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日常学的私論序説

要するに好きなことを書いているだけである。

●沖縄靖国訴訟で控訴棄却=憲法判断必要なし-福岡高裁支部

2006年10月13日 00時34分18秒 | 未分類
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沖縄靖国訴訟で控訴棄却=憲法判断必要なし-福岡高裁支部

 小泉純一郎前首相が首相在任中の2001年8月と02年4月に行った靖国神社参拝は、憲法の政教分離規定に反するとして、沖縄戦戦没者の遺族ら80人が国と前首相に対し、1人当たり10万円の慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決が12日、福岡高裁那覇支部であった。小林正明裁判長は「原告が主張する権利、法的利益の侵害は認められない」として原告の控訴を棄却した。原告側は判決を不服として上告する。
 判決では「請求棄却の結論は変わらず、参拝が違憲か否かの判断をする必要性はない」と指摘。その上で「仮に職務行為性が認められるとしても請求が棄却される」と述べた。
 小泉前首相の参拝をめぐっては、これまで8件の訴訟が起こされ、いずれも原告が敗訴。高裁判決では、05年9月の大阪高裁が控訴を棄却したものの、参拝は公的で違憲とする判断が確定。ほかの4判決は憲法判断まで踏み込んでおらず、今年6月の初の最高裁判決も参拝の違憲確認や公的私的判断にも言及していない。 
(時事通信) - 10月12日22時1分更新
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●廉価DVD 著作権の保護期間満了と販売認める 東京地裁

2006年07月12日 21時07分20秒 | 未分類
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廉価DVD 著作権の保護期間満了と販売認める 東京地裁

 オードリー・ヘプバーン主演の映画「ローマの休日」(53年公開)などの廉価版DVDの販売会社(東京都板橋区)に、米国の映画会社「パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーション」が著作権を主張して製造・販売の差し止めを求めた仮処分申請について、東京地裁は11日、申請を却下する決定を出した。決定理由で高部真規子裁判長は「改正前の著作権法に基づき、03年末で著作権の保護期間が満了した」と述べた。パ社側は抗告する方針。
 映画の著作権保護期間は、04年1月1日施行の改正著作権法で、50年から70年に延長された。販売会社側は「53年の作品は03年12月31日で著作権が切れた」として05年10月ごろから廉価版を販売。パ社側は、文化庁の「12月31日午後12時と1月1日午前0時は同時のため53年作品には改正法が適用される」との見解に従い、「ローマの休日」と「第十七捕虜収容所」の廉価版について差し止めを求めた。
 高部裁判長は「著作権法は保護期間を年単位で定めており(53年作品の保護期間は)12月31日で満了した。改正法は1月1日時点で著作権が残っている(54年以降の)映画のみに適用される」と判断。文化庁の見解については「法的に誤っている」と指摘した。
 パ社は「決定を不服とし、知財高裁に取り消しを求める手続きを検討している」と述べ、文化庁著作権課は「決定が確定したわけではないのでコメントは控えたい」と話した。【高倉友彰】
 ◇違和感を感じる
 ▽キネマ旬報映画総合研究所・掛尾良夫所長の話 安価なDVDが出回ることは、映画界にとって歓迎すべき決定ではない。個人的にも、映画が文化というより消費財になっていくようで違和感を感じる。正規版の側には、映像のクオリティーを高めたり、メーキングや関係者のインタビューなど付加価値を高め、より魅力的商品を作る努力をしてほしい。
 ◇冷静な判断だ
 ▽著作権法に詳しい壇俊光弁護士の話 裁判所も著作権を保護しすぎる風潮の中で、法律の条文に従って冷静な判断をした決定だ。刑事罰もある法律の解釈は厳密にすべきで、文化庁の見解には無理があるのでは。
(毎日新聞) - 7月12日10時0分更新
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B型肝炎訴訟 「予防接種で感染」認定 国に賠償命じる

2006年06月17日 22時24分35秒 | 未分類
以下Yahooニュースよりコピペ
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B型肝炎ウイルスに感染した札幌市の男性5人が「乳幼児期に受けた集団予防接種で注射器を連続使用したことが原因」として計5750万円の国家賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は16日、接種と感染の因果関係を認めたうえで、国に対し、5人に計2750万円を支払うよう命じる判決を言い渡した。国内に100万人以上いるとされる感染者の大半が予防接種経験者とみられ、国は抜本的な救済策を迫られる。
 予防接種による感染被害で、国の責任が問われた初めての裁判。札幌高裁は3人に対する賠償だけを認めていたが、提訴から17年で、原告側の全面勝訴が確定した。
 訴訟では、予防接種と感染の因果関係が争点となった。国側は「他の原因による感染の可能性がある」と上告したが、第2小法廷は「幼少児については、集団予防接種の注射器の連続使用以外は感染の可能性は極めて低かった」と判断。「他原因の可能性は一般的、抽象的に過ぎず、予防接種と感染の因果関係を認めるのが相当」と述べた。
 また、提訴時に賠償請求権を行使できる「除斥期間」(20年)が経過していたとして、高裁が原告2人の訴えを退けた点についても検討。「肝炎を発症した場合の除斥期間の起算点は予防接種時ではなく、発症時というべきで、賠償請求権は消滅していない」と述べ、2人への賠償も命じた。
 判決は5人の裁判官全員一致の意見。
 原告は、乳幼児期だった51~71年に10~25回の予防接種を受け、成人になってB型慢性肝炎を発症した4人と、83年に2回の接種を受けて持続感染者(キャリアー)となった1人。4人のうち1人は、02年に別の病気で亡くなった。
 58年に予防接種実施規則が制定され、注射針は1人ずつ交換すべきだと定められたが、75年ごろまでは連続使用が行われていたとされる。注射筒については、88年の通達で連続使用が禁止された。【木戸哲】
 ▽原告・弁護団・支援団体の共同声明 全国のウイルス性肝炎患者の救済に大きく道を開く画期的判決。国は厳粛に受け止め、全国の患者と感染者に謝罪し、速やかに救済対策を取ることを求める。
 ▽中島正治・厚生労働省健康局長の話 国の賠償義務が認められたことを重く受け止めている。原告の方には誠に申し訳ないという気持ちで、判決に沿って迅速に対応したい。
 【B型肝炎】 血液を介して感染するウイルス性肝炎の一種。ワクチンはあるが決定的な治療法はない。日常生活ではほとんど感染しないが、同じウイルス性のC型肝炎と比べると感染力が強く、乳幼児期の感染で持続感染者(キャリアー)となる確率が高いのが特徴。キャリアーのうち10~15%が20~30代で、慢性肝炎を発症する。国内の推定感染者数は120万~140万人。C型より発症率は低いものの、慢性肝炎から肝硬変や肝がんに進行する恐れがある。
(毎日新聞) - 6月17日10時15分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060617-00000005-maip-soci
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患者が適切な医療受ける「期待権」

2005年12月09日 01時30分17秒 | 未分類
長いけど全文引用。asahi.comから。
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患者が適切な医療受ける「期待権」、最高裁の意見割れる
2005年12月08日17時19分

 患者が医療水準にかなった適切な治療を受ける「期待権」を侵害されたとして医師に賠償を求めることはできるのかをめぐり、最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)の5裁判官が激論を交わし、意見は割れた。結局「今回のケースでは認められない」という考えが3対2で多数派を占め、8日の判決は患者側の上告を棄却。二審の患者側逆転敗訴が確定したが、医療過誤訴訟で患者の権利をどこまで認めるかの難しさが浮かび上がった形だ。

 この訴訟は、東京拘置所に勾留(こうりゅう)中に脳梗塞(こうそく)で倒れた男性(56)が、「専門病院への速やかな転院措置を怠ったために後遺障害が残った」として、国に計3750万円の損害賠償を求めていた。

 裁判長の泉裁判官(民事裁判官出身)と横尾和子両裁判官(厚生官僚出身)の2人は「患者は適切な治療を受ける利益を侵害されたのだから、国は精神的な損害を賠償するべきだ」と、患者の救済を主張。「そうした利益は、過去に最高裁が認めてきた利益に勝るとも劣らない」と位置づけ、具体的には、輸血を伴う手術を拒否する利益や、自然分娩(ぶんべん)が帝王切開かを選ぶ利益を認めた判例を引き合いに出した。

