TA EIS HEAUTON

自省録。
自分自身という
最も手強い敵を相手に。

本棚のこと。

2006年07月31日 | 日々是好日
夏休みに入るとどーしても気になることがある。

長期休暇の過し方がわったく分かんねぇ。笑

中学くらいからバスケなんかでリアルな長期の休みを過したことがないから、何気に今年が始めて、リアル夏休みだ。
と、言っても研究をするから休みでもないけどね。苦笑

一通り仏語の文法はクリアしたんで、
朝方に仏語、午前からまたは部活後から研究というサイクル。
あ、部活あるんだった。苦笑

ブログの更新がなかなかできないんだけど、
やってないというか、
何だか文章がまとまらないというのが大きい。

一応ページを開いて更新しようとしても、まとまらない。
僕は文章構成を考えるよりも先に、書きながら文章が作られるみたいなタイプ(?)なんで、一度手が止まるとなかなか先に進まない。以前は、読書ばかりしていたし、日常の中で自分の思考を活字にしながら生活していたから、ブログにするときなんかはすんなり書けた気がするんだけど、ここ4ヶ月くらいはタバコを吸うときくらいしかゆっくりしてないから、なかなか自分の思考の整理みたいのができてない。

自分の部屋の本棚と同じように、整然と置かれた書物とはウラハラにそれぞれの書物が統一された思想じゃないのと同じように、一見整然としていているようで乱雑なような不統一の状態になってる。

先週くらいに、考えるということ自体について更新しようとしてたのに、途中で思考がストップしてしまって、何も浮かばなくなった。最近は、自分の日記帳に何も書いてないのも何か影響しているような気がする。

自分から言葉が失われていくというのは本当に怖い。
研究書ばかり読みあさっている僕の思考回路は、創造性なんかよりも構造化してる機械と同じで、合理主義のような頭になっているのが自分で分かる。

夏休みは、少なくとも時間があるから、勉強の途中や、読書の日みたいのを作ってやっぱり読んでいこうと思う。読みたい本は本当に沢山あるから。

自分の生活の中で芽生える不安、虚無、不確かな希望は、その生活の喧騒の中で端っこに追いやられて、いつのまにか収束している。掃除をしない部屋の隅のゴミがなかなかとれにくくなるようにして、僕の中に、そうした絶望への種が埋め込まれ、はびこり、きっとこの喧騒を抜けた頃にどうしようもなくなっているのだろう。

以前、「人間としてよりヒトとして生きたい」ということと、その発言の修正とについてブログにしたことがあったけど、やっぱり僕はヒトだけど、人間なわけで、生活の中の自分、人間の中でのヒトである自分をもっと見つめなくちゃいけない。

僕は、やっぱり生きている。
まだ、死んじゃいないんだ。


そこは探しとけのこと。

2006年07月26日 | 日々是好日
「突然ほんのちょっとだれかに会いたくなるのさ
 そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ」


俺、最近すげぇ寝る。

以前はまず寝れねー体だったし、寝ても夢見んから2時間寝たとしても10分くらいしか寝てる気がしなかったもんねー。

なんで寝れるようになったんかなと思ってはみたんですが、たぶんガキみたいに「疲れたら寝る」という現象と同じ。笑
ガキと違うのは回復してくれないってことくれぇ。爺
そして未だに筋肉痛は治らず。笑


「友達はだれ?」と聞かれても「・・・。」としか答えられない(答えてはない 苦笑)俺の日常てどんなもんかと思いながら、プラプラ考えてるとすげぇ事に気が付いたわけだ。

俺すげぇー自己中なんだ(今更)

だっるぅ~だとか、あーめんどいとか、何でそんなやり方してんだよだとか、そんなんばっかり。批判するのは簡単であら捜しをしてるだけかも分からんけど、具体的な解決策を模索する俺としては、「こーやりゃいいわけじゃん」と言えるわけ。

でも思ったんだけど、現状の与えられた理不尽さに耐えるみてーな力が全くねぇんだわな、いっちょ前に何様に改善しようとかいう考えは浮かぶんだけど。つまり自己中なわけ。

俺が読書ばっかり始めたのも、そもそも相談する友達やら彼女やらがいなくて(というより自分でどーせいねぇしと思って)答えみたいなもんを自分の頭ん中で考え出したり、何かの本を見つけ出してコタエを探してみたりするよーになったからなわけね。

