夏休みに入るとどーしても気になることがある。
長期休暇の過し方がわったく分かんねぇ。笑
中学くらいからバスケなんかでリアルな長期の休みを過したことがないから、何気に今年が始めて、リアル夏休みだ。
と、言っても研究をするから休みでもないけどね。苦笑
一通り仏語の文法はクリアしたんで、
朝方に仏語、午前からまたは部活後から研究というサイクル。
あ、部活あるんだった。苦笑
ブログの更新がなかなかできないんだけど、
やってないというか、
何だか文章がまとまらないというのが大きい。
一応ページを開いて更新しようとしても、まとまらない。
僕は文章構成を考えるよりも先に、書きながら文章が作られるみたいなタイプ(?)なんで、一度手が止まるとなかなか先に進まない。以前は、読書ばかりしていたし、日常の中で自分の思考を活字にしながら生活していたから、ブログにするときなんかはすんなり書けた気がするんだけど、ここ4ヶ月くらいはタバコを吸うときくらいしかゆっくりしてないから、なかなか自分の思考の整理みたいのができてない。
自分の部屋の本棚と同じように、整然と置かれた書物とはウラハラにそれぞれの書物が統一された思想じゃないのと同じように、一見整然としていているようで乱雑なような不統一の状態になってる。
先週くらいに、考えるということ自体について更新しようとしてたのに、途中で思考がストップしてしまって、何も浮かばなくなった。最近は、自分の日記帳に何も書いてないのも何か影響しているような気がする。
自分から言葉が失われていくというのは本当に怖い。
研究書ばかり読みあさっている僕の思考回路は、創造性なんかよりも構造化してる機械と同じで、合理主義のような頭になっているのが自分で分かる。
夏休みは、少なくとも時間があるから、勉強の途中や、読書の日みたいのを作ってやっぱり読んでいこうと思う。読みたい本は本当に沢山あるから。
自分の生活の中で芽生える不安、虚無、不確かな希望は、その生活の喧騒の中で端っこに追いやられて、いつのまにか収束している。掃除をしない部屋の隅のゴミがなかなかとれにくくなるようにして、僕の中に、そうした絶望への種が埋め込まれ、はびこり、きっとこの喧騒を抜けた頃にどうしようもなくなっているのだろう。
以前、「人間としてよりヒトとして生きたい」ということと、その発言の修正とについてブログにしたことがあったけど、やっぱり僕はヒトだけど、人間なわけで、生活の中の自分、人間の中でのヒトである自分をもっと見つめなくちゃいけない。
僕は、やっぱり生きている。
まだ、死んじゃいないんだ。
長期休暇の過し方がわったく分かんねぇ。笑
中学くらいからバスケなんかでリアルな長期の休みを過したことがないから、何気に今年が始めて、リアル夏休みだ。
と、言っても研究をするから休みでもないけどね。苦笑
一通り仏語の文法はクリアしたんで、
朝方に仏語、午前からまたは部活後から研究というサイクル。
あ、部活あるんだった。苦笑
ブログの更新がなかなかできないんだけど、
やってないというか、
何だか文章がまとまらないというのが大きい。
一応ページを開いて更新しようとしても、まとまらない。
僕は文章構成を考えるよりも先に、書きながら文章が作られるみたいなタイプ(?)なんで、一度手が止まるとなかなか先に進まない。以前は、読書ばかりしていたし、日常の中で自分の思考を活字にしながら生活していたから、ブログにするときなんかはすんなり書けた気がするんだけど、ここ4ヶ月くらいはタバコを吸うときくらいしかゆっくりしてないから、なかなか自分の思考の整理みたいのができてない。
自分の部屋の本棚と同じように、整然と置かれた書物とはウラハラにそれぞれの書物が統一された思想じゃないのと同じように、一見整然としていているようで乱雑なような不統一の状態になってる。
先週くらいに、考えるということ自体について更新しようとしてたのに、途中で思考がストップしてしまって、何も浮かばなくなった。最近は、自分の日記帳に何も書いてないのも何か影響しているような気がする。
自分から言葉が失われていくというのは本当に怖い。
研究書ばかり読みあさっている僕の思考回路は、創造性なんかよりも構造化してる機械と同じで、合理主義のような頭になっているのが自分で分かる。
夏休みは、少なくとも時間があるから、勉強の途中や、読書の日みたいのを作ってやっぱり読んでいこうと思う。読みたい本は本当に沢山あるから。
自分の生活の中で芽生える不安、虚無、不確かな希望は、その生活の喧騒の中で端っこに追いやられて、いつのまにか収束している。掃除をしない部屋の隅のゴミがなかなかとれにくくなるようにして、僕の中に、そうした絶望への種が埋め込まれ、はびこり、きっとこの喧騒を抜けた頃にどうしようもなくなっているのだろう。
以前、「人間としてよりヒトとして生きたい」ということと、その発言の修正とについてブログにしたことがあったけど、やっぱり僕はヒトだけど、人間なわけで、生活の中の自分、人間の中でのヒトである自分をもっと見つめなくちゃいけない。
僕は、やっぱり生きている。
まだ、死んじゃいないんだ。