金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

アワの原種がエノコログサ

アワ(Setaria italica)は,エノコログサ(Setaria viridis)と容易に交雑し,
アワの原種がエノコログサであることはよく知られている。という

アワの原種がエノコログサ

エノコログサも住居の周辺で探せば、いくらでも見つけることが出来る。

種は結構大きいので、縄文時代も・・・

 

中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専らアワ(粟米、谷子)であり、
「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったといわれている[注釈 2]。という
また、隋唐で採用された税制である租庸調においても、穀物[注釈 3]を納付する「租」はアワで納付されるのが原則(本色)であった[6]。
先史時代から歴史時代まで、チャイナではアワが重要植物で主食と言うことだったようだ。

それに対して縄文時代以来マメ類は列島においての主要作物として良いのでは無いか。
それは土器の発生からして、マメ類の収集のために開発されたと見られるから
アワはエノコログサが原種と見て良いようだから、採集は穂の状態として採集される、これは土器を必要な容器としない、編み籠でいくらでも採集でき不都合は無い。

もしこのようにエノコログサないしアワを主作物とするチャイナでは、麦類を主作物とする西アジアと同じように、土器開発の必然性に欠けるのでは無いか。麦と同じようにアワには芒があるので、編み籠から目漏れすることも無さそう。

このように考えると、土器造りの世界最初は、これまで霧の中にあったが、縄文時代に有るのとして良いのでは無いか。

図はお借りしました

引用します----ーーーーーーