瀬をはやみ 岩に瀬かるる たきがわの
われても末に 逢はむとぞおもふ
崇徳院
小式部内侍の大江山、、の歌を覚えてから何年後、
この歌は、それほど知識があったわけではないのに、すんなりとはいってきて、景色や音など浮かびました。
木漏れ日のもと、透明感のある冷たく早い水の流れが,
飛沫をあげて岩にくだかれ二つに別れても、
やがてはひとつの流れになっていくように、
今は離ればなれのいとしい人にも、何時かまためぐり逢いたい。
という思いが伝わってくる、美しく切ない歌だとおもいました。
木漏れ日だのなんだの、脚色しておりますが、あしからず。。。
崇徳院というお名前も、どこか素敵に響いたのかもしれません。
だから、この方の生涯を知った時は、なかなか繋がりませんでした。
父親である鳥羽天皇との関係はよくなく、政争にもやぶれ、最後は都を追われ流されてしまう。。。
爪も髪も恐ろしくのびた生き霊となったとも伝えられていますが、
それほどの怒りと悲しみのうちに生涯を終えたことは、あまりにも衝撃でした。
歌集を編ませるほど歌が好きだったひと。大好きな歌を読み、穏やかに生きたかっただろうなと思います。
それにしても、この歌は、美しいですね。