
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 人一人の世の中なんて、狭いもんだ。そんな狭い中で色んな悲喜劇が繰り返されているんだから、あっちは嫌だのこっちが良いだのつべこべ言わずに、それなりにうまくやっていく方法を考えるしかあるまい。一人で十も二十も苦労や悲しみも背負ってる訳でもあるまいよ。それを支えてくれるもんもありゃあ、蹴落とそうとする奴もいやがらあ。要はてめえが自分でぶれてるもんだから回りもぶれてくるのさ。あっちに嫌な顔をすれば、あっちだって嫌な顔をするだろう。こっちに良い顔すればこっちは良い顔をするだろう。でも、それを傍から見てる連中からすれば、そんなてめえの顔なんざ二十面相に違いねえ。信用する気にもならんだろう。だったら、嫌な奴を増やすよりも、嫌な奴と良い関係を作ろうとする方がよっぽど居心地が良いだろう。自分だけ居心地の良い環境だなんて甘ったれたことを言うのは調子が良過ぎるぜ?ちったぁ、てめえもてめえで我慢しながら、酸いも甘いも、両のお手手で繋いでいることを忘れずにいることさ。