 これに対し、島田仁郎裁判官(刑事裁判官出身)は「治療があまりに不適切なときは、適切な治療を受ける利益が侵害されたことを理由に、損害賠償を認める場合がある」としつつ、ある程度の不適切さは許容されるべきで、今回は賠償責任は認められないとした。

 才口千晴裁判官(弁護士出身)も同様の意見を述べた。さらに両裁判官は「弁護士や教師について、適切な弁護、指導を受ける依頼者や生徒の利益の侵害を理由に損害賠償責任を認めることにつながり、その範囲が限りなく広がるおそれがある」との懸念も示した。

 甲斐中辰夫裁判官(検察官出身)は自らの意見を特には述べなかったが、島田、才口両裁判官と多数派を形成した。

 多数意見は、賠償責任を認めるためには「適切な治療を受けていれば生命身体の侵害はなかったということが、『相当程度の可能性』として証明されることが必要」という過去の判例を引用。今回のケースでは、証明がないとして男性の上告を棄却した。

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患者は常に最高水準の医療を受ける権利があるのか。それとも、医療水準からしてある程度低いレベルの医療であってもそれで満足しなければならないのか。離島なんで急患が発生したときはどうなるのだろうか。

iPodが進化した!?

2005年10月14日 20時27分17秒 | 未分類
iPodが新しくなりました

自分はあまり外出中に音楽を聞いたりはしないのであまり興味はありません。ただ、ビデオを見れたり、容量がアップしたりといろいろな機能が加わっているようです。

ところで、音楽は15,000曲、写真は25,000枚、ビデオは150時間入るそうですが、こんなに持ち歩いても無駄な気がしませんか?まぁビデオだったらたくさん入れていればすぐに容量いっぱいになるかもしれませんが、おそらく容量いっぱいになるくらい大量の映像を持ち歩いてもほとんど見ないでしょう。映画にしても一本当たり約2時間で計算したとして75本。私が75本の映画を見るためには多分1年くらいはかかります。それを持ち歩いても無駄なんじゃないか?せいぜい1~2本入るくらいの容量があれば十分だ。それにディスプレイがやはり小さい。映画は大画面で見るに限る。

音楽にしても15,000曲って、一生かけても聞ききれないじゃないのか、って気がします。もちろん容量いっぱい詰め込んで持ち歩く人はいないんでしょうけど、だとしたら空き容量が無駄になる。

容量は多ければいいってもんでもないだろう。PCじゃあるまいし。

このまま「順調に」iPodが進化していっていつか100Gとか300Gとかになったとき、人はあることに気がつくでしょう。
これは「進化による退化だ」と。

おそまつでした。

「無駄」のすすめ

2005年10月11日 22時01分33秒 | 未分類
川に幅3メートルくらいの橋がかかっているとする。この橋を渡れといわれたら、誰もが、躊躇することなく難なくわたることだろう。

では、この橋の幅が30センチになったらどうか。ジャングルのつり橋をイメージしてもらいたい。かなり危険だ。わたれないという人もいるだろう。

しかし、よく考えてもらいたい。物理的には自分の足を乗せることができるだけのスペースがあれば、その「橋」を渡ることはできるはずだ。でも、そんな細くて狭い橋を渡ろうとする人はいないだろう。

要するに、我々が橋を渡ることができるのは、実際には足を乗せていない「その他」の部分があるからなのである。橋を渡るためには必要でない「無駄な部分」があるからこそ、我々は橋を渡ることができる。「無駄な部分」は実は無駄ではないのだ。

今度はディベートの例で考えてみよう。ディベートをしたことがある人なら誰でもわかるだろうが、事前に準備したことを本番で全てしゃべることは不可能である。100準備したとして、実際にしゃべることができるのは10くらいである。残りの90は実際には使わなかった「無駄な部分」である。

こう考えると、実際にしゃべった10だけ準備しておけばよさそうな気もする。しかし、準備したのが10なら実際にしゃべることができるのは1である。

誰でもテスト時に準備が間に合わなくてヤマをはった経験があるはずだ。テストというものは授業で習ったことの全てが出題されるのではない。そのうちのごくごく一部が出題されるに過ぎない。ということは、テスト勉強はその出題される部分をピンポイントで勉強していれば100点がとれることになる。だから、ヤマをはるということが可能なのである。

しかし、ヤマをはった部分が出題されればよいものだが、たいていはヤマは外れる。外れた時のテスト言うものは目もあてられないものとなる。だから、ヤマをはった部分が出てくれ、と祈る。ここには余裕というものがない。事前にしっかり準備しておけば、何が出ても大丈夫なわけだから、余裕をもってテストに臨むことができる。ヤマをはったときはそうではない。余裕がない。

ある小説家は、一生に一回使うかどうかもわからない言葉のために辞書を読むという。

この世は数限りない「無駄」で構成されている。しかし、我々が今ここに存在することができるのは、その無駄があるからなのである。

テレビ雑感

2005年10月08日 23時40分22秒 | 未分類
TV欄無視のTBSに苦情電話400件

時間通りに放映しないとこんなに苦情が来るんですな。たいへんだ。

さて、この記事を見て野球中継の延長問題を思い出した。

従来は野球中継は確実に視聴率が稼げるから、時間を延長して放映することが常識だった。

しかし、ここにきてこの常識が変わりつつある。野球中継は巨人戦の人気低迷で視聴率が下がっているという。だから、野球を放映しても民放側のメリットは減少しつつある。

延長が当たり前だった頃は予約がうまくいかないという声が多く聞かれた。野球に興味のない人間にすれば、なんで延長までして放送する必要があるのか、理解に苦しむことだろう。深夜のニュースや翌日の新聞で結果を見ればよいではないか、と。

一方、野球ファンに言わせれば、いいところで中継が終わるのは許せないことだろう。最後の最後まで目が離せないという試合もあることだろう。野球中継を延長して最後まで試合を見れるようにすることは重要事項である。

しかし、野球ファンにとっても、野球中継の延長はどうやら彼らの要望を満たすものではないようである。というのも、円長時間が中途半端であるために結局最後まで試合を見ることができないのである。

これでは野球ファンもそうでない人も不満が残ってしまう。やはり延長をきっぱりやめるか、試合を全て放映できるように時間を調整する必要がある。野球人気の低迷を考慮すればこれからは前者に照準をあわせていくことが肝要だろう。

ゲーム脳

2005年06月02日 19時18分40秒 | 未分類
ITmediaより

ゲーム脳についてはいつか自分の思うところを書きたいと思っていますが、
時間の都合上実現しないかもしれません(笑)

さてさて、ゲーム脳というエセ科学的なものが巷を跋扈している要因は、結局、わけのわからない事件や理解不能な人間の行動について、なんかわかりやすい原因がほしいという多くの人の欲求と、自分以外の何かに原因を押し付けたい一心で、無批判にこれを取り上げるマスコミにあるんだと思います。

昔は、テレビ、ギター、映画、小説、バイク、漫画なんかが矢面に立たされていたわけですけど、これが今テレビゲームになったというだけのことでしょう。

「名前」にまつわる面白い話

2005年02月23日 04時59分04秒 | 未分類
昨日は「かわいそうな子供の名前」について書きました。今日はもういっちょ名前ネタでいこうと思います。

突然ですが、このひとの名前読めますか?

平平平平

もうひとつ、

平均

それぞれ、「ひらだいらへいべい」、「たいらひとし」と読みます。もちろん架空の人物の名前です。詳しいことは忘れましたが、昔のドラマか小説の登場人物だったと思います。ググってみるとなんか出てくるかもしれませんね。ちなみに「平平平平」というバンドが存在するみたいです。

続きまして、こいつは確かトリビアの泉で紹介されてましたから、ご存知の方も多いはずです。

ピカソの本名は「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パオロ・フアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダッド・ピカソ」

なげーよ。ちなみに上記以外にも諸説あるようです。

日本人で長い名前といえば、やはりこの人。

寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助

なげーよ。要するに長生きしておくれという意味だそうです。

最後に、こいつは人名ではありません。本のタイトルです。

小説「ロビンソン・クルーソー」の原題は、“The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe,of York,Mariner: Who lived Eight and Twenty Years,all alone in an uninhabited Island on the Coast of America,near the Mouth of the Great River of Oroonoque; Having been cast on Shore by Shipwreck,wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver'd by Pyrates. Written by Himself.”

nage-yo!!もし、和訳してやろうというお暇な人がいましたら、ご一報ください。

子供の名前

2005年02月22日 03時25分02秒 | 未分類
かわいそうな名前をつけられてしまった子供一覧というところへいってみました。「外国へ行っても通用するように、外国人風の名前にする」とかいう人がいますが、私はこういった考え方が、かなり控えめにいっても、大嫌いです。

以前から、変な名前付ける親が増えたなぁとは考えていましたが、上記の「外国人風の名前」などというレベルを超越した「名前」が多数見受けられました。まぁ、ネタもあるんでしょうけど。

名前というのは親が子供を想って一生懸命考えてつけるものであり、親の愛情が詰まっているものですから、それを悪く言うのはやはり人倫にもとる行為といえましょう。

しかしです。いちご姫(いちごひめ)、たかしくん(くん、まで名前)、ハム太郎、ラッキー星(らっきーすたー)。。。ここまでくると親の愛情は感じられません。むしろ、嫌がらせとすら思えます。

このような「?!」って名前を付ける親はどれくらいの割合で存在するものなのでしょうか。あまりに突飛な名前を付けると、学校で子供がいじめられると心配する人がいますが、「?!」って名前の子供がクラスの80%くらいを占めていたら、むしろいじめられるのは「普通」の名前の子です。「わたしは変な名前と学校でいじめられた、子供にはそういう経験はさせたくない」と思っている親は見事に裏をかかれます。先見の明がなかったとあきらめるしかありません。

それはさておき、上記のような「?!」っていう名前は小学校の低学年くらいまでならまだいいかもしれませんが、これが70、80になったときに、

「おばあちゃん、お名前は?」
「いちご姫ですじゃ」
「?!」

もう目も当てられません。

就職活動の面接で、

「まず、お名前から」
「はい、たかしくんです」
「?!」

つかみはオッケー!!

なお、名前があまりに不便で困っている場合、法律上の要件をみたせば改名できるみたいですから、安心ですね(笑)

批判対象を知れ

2005年02月15日 03時02分40秒 | 未分類
小学校で教職員3人殺傷、17歳卒業生を逮捕…大阪

14日午後3時すぎ、大阪府寝屋川市初町、同市立中央小学校(坂根博一校長、児童601人)の本館校舎に、刺し身包丁を持った同市内の無職少年(17)が侵入し、5年生の担任教諭、鴨崎(かもざき)満明さん(52)(寝屋川市池田)ら教職員3人を次々と刺した。
【Yahooニュースより引用】

すでに多くの人がこの事件については何らかの情報を得ていることと思います。痛ましい事件です。事件発生当時の状況はどうだったのか、この少年がなぜこのような凶行に及んだのか、続報が期待されます。

さて、この事件について、Yahoo掲示板の議論を見てみたんですけど、こりゃひどいですね。議論になってない。この手の事件が起こると、この手の掲示板がにわかに盛り上がって投稿数が増えますが、しばらくすると、一気に沈静化します。その投稿内容を見ても、とても議論と呼べるようなものではない(もちろん罵倒をぶちまけるためにだけにやってくる人もいますが…)。結局日本の将来を本気で考えている人なんてほとんどいないんじゃないか、と考えてしまいます。

あと、少年法がよく槍玉に挙げられます。「少年法を撤廃しろ」とかよく見かけます。私も少年法には改善点がいくつかあると考えますが…。それよりも私が問題だと思うのは、ほとんどすべての人が少年法をよく理解することなく、撤廃しろだの改正しろだの主張している、こういう状況がよく見受けられるということです。批判の対象を知らずになぜ批判することができるのか。