まー人間をすげぇ信用できねぇという理由は間違いなくあるわけですが、いつまでひきずってやがんだよと。痛

俺に似たよな匂いを嗅ぎつけて、自分の不幸自慢をする連中。
ごめんけどうざい。
俺は別に「不幸」なんかじゃねーし、自分の苦い境遇からはいつだって脱却しよーともがい来たわけで、お前らの過去を中身のない無駄な事にしかしてねーのはたいてい逃げてんだけで脱却は計らないお前らの自業自得じゃんみたいな。
どんだけ不幸か知らねーけど、幸福になる努力はしてんかよ。

「辛」い時に、「一つ」頑張りゃ、「幸」せになんだよ。

俺はいつでもそう思ってきたわけで、自分の苦しい状況になんていつだって立ち向かってきたわけ。だから自分が意外と強い人間なんだと思ってたけども、あるときなにかのきっかけで俺は弱いんだと気付いた。

だってひとりなんだもん。笑

俺もある意味自業自得だけども(笑)、
「落ち着くわー」なんて思えた事がここ1年としてないわけだ。

10代の頃にゃ近くに親やら何かしらの媒体があって、相談はしないまでもあっちが勝手に喋りかけて来てたから何となく親には直接的にでも支えられてんなーなんて思ってたけども、こーして1人暮らしを始めてみんと、親が近くにいるわきゃねーし、たいていの事は1人で乗りきんなきゃなんねぇ。

地の繋がった親の心配や応援の交換は当たり前の事のよーに思うわけだけど、いつかは誰か「他人」とだってそーゆー関係を作んなきゃなんねーんだもん。

「結婚式誘ってねー」なんて言われても「う、うぅ…ん。」としか言えないのも寂しいもんだわな。自分の葬式の現場で誰も泣いてないとすげーうけるぞ多分これ。

友達がいないわけでもなく、大分に就職しちゃってるわけで、遠いとさ会えないじゃん、お互いそんな連絡とるわけでもねーからちょっと寂しい。笑

付き合ったことのある女とは別れたらたいてい他人になる。別れた後もいい関係☆なんてなった事ねぇ。それってすげぇ悲しくないけ。だって少なくとも1時期は誰よりも近くにいて、誰よりも依存してたわけなのに、むしろきまずいとか、そりゃねーよなおいおい、みたいな。

普段はうぜーなと思ってるよなガヤガヤしてる連中も多分に本当は羨ましんだろーなと最近は思ふ。

バカやってても繋がりがあるというのはすげぇなと。

最近何だかしんどくて、色々な事がだるいし、イライラする。
訳わかんねーからどーしよもねぇもんだって。

ほぉれ、
そろそろ何喋ってたんだか分からなくなってきましたが(笑)、俺の生活はそれでもわりと普通で、今の状態が不幸だなんて思った事はねぇ。誰かに今日は何かをされたからだとか、そういう直接的な原因なんかなくって、自分の虚しさだとか寂しさだとかのせーで、自分の中で問題を大きくしちゃって、アーララ。なんて風になっちゃうだけなんだな、ほんとは。

意外に恵まれてる時ほど、絶望してるよな気がして、
わりと苦痛な生活の時ほど、生きてることに喜びを得る。

だから最近はめんどくせー考えはシャットアウトしたいなんて思ふ。
だから別に特別な何かの出来事が俺にあるんじゃなくて、普通に過してて思う事や感じることを素直にここで書いてきゃいーじゃんみたいな。
日常生活で我慢してんからここじゃ普通にぶっちゃげればいーじゃんとね。それが不快に感じる奴は見なきゃいーわけだし、おもろい奴は見てくれりゃいーわけだし、何かそういう共有作業ん中での関係みたいの大事なよーな気がしたりはするわけ。


