12/10 光明寺に行った後、嵐山方面へ。嵐山に行くのには自転車だと桂川サイクリングロードを使うのが多いが、今回は県道をいざ北上。
松尾大社まで来て、ふと思いついたように、鈴虫寺、地蔵院、苔寺 見てなかったなあ という事で・・
松尾大社から少し戻る。地図で場所を探すが、住宅街の中の結構細い道路を走る。案内標識に従い、鈴虫寺に。
住宅街ですが近くに竹林もある
紅葉はさほどでもない。駐車場警備員の人に聞くと、入れ替え制で住職の説法を聞きに拝観するという事なので・・門までちょっと見。石段を登っていくと・・
沢山の人が並んでました。またきます失礼。
鈴虫寺
秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。
華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。
本尊である大日如来のほかに地蔵菩薩も安置しており、全国から地蔵信仰、入学・開運・良縁祈願の方々をはじめ、多くの方が祈願にお見えになります。
鈴虫寺は本来のお寺のあり方を大事にしている。お茶とお菓子をいただきながら、お坊さんの説法を聞く。説法とはかたぐるしいイメージだが、話もユニークで笑いを誘ってくれる。
幸福地蔵があり願いを1つかなえてくれるという
鈴虫寺を後にして、少し南の地蔵院へ。バスのターミナルに自転車を止め、階段を上る。 バス停近くにあったかぐや姫竹御殿。屋根さびてるけど・・
地蔵院(竹の寺)の門と参道につきました
竹林に囲まれた静かなお寺である。観光客も少なくゆっくりとするのにはよかった
余り色は出ていませんが竹林とのコントラストがいい感じです
門から中をのぞきます。竹林の参道。結局 拝観料を払っての見学はしませんでした。そういえば同じ地蔵院というのが京都の街中、西陣あたりにもあったな(別名椿寺?)
地蔵院
衣笠山と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵又は、竹の寺とも呼ばれている。
この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良の山荘があったが、家良の没後、貞治6年(一三六七)に、官領の細川頼之が、宗鏡禅師に深く帰依して当寺を建設した。
JR東海 そうだ、京都行こう。 1994年 秋 地蔵院編
バスターミナルに戻り、案内標識を川沿いに走り、しばらくすると住宅地の北側、山間部を背にした、西芳寺(別名 苔寺)。場内かなり広そう。
ユネスコの世界文化遺産。拝観には事前申し込みが必要。志納3000円。写経、法話
あり。季節が季節だけに苔の綺麗な新緑の頃あたりにおとずれるべきだった。
今となっては悔やまれるが京都の世界遺産の社寺でここだけが訪れずに終わりそう
。塀の外から中を覗くだけ。
参拝者の皆様へ(立て看板より転記)
地元の皆様から参拝の方のバス、乗用車による交通マヒ、騒音、排気ガス、危険性等の訴えがあり、昭和48年春から、歩行者天国、駐車場の別地での設置、公衆便所の改築、観光バスの乗り入れ禁止等の諸対策を各行政当局と協調して行ってまいりましたが、地元の要望の充分なる解決策とはならず、やむなく西芳寺としては昭和52年7月1日より事前に申し込んでいただく少数参拝(庭園だけの拝観でなく、写経、法話、座禅等の宗教行事におまいりしていただく聞法の道場)となりましたので・・
西芳寺(苔寺)
山号を洪隠山といい、臨済宗に属する。
平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
奈良時代、聖武天皇の詔により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられている。
兵乱での荒廃の後、暦応二年(一三三九)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた夢想国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修行の道場となった。
夢想国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめここを訪れて座禅に励んだ人も多い。
現在、3万50平方メートルに達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれている。
百二十余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれている。
また、茶室湘南亭(重要文化財)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築した物で、明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲した事もある。
(立看板より転記)
嵐山 渡月橋にやって来ました。苔寺から自転車で15分。山の木々の紅葉は過渡期を過ぎた色、もしくは今年は気候の関係で茶色っぽくなって終わったかと
11:30分位の橋の通行量はいたって少ない。しかし夜の花灯篭の時間帯はとんでもない人手で・・
