深夜1時の電話のあと
深夜1時に母が警察に補導された日の朝、
聞きなれない音がした。
96才の祖父に何かあった時のために、呼び出しのベルをつけていた。
忘れもしない2年前の9月1日、深夜1時に警察に母が補導された3時間後、祖父からの呼び出しベルが鳴った。
祖父の元に駆けつけると、『わしはもうダメ、病院へ連絡してくれ!足が痺れてどうにも動かんから、先生に入院させてもらってくれ』
祖父なりに限界を感じてのお願いと思い、病院へ連れて行った。
それから約1ヶ月で祖父は亡くなった。
深夜1時の電話のあと
深夜1時に母が警察に補導された日の朝、
聞きなれない音がした。
96才の祖父に何かあった時のために、呼び出しのベルをつけていた。
忘れもしない2年前の9月1日、深夜1時に警察に母が補導された3時間後、祖父からの呼び出しベルが鳴った。
祖父の元に駆けつけると、『わしはもうダメ、病院へ連絡してくれ!足が痺れてどうにも動かんから、先生に入院させてもらってくれ』
祖父なりに限界を感じてのお願いと思い、病院へ連れて行った。
それから約1ヶ月で祖父は亡くなった。
父が亡くなって4ヶ月後
父が亡くなって4ヶ月後に事件が起きた。
深夜1時に、母の携帯から着信。
恐れていたことが起きた。着信から想像がついた。電話に出ると、声は母ではなく警察だった。
昼と夜がわからなくなった母は、深夜にスーパーへ買い物へ行っていた。深夜に歩いていた母は警察に補導された。自宅まで警察官に送ってもらい事情を聞いた。
それから数日後、警察から連絡があり、警察署へ母を迎えに行った。散歩の途中に帰り道がわからなくなり、通報されていた。
2度目なので何か対策をしてください。と言われたが、なかなか対策が思いつかない。
と思っていたら…
祖父のご飯
祖父には、宅配の弁当を頼むようにした。
ある日祖父から『今日の弁当が届いていない。連絡してくれ』業者に連絡するが、配達していると言われた。詳しく聞くと、母に渡したらしい。
ないはずである。母が食べていた。
母に聞いても、覚えているはずがない。
最初母は、食べたことを忘れているので、『どこにあるんだろう?』と一緒に心配してくれた。母の部屋のゴミ箱から弁当を見つけた時は本当にびっくりした。
それを知った祖父は、かなり怒っていた。
宅配の弁当は、カロリー計算がされているので、母の腐ったご飯と比べると雲泥の差だ。
弁当に関しては頼んで良かったと思う。
母のキッチン
母のキッチンは離れにある。
父の分のご飯の残りを祖父に回していたので、おかずは腐っていた。腐ったものが、テーブルや冷蔵庫にあるので、異臭がしていた。毎週2回、ゴミの日の前日の夜に、キッチンへ行き、片付けていた。1日に3回も買い物へ行くので、同じものが冷蔵庫に溜まっていた。
父が亡くなった後も、しばらくこれが続いた。
『お父さんのご飯は作らなくていいよ』と張り紙をしていても、読んだ後忘れるのか、毎日作っていた。テーブルの上のおかずには、コバエがたかっていた。ホントに食べれたものじゃない。ほぼ腐っていた。
異臭がすごかったので、ある日大掃除をした。冷蔵庫の中を空っぽにして、外せるものは全て外して綺麗に洗った。
ガスコンロのつけっぱなしがあったので、簡易型のIHのコンロに変更。
食器棚のお皿類はよく使う物だけ残して、あとは処分。
大掃除の後は、コバエもたからず、普通のキッチンに戻った。
キッチンは元通りになったが、母は元通りにならない。認知症は進んでいくだけ。
次は祖父のご飯について。
3人の介護
2年前の話になるが、父と母と祖父の3人の介護が重なっていた。
父は肝臓ガンの再発で入院。
母は認知症ぎみ、祖父は96歳で歩けなくなった。
父が入院する前は、父が祖父を病院へ。
認知症ぎみの母と父は生活していた。
父が入院し、3人の介護が始まった。
父は入院なので、病院にお任せ。着替えを毎週持って行くぐらい。
母の日課は散歩、散歩しながら夕飯の材料を買って帰る。当時母は、祖父と母のご飯を作っていたが、祖父いわく、食べれたものじゃない。カップ麺を買って来てくれ、と頼まれた。祖父の部屋に電子レンジと冷蔵庫を買った。サトウのご飯を初めて食べた祖父は感動していた。
母の散歩は1日3キロくらいだったが、散歩に行ったことを忘れて、1日に3回も散歩に行っていた。なぜわかったかというと、冷蔵庫の中とレシートを見れば一目瞭然。
母は、父が入院したことを忘れているので、いつもご飯は3人分用意していた。
キッチンの状況はまた明日。