ま、一つだけ間違いのない事は
結局はこんな簡単なもんだとやっぱ思う。


「幸福とは、幸福を探すことである」
               ルナール


もうひとつのアンニュイ。

2006年07月19日 | 言葉拾い
冬の水一枝の影も欺かず
               中村草田男

このクソ暑い中と思っても、
何気に木陰の中は涼しかったりする。

ハンドソープが切れたから
仕方なく石鹸を袋から取り出してしばらくしたら、
部屋の中が石鹸の優しい匂いで充たされる夜。

アンニュイという言葉の感覚に充たされる夜。
倦怠だとか退屈だとかそういう意味だろうけど
なんかそういうんじゃない
だけど、
アンニュイ。
ボードレールのアンニュイ。

あれ。


コンクリにひとりで寝そべる白昼夢。

石鹸の泡をいくつもいくつも
青と水色を混ぜた絵の具で塗りたくったキャンバスに乗せる。
ふわりと乗せちゃいけない。
べったり、押し付けるように重ねる。
いくつもいくつも重ねた。

周りには誰もいない。
僕だけの、平面のキャンバス。
水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の
贅沢な押しピンで支えられた、
絵の具と石鹸の泡でできたキャンバス。

扇風機の風が伸び出した髪を揺さぶる白昼夢。

目を開けば、
大きなキャンバス。
むくりと体を起こして目を落とすと、
張り付いた表情を持たない影。


初夏模様 一葉の影も 欺かず


ベルトコンベアーのこと。

2006年07月13日 | 言葉拾い
ぽかんと花を眺めながら、人間も、
本当によいところがある、と思った。
花の美しさを見つけたのは、人間だし、
花を愛するのも人間だもの。

                 『女生徒』 太宰治

久しぶりの更新になってしまったよ。涙

ここんとこ少し充実してました、というより、
勉強を中心に1日が回転してるというかそんな感じで。
ま、それが当たり前なわけだけど(笑)、
昼からの学校→部活→少し寝る→大学で徹勉→授業
というおかしなサイクルで。苦笑

9月の後半に修論の中間発表というのがあって、
とりあえず形にしときゃなきゃだなぁ~
という状況で、フランス語を中心のサイクル(あれ)

さすがにあれから3ヶ月も過ぎたんで、1語1語の意味とか繋がりとかがかなり把握できる。論文とかもたぶん読めると思うけど、基礎部分をちゃんとしてから進もうと思って、ゆっくり急いでる感じ。

鹿児島は梅雨もあけたのか、すっごいはっきりした青空と
ぜったいラピュタがいるだろうという雲が大発生。笑
なんだかなー
別に忙しいというよりは、今日はこれをしよう、あれをしよう
なんて言ってるうちに毎日が過ぎていくからなんか変な感じ。
以前はなんか
不安とか侘しさとか虚無感とか苛立ちとかばかりに支配されているような感じで、そういうのを紛らわすって意味で、心にスキを作らないみたいに何かしらの予定を入れ込んで追い込んでた感じだったけど、いつの間にかそういう圧迫感はどうでもよくなって、現実的に過してる自分がいて、そんな自分に気がついて驚く。

人生をドラマ、むしろドラマを人生だと考えていました
とか何とか太宰が言っていたみたいに、
僕は何かしらのポォズをとるみたいにして生活を戯曲化する。
意識下にある自己というのは、
自己自身であろうとする部分と、自分ではないようにするというような何かしらの二分化の状態に近くて、そうしてるうちに自己を見失っていたり、自分が見えなくなってしまっていたりする副作用がある。

日常に吹かれてる判然としない自己意識は、
時として特効薬で、ふと人生の素晴らしさや、
人間の素晴らしさに気付かせてくれる効果を持ったりする。
自分の悲しみや苦しみは意外とちっぽけなもので、
テレビの中の仲良さそうな家族や笑いに、自分の悩ましげなポォズを取りやめて、あー普通に笑ってればいいんだ、なんて当たり前のように考える。

意識下に意識的に自己を置くことで、自分の分析をしすぎて
悲観的な日常になるという麻薬。
英文を作成していている時に、
簡単な文法のミスや文章構成がうまくいかないのと同じで、
何日か経って思い出したようにすると意外と簡単に出来たりする。

