TA EIS HEAUTON

自省録。
自分自身という
最も手強い敵を相手に。

メモ2

2012年02月29日 | フラグメント。


 革命という言葉が多少虚しく聞こえるようになった時代に、人間を、世間を、社会を良くしようとするならば、急進的行動はもはや最適ではない。なぜなら、彼らは社会の少数派であり、また、行動を共にせんとする意気込みはもはや不安をともなうものとなっているからである。行動派の唯一の強み、すなわち自己の信念という妄念を抱かせる依存的存在が絶対的に不足しており、それがために、行動派自体の自信が揺らぎ、それでも行動を起こそうとすればするほど、その行動は一挙に悲壮感を強める。ひいては、社会にとって迷惑極まりないものに擦り替わってくる。ここにきて、行動派の目指した目的は、目的の対象物たる社会そのものによって転覆させられるという悲しい結末を迎えるのである。


メモ

2012年02月26日 | フラグメント。


 良い世の中を創ろうとすると、自然、自らの良しとする人間像を他人に求め、世の中に求め、社会全体に実践を求めようとしてしまう。やれ平和だと言って、やれ平等だと言って、私の造った箱の中に、人を、社会を押し込もうとしてしまう。ところが人はそうはいかない、社会もそうはいかない。それに同じく平和だ平等だと言っている奴ですら、私の箱には入ってくれはしないのである。そうした段階に至って、ようやく、孤独とかいう部屋を建設し始めるのである。意気揚々と社会全体を変革せんとした頃は、仲間でない者も仲間と思っていたはずであるのに、世間の不思議に、人のさまざまであることに気づいた途端、急に狭い一室に小さくなっていくのである。
 その辺りになると、自分に原因を求める者と、他人に世間に原因を求める者に別れ、また別の道として絶望だとか諦念だとか別の道へと至る者も現れてくる。
 この第一の道を歩む者は行動派を軽視して論理でどうこう考える人である。臆病を知る人である。慎重な人であり、矛盾を嫌う人であり、そのくせ行動派を軽視しがちな特徴を持つが故に、自身の自己矛盾に苛まれる頭痛の持ち主であり、胃痛の持ち主である。彼らは精神を病むが、その精神は実に強靭で粘り強い。強さを知りながら弱さに生きる人である。生きる孤独者である。
 第二の道を行く者は、世間をどうしても自分の論理に押し込まんがために、しばしば革命的傾向、暴力的傾向を帯びてくる。時に穏健な行動派が在ったとしても、急進派という津波に飲み込まれてしまう。だからこの道の主権は急進的行動派にある。彼らは命を惜しまない。そして命を惜しむ者を軽視するが故に、自らの目的の弊害を除去しようと努める。しかし、それが目的遂行の手段と堕している矛盾にはなかなか気づかない。その原因のひとつは、彼らには仲間がいるからである。信念を、目的を、共用する仲間を持つからである。