徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2017-9日光南小来川・黒川神社

2017-09-25 23:46:28 | 自転車
2017 9/24 日光市南小来川周遊コース

爽やかな秋晴れになったので9:00~12:00まで反時計回り南小来川周遊コースへパナチタンで出かける
2つの峠は脚をつかないようにゆっくり上る
峠を下りてくると小来川の黒川神社。通り過ぎることが多いのだが、ちょっと寄ってみる

小来川の中心部に鎮座している【黒川神社】。その歴史は古く、奈良時代とも平安時代ともいわれています。拝殿へと続く石畳は江戸時代に置かれたもので、今なおその姿のまま参拝者を出迎えています。


講和記念の石灯籠  文化7年(1810年)の刻印


聖徳皇太子の碑。 他に日露戦争戦勝記念費などもある


ここから案内板記載の内容
>この黒川神社は昔、星の宮といわれました。大同元年(806年)北関東、都北に百余社の祈念の社を祀ったうちの一つとされています。祭神は経津主命ですが、村では長い間、川と水の神様として崇められていました。
黒川神社という名称は黒川に因んで氏子たちが再三にわたり県に請願し、明治18年に許可を得て改名したものです。
大鳥居とそれに続く参道がつくられたのは文化7年(1810年)、第11代将軍徳川家斉の時代でした。


参道を上り詰め社務所の庭に上った両脇に左右一対の角型の記念碑があり、その碑を見ると、東沢八十五、西沢六十六(うち滝が原の滝尾大権現の氏子二名参加)計百五十一戸が参加してこの参道が造られたと記録されています。
この時代は凶作や飢饉が絶えず村を襲っていたため人口も減少し、人々の暮らしは苦しいものでしたが、当時としてはほとんどの家々が参加しており、それだけ村民の郷土意識が高かった事を示しています。この碑文の筆者は、穂積之徳という江戸の文人ですが、江戸の文化が日光を経由して伝わっていたことがうかがえます


なるほど・・
この付近過疎化が・・  神社前の商店も廃業してしまったようだ

廃校になった小来川小学校の近くに蕎麦屋が何年か前にオープンしている。ここも学校跡なのだろうか
蕎麦 小来川 山帰来   車が沢山停まっていた


日光今市地区にはソバ畑が広がる。蕎麦屋も多い。山間部の白い花のソバ畑がまぶしい


走行距離65km  AVE 23Km/h

午後は足尾にドライブ、足尾歴史観に写真展を見に行く






最新の画像もっと見る

コメントを投稿