余裕を持つというようなニュアンスで、
主観性と客観性を同時に持ち合わせる状態でいれたらいい。
それが当たり前のようでできないのだけどもね。苦笑

無機質に区切られている自分の生活の時間割。
これが終わったら次あれ、そしてあれ、
というようにベルトコンベアーのような生産性。
そこから生み出される何かもあって、それは否定できない。
ベルトコンベアーの仕事が終わってから、気があう奴と飲みに行くみたいにして、ベルトコンベアーのレールから離れても生み出される何か。

1日の生活がそんな風であったらいいなと思う。

小説に見立てる自分の人生を少しやめて、
自分の人生から小説を見出していく逆回転でまた違ってくる。

夏場のアスファルトの上を自転車でひぃひぃ言いながら汗かいて
家にたどり着いたら、クーラー、そしてシャワー、
そしてホッと一息つく、意外と簡単な構図。笑

そんなもんでいいんだなー。

さらばのこと。

2006年07月05日 | 日々是好日
やりやがった!!
という、タイムリーな事態。

ミサイルの発射に対しては、誰もが非難の目を向ける。
そりゃそうだ。

だけど1番怖いのは、どの国家でさえも、それはありえない話じゃないという状況なんじゃないかってこと。
北朝鮮だから、不快感や恐怖心があるのは少し変だ。
時代錯誤な国家体制だとか、こういう事態を引き起こすから狂ってるというような考えは、少し安易なことだと思う。

確かにおかしいけどもね。苦笑

これまで様々な国家が、そういう理不尽な事態を引き起こしてきた。
日本だってそう、ヨーロッパだってそう。
アメリカだって、この前やった。

世界大戦という経験を通過した地球人。
『平和と安全』を標語に、軍事力を高めるパラドックス。

Farewell to Arms.

武器よさらば。

武器をもっている限り、緊張関係は続く。
誰だって、隣の人がピストルやナイフを持っていたら怖い。
だからって、自分もまたピストルとナイフを手に取る悪循環。

身近に考えたら当たり前の事を、
世界という場所は当たり前に考えない。

以前、友達は自衛隊の廃止について議論した時に、
目の前に脅威がある限り、それに備えるのは当然だと言っていた。
色んな正当性がある、確かにそうだ。

ただ、本当の平和は何かと考えてみる。
武器は、なにものをも残しはしない。
どれだけの人たちが、ピストルに、ナイフに、ミサイルに、
どれだけの涙を流し、
どれだけの悲しみを抱えているのだろう。

武器を増やすのは容易なことだ。
武器を無くすのは難しいことだ。

平和とは何かを考える。

すべての平和主義は、結局は理想でしかないのかもしれない。
僕は友達によく理想主義だといわれた。

じゃぁ、
現実主義って何なんだ。
つまり、
本来は現実であるべきはずの理想は、現実にはなくて、
現実であるべきはずの理想を、現実にする事が大切だと思う。

現実であるべきはずの理想を原動力にして、
理想を現実にしていく目線がなければ何も変わっていかない。

勉強もそう、スポーツだってそう、何だってそう。
放置してるだけじゃ、うまくなれない。
うまくなるために、マイケル・ジョーダンになりたいと思って、
毎日ついていたバスケットボール。
現実を理想からいい方向に変えて行く努力が大切だ。

此の世で一番輝いてる人は努力しているって。


ニュースをつけて、
日本人被害者はいませんでしたで終わっちゃいけないんだ。
ニュースをつけて、
北朝鮮がミサイルを発射したから怒るで終わっちゃいけない。

自分が誰かの頭にピストルを向けない事を、
誰かが自分の頭にピストルを向けない事を、
平和とは何かということを、やっぱり考えなくちゃいけない。

Farewell to Arms.

すでに真理はみんなが分かっているはずなんだ。

背伸びのこと。

2006年07月05日 | 日々是好日
いつも背伸びをしてきた。

お姉ちゃんより小さくて、友達よりも小さくて
女の子より小さくて、いっぱいいっぱい背伸びをした。

いろんな事に背伸びをしてきて、人より少し高く立ててた。
それなのに、
中1の頃から骨折癖が付いてた僕の足首には、
もう背伸びをする強さがなくなってしまっていた。

背伸びをしていた僕の目線は遠くばかりを見ていて
足元を見ることを知らなかった。
足首がだんだん痛くなるのを知っていながら、
足元を見ようとはしなかった。

つま先でよちよちになりながら立つ、不安定な目線。

自分の傷と闘うことで、
いつしか自分は強いのだと思っていた。
人は誰しも、弱いものだ。
そんな言葉は、ただ耳を通り過ぎて行くだけだったから。

いつからなのか、そんな事ははっきり分からない。
背伸びをすることをやめてから、
僕の見る高さはいつの間にか変わっていた。

両足でしゃんと立った、安定した目線。

背伸びをして、僕はいったい何を見たかったんだろう。
背伸びをして、僕はいったい何を見てきたんだろう。

ふいに、背伸びをしてみる。
すっくと持ち上がるのは、
自分の体なんだか、目の前の景色なんだか、どっちなんだか。
おぼつかない足取りと不確かな景色。
しゃくり上げた顔。

自分が高くいたかったのか、
それとも、
遠くの何かを見たかったのか。


わかんない。


目の前には、変わらない景色。
そして、
痛む足もと。


祈れ働けのこと。

2006年07月04日 | 言葉拾い
  働かざる者食うべからず。
             パウロ

学生という身分は本当は気ままなもんだと思った。
試合があったから月・火と休んでみる2日間。
水曜日は学校がないから3連休を作り出す。

休みといっても、お勉強をするんだけどね。
学校の余計な予習さえなければ
自分のペースでお勉強ができる。

先週、教授に将来はどうするのかと聞かれた。
僕がドクターまで行きたいのを知っているから
意外にもけっこう気にかけてくれる教授。
そんな教授を尻目に、夏が終わったら教員採用試験の勉強を始めているだろう。1回でパスしたいんだ。来年もある、バイトしながら、なんて何のこっちゃ。
始めから受かるつもりでやらなくちゃ、
きっと、ずぅ~っと同じだ。

大学教授になる道は、将来性がないという現実。
なったところで少子化の波が大学側に打ち寄せる。
大学は潰れていく。
人集めのために、学生のレベルはたんと落ちる。

それよか、
高校で倫理という科目を通じて、
高校生という曖昧な時期の心の
いくぶんかの助けになりたい。

自分の研究は高校の教員をしていても続けられる。
実のところはうちにはドクターまで残る余裕がない。
お母さんを楽にさせてあげたい。

お金がない生活。
雑多なものだけに追われる生活。
自分のペースでもう少しやりたい。

誰が決めたんだか分からない社会の制度たち。
どこに目をつけてんだか、ねぇ、おじさんたち。

不景気で公務員の人員や給料が減らされる社会。
昨日、県知事の年収が1600万以上だと知った。
おいおい、
あんた何かやってるっけ??
丸々太った、県議会のおっさんたちの体を見る。

なにかきっとまちがってる。

現代の不幸は、青年の社会を、老人が政治化している矛盾の中にあります。青年には政治の実権がなく、老人には社会生活の実質がない。
                         寺山修司


働いて、食べる。
その上で、好きなことをやるっきゃない。


読みたいゼのこと。

2006年07月04日 | 日々是好日
韓国映画というのがいつからかブームで、
僕の研究室にいる何人かの人たちもはまってました。

今日は本当にたまたまなんですけど、『誰にでも秘密がある』という韓国映画を21時からやっていて、久しぶりにテレビを付けたのでぼさ~っと見ていたんですけど、自分が少し夢想していた感じと似ていたんですよね。

僕自身が、小説というものがすごく好きなので、昔から文系の読書や哲学を好む女性がわりとタイプではあるんです(笑)それは単にロマンチだからだとかそういう事だけじゃなくって、文学から何かを解釈したりすることはとても物事を多角的に考える頭を養うし、感情だけで小説を楽しみというのもそれはまた違った楽しみはもちろんあるんですけど、それが何を意味しているのかとか、それは何を伝えたいのかという事を喚起させてくれるというか、自分の想像力をかきたててくれるんです。そういう意味で、文学が好きな人には昔から高感度が高くて、そういう女の人と付き合ったら…という妄想をたまにしてましたね。苦笑

なんかその実写版みたいなものが、この韓国映画で、それだけに少しはまって見てしまいました(笑)。日本文学が好きな人や、世界の何かしらの文学や、特定の作家のものが好きな人たちもいると思うんですけど、僕は文学系の専門ではないし、学生の頃からゆっくり読書をできる環境ではなかったので、世界のあらゆる文学作品は目に通してはいません。それに、何かいわゆる文豪だとか、有名な方の作品を購入するだとか、目にするということは、何だか恥ずかしかったり、本当にそんなに素晴らしいものなのかどうかと懐疑的だったりするんですよね。
と言いつつも、
日本の近代文学、ロシアだったらトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、フランスだったらサガン、ジッド、ドイツならゲーテといった具合に実はベタな作家を好きだったりするんですよね(苦笑)。

最近の小説なども読むには読むんですけど、少し懐疑的だったりはします。
例えば芥川賞とかその他の賞の選考委員の人たちの価値観にも気になるところはあって、僕がこの人の解釈は素晴らしいなとか、目のつけるところが鋭いなとか、そういうのを感じる人じゃなかたりするのが大きいですね。流行になる作品というのが本当に素晴らしいのかどうかというのにも躊躇いがあって、僕に本物の目利きがあるわけじゃないんですけど、えっ、なんでこれがそんなに評価されるんだろうって思ったりもします。
専門の人や教授やプロの人たちは色んな見解や解釈を考慮した上で、何かしらの結論を出したりするわけだから、最後の結論部分だけで判断するのは危険なんですけど、でもなんでぇぇ~と、ハテナマークが頭に上ったりはしますね。

『誰にでも秘密がある』から少し脱線したんですけど、
幅広い文学に目を通している同士の恋愛がいいというんじゃなくって、何だかそういうものを自分に汲み取っていて、それが少しの共通点となってよい関係を築くというのが羨ましいですね。
ジブリの『耳をすませば』も僕は好きな作品のひとつで、あれもやはり文学を通じてだったりして、同じような感覚の人もいるんだなぁ~と思って苦笑してしまいますね。

小説なんかぜんぜん分からないとか、文系的な感覚だからとサジを投げるのは僕が数字に関連するものが苦手だというのと同じ感覚なんですかね。苦笑

漫画にしても映画にしても、小説なんかと同じで何かを汲み取るという姿勢がなんだか愛すべきもので、共感を覚えますね。

近頃、小説を読めてないだけに、ホームシックならぬ小説シックですが(笑)
何とかお勉強との折り合いをつけて、
言葉と触れ合う環境を作りたいなと思います。
何だかんだいって、研究書や論文を日々目にして、読む速度や読み取る力、暗記するというより理解して覚えると言う作業は、以前よりもスムーズになったので、少し賢くなったなぁ~なんて図に乗るわけですが。笑

読みたいものがたくさんありすぎて、
卒業したらすごいんだろうなと。苦笑


摂理。

2006年07月03日 | 日々是好日
昔から目が悪かった。
先天性網膜異常という病気で、どんな手術を受けても、どんな治療をしても、視力は回復しないのだと聞かされていた。

昔から体が細かった。
生まれた時は未熟児のようなもので、
体重がとても軽かったと聞いていた。

昔は眼鏡を着けて、今ではコンタクトを着けて、自分のこと、世の中のことを見ている。拡大されるレンズを通じて。

時には筋トレをして、今ではまた細くなって、日常を過している。


いつも神様にこう願っていた。

どうして僕は目が悪いんですか?
何もお願いはしないので、視力だけはよくしてほしい。
どうして僕は体が細いんですか?
すごく筋肉マンにならなくたっていいから、人並みの体つきにしてください。


大きくなって、色んな事を目にして、色んなものを感じて、そうして今思うことは、神様は僕の為にこうして下さったのだ。
感受性が強すぎるのだから、目を悪くして、心にきざまれる悲しみを軽減させてあげようと。正義感が強すぎるのだから、体を細くして、間違った暴力を犯さないようにしてあげようと。

神様はすべてを知っていたのだ。

僕は今日もコンタクトをつけて、世間をのぞき、自分をみつめる。

コンタクトを外した僕の目の前に広がる世界。
輪郭はぼやけ、光と陰のコントラストだけがひろがる世界。


神様の仰るとおりにするべきなんだ。



初心のこと。

2006年07月01日 | 日々是好日
ご無沙汰してます、
いつも見に来てくれてる方、ごめんなさい。

今日から7月なんだけども、とにかく6月は早かった。
演習の予習もだけど、フラ語、研究、部活と、なんだか
リアルにてんぱってたよな気がしたりする。

ミクシーの日記は、日常生活の記録みたいなものだし、おもしろいことを書く事とかはわりと慣れているから、わりと簡単に更新できるんだけど、こっちの方は、自分の考えていることとか、すごくちゃんと書きたかったりって思ってるから、更新のページを開けども、更新できなかったりする。

さて、
なかなか優先順位というものが決めきれないというか、
研究にしろ、フラ語にしろ、部活にしろ、それをやっている時間というのは確かに力点は置いているんだけども、それでもその中でも気になっちゃう分野がその日その日で違ったりして、没頭しているようで何だか気持ちがそちらに逸れてて、なんだかな…という心持になったりする。

要は、切り替えというのがなかなかうまくできないんだよね。
研究の方がなんとなく方向性が見えてきただけに、あれをしなきゃこれをしなきゃとなってしまったり、それなのにやってなかったり、フランス語もちゃんと論文読めるんだろうかとか、先々の余計な不安ばかりが頭に浮かんで、集中力を乱してしまったりする。
部活のコーチは、人と人との関係だからどうしても難しい事態が日々あって、精神的なはけ口を持たない僕としては、週末になると、ふと虚無感に襲われたりする。
ブログの更新があまりできないのも、そういう内面的な部分がすごく影響してるんだと思ったりする。実際、自分の日記帳すら6月はほとんど記入されていないから。

周りの人は、頑張りすぎだよねだとか、少しは寝たほうがいいよだとか、色々言ってくれて有難かったりはするんだけど、なんとなく、「頑張ってね」という後押しの言葉がほんとうは嬉しかったりする。
自分の体はもともと細いのに、どんどん痩せてきて、貧血だとか、気分が悪かったりだとかはするんだけど、自分のやってる事がどれだけでも自分で規定はしたくなくって、頑張らなきゃなって思う。

やる気がでない日もあれば、面倒くさい日もあるし、毎日ある部活に行くのにも、部活がなければけっこう楽なのになとか、そんな逃げてるみたいなことをふと考えてる自分を見つけると、何だか自分の人間性が嫌になったりする。

ほんとうは、自分が社会のある特定の場で、役割というものがある事ってのはすごく幸せなことなんだろうと思うもん。そういう存在意義にすら戸惑うこともあるわけだから。

今週末は、熊本で九州の大会があって、ここ2週間は色んな意味できつかった。そして試合当日になったらもっときついんだろうなって思う。

部活の中で、自分が選手にどう思われてるんだろうとか、そういうのはやっぱり気になることもあって、大学院に入っていわゆる友達と喋ったりする事もほとんどなくなって、やっぱりどこか寂しかったりもする。

寝れるかも分からないためにのみ部屋に帰ってくる週間。
あまり読まなくなった新聞記事。
付けることがほとんどなくなったテレビ。

自分から色んな事が離れていって、切磋琢磨というような環境にないというのも少しそういう部分を強めたりする。
新しい月に変わるから、せっかくだし、自分の内面をもう1度リセットしようって思う。もう1度、出直しだ。初心忘るべからず。

明日は学部の頃の熊本の友達に会える。
明日くらいはゆっくりお酒を飲んで、
色々話して、そうして切り替えていこう。

自分の意志がプラスに働かない限りは、人は動けない。

ぶっ倒れてもいーんだ。
とにかく、やれるだけのことをやていこうと思う。
ため息はやめとこう。
深呼吸をしよう。
新しい季節は巡ってくる。
自分も自分の季節の色合いを出さなくちゃってつくづく思う。