足尾銅山観光の出口当たりにあったと思う。 通洞山神社
撮影は2016年7月
大正9年、簀子橋にあった山神社が現在地に遷座した。この神社は江戸時代に銅山の開発に従事した山師らが共同で祀ったもので、
祭神は金山彦命である。建立の時期は不明だが、狛犬の裏面に ”寛保六月癸亥(みずのと い)吉日 願主 下松原町神山清右衛門”という奉納者が刻んである。
寛保3(1743)年という年は、足尾銭の鋳造がはじめられた翌年で、銅山が最盛期を過ぎて下り坂になった頃である。おそらく、銅山の復活を願って奉納したものであろう。
狛犬は雄雌の獅子一組で、頸毛の直旋で区別されている。、社殿は遷座の時に新しく作られたのか、狛犬一双は当時の物を移している。
参考文献:銅山の町足尾を歩く(村上安正氏著)
撮影は2016年7月
大正9年、簀子橋にあった山神社が現在地に遷座した。この神社は江戸時代に銅山の開発に従事した山師らが共同で祀ったもので、
祭神は金山彦命である。建立の時期は不明だが、狛犬の裏面に ”寛保六月癸亥(みずのと い)吉日 願主 下松原町神山清右衛門”という奉納者が刻んである。
寛保3(1743)年という年は、足尾銭の鋳造がはじめられた翌年で、銅山が最盛期を過ぎて下り坂になった頃である。おそらく、銅山の復活を願って奉納したものであろう。
狛犬は雄雌の獅子一組で、頸毛の直旋で区別されている。、社殿は遷座の時に新しく作られたのか、狛犬一双は当時の物を移している。
参考文献:銅山の町足尾を歩く(村上安正氏著)
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