何かを批判するのであれば、まずは対象を知る必要があります。これをすることなく批判活動をすることはできません。対象をよく理解することなく批判したとしても、その主張の多くは的外れなものとなってしまいます。これでは議論しても意味がありません。

法律のことは素人にはよくわからない、という人があるかもしれません。たしかに法律は難しいものです。民法なんて1000ヶ条以上あります。素人の手に負えるものではありません。しかし、少年法に限っていえば、その条文数は70ヶ条ほどしかありません。私も以前は少年法についてど素人でしたが、3週間ほどの勉強でなんとか基礎的なことはわかるようになりました。以前は少年法についての書籍が少なかったようですが、現在では一般読者向けに平易な言葉で説明してある本がいくつか出版されています。少年法を批判するなら、まずはこれらの本をよく読むことからはじめるべきでしょう。

「何かを批判するならまずはそれを死ぬ気で理解せよ。それが相手に対する礼儀である。」

整理術の心得

2005年02月13日 21時33分46秒 | 未分類
少し間があきましたが一回でやめたわけではありません(笑)仕事が忙しくて…。

部屋が散らかってます。片付けねば…。整理せねば…。しなければと思っていてもなかなかうまくいかないのが部屋の整理。

整理術と銘打った書籍は結構あります。それだけ、整理ベタな人が多いということでしょう。しかし、その整理術どおりにやってもうまくはいかないものです。要するに、「これさえずれば整理できます!」っていう魔法の整理術は存在しないということでしょう。

そこで、少し視点を変えて、「こんなことやってたら絶対うまくいかない」というものを考えて見ましょう。以下は私の考える「整理術の心得」です。

その壱;誘惑に負けるな
「これは何かに使えるはずだ」
そういうものはたいてい何の役にも立ってくれません。捨てましょう。
「これはいつか使うからとっとこう」
そういうものはいつまでたっても使いません。捨てましょう。

その弐;自分さえよければそれでいい
あなたの部屋はあなたのものです。自分さえどこに何があるかわかっていればよいのです。自分なりの方法で、うまくいけばそれが最良の方法です。一見散らかってるように見えても、あなたにとって使い勝手がよければ、それでいいのです。

その参;本などは内容によって分類して整理するべき?
図書館なんかでよくやってますね。背表紙に数字が貼り付けてあって、その順番どおりに本棚へ…。
この方法は一見うまくいくように見えますが、実はうまくいきません。この方法は図書館だからうまくいってるのです。自宅でこんなことやっても時間と労力の無駄です。図書館と比べた場合自宅の本棚というのは収納スペースが狭すぎます。最初の分類法ではどのあたりに入るのかよくわからない本や、既存の分類の間に新たに項目を設けなければならないような本が入ってきたりしたら、また、いちから分類しなおして、本を仕分けして、本棚へ…。また新しい本が…、分類が…。こんなめんどくさい方法はさっさとやめましょう。
よく使うものは取り出しやすいところへ、そうでないものは端っこのほうへ。これが基本です。

その四;ものを捨てろ!
あなたの自宅は有限の空間です。ものを捨てずに整理しようとしてもうまくいきません。どんどん捨てましょう。ものを捨てずに整理しようとすると、部屋のいたるところにものを詰め込んでいくということになってします。これは整理ではありません。「宝探しの準備」です。

その五;整理は決断だ
結局整理というものは「ものをどれだけ捨てることができるか」ということにかかっています。ものを捨てるか否か。これは自分で決断するしかありません。

ブログはじめました。

2005年02月08日 18時15分47秒 | 未分類
巷で「ブログ」というものが流行っているというので、自分もどういうものかと思い、こうして初めてみたわけで。
まぁ、使っていくうちに「こんなもんか」っていうのがわかっていくんでしょう。あまり説明書は読まないタイプです。
どんな方向性でいくかはまだ決めていません。
とりあえずは日々のニュースに適宜突っ込みをいれていこうかと考えています。どんな角度から突っ込むかはやはり決まってません。
長い目で見てやってください。