松尾大社まで来て、ふと思いついたように、鈴虫寺、地蔵院、苔寺 見てなかったなあ という事で・・
松尾大社から少し戻る。地図で場所を探すが、住宅街の中の結構細い道路を走る。案内標識に従い、鈴虫寺に。
住宅街ですが近くに竹林もある
紅葉はさほどでもない。駐車場警備員の人に聞くと、入れ替え制で住職の説法を聞きに拝観するという事なので・・門までちょっと見。石段を登っていくと・・
沢山の人が並んでました。またきます失礼。
鈴虫寺
秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。
華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。
本尊である大日如来のほかに地蔵菩薩も安置しており、全国から地蔵信仰、入学・開運・良縁祈願の方々をはじめ、多くの方が祈願にお見えになります。
鈴虫寺は本来のお寺のあり方を大事にしている。お茶とお菓子をいただきながら、お坊さんの説法を聞く。説法とはかたぐるしいイメージだが、話もユニークで笑いを誘ってくれる。
幸福地蔵があり願いを1つかなえてくれるという
鈴虫寺を後にして、少し南の地蔵院へ。バスのターミナルに自転車を止め、階段を上る。 バス停近くにあったかぐや姫竹御殿。屋根さびてるけど・・
地蔵院(竹の寺)の門と参道につきました
竹林に囲まれた静かなお寺である。観光客も少なくゆっくりとするのにはよかった
余り色は出ていませんが竹林とのコントラストがいい感じです
門から中をのぞきます。竹林の参道。結局 拝観料を払っての見学はしませんでした。そういえば同じ地蔵院というのが京都の街中、西陣あたりにもあったな(別名椿寺?)
地蔵院
衣笠山と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵又は、竹の寺とも呼ばれている。
この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良の山荘があったが、家良の没後、貞治6年(一三六七)に、官領の細川頼之が、宗鏡禅師に深く帰依して当寺を建設した。
JR東海 そうだ、京都行こう。 1994年 秋 地蔵院編
バスターミナルに戻り、案内標識を川沿いに走り、しばらくすると住宅地の北側、山間部を背にした、西芳寺(別名 苔寺)。場内かなり広そう。
ユネスコの世界文化遺産。拝観には事前申し込みが必要。志納3000円。写経、法話
あり。季節が季節だけに苔の綺麗な新緑の頃あたりにおとずれるべきだった。
今となっては悔やまれるが京都の世界遺産の社寺でここだけが訪れずに終わりそう
。塀の外から中を覗くだけ。
参拝者の皆様へ(立て看板より転記)
地元の皆様から参拝の方のバス、乗用車による交通マヒ、騒音、排気ガス、危険性等の訴えがあり、昭和48年春から、歩行者天国、駐車場の別地での設置、公衆便所の改築、観光バスの乗り入れ禁止等の諸対策を各行政当局と協調して行ってまいりましたが、地元の要望の充分なる解決策とはならず、やむなく西芳寺としては昭和52年7月1日より事前に申し込んでいただく少数参拝(庭園だけの拝観でなく、写経、法話、座禅等の宗教行事におまいりしていただく聞法の道場)となりましたので・・
西芳寺(苔寺)
山号を洪隠山といい、臨済宗に属する。
平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
奈良時代、聖武天皇の詔により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられている。
兵乱での荒廃の後、暦応二年(一三三九)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた夢想国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修行の道場となった。
夢想国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめここを訪れて座禅に励んだ人も多い。
現在、3万50平方メートルに達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれている。
百二十余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれている。
また、茶室湘南亭(重要文化財)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築した物で、明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲した事もある。
(立看板より転記)
嵐山 渡月橋にやって来ました。苔寺から自転車で15分。山の木々の紅葉は過渡期を過ぎた色、もしくは今年は気候の関係で茶色っぽくなって終わったかと
11:30分位の橋の通行量はいたって少ない。しかし夜の花灯篭の時間帯はとんでもない人手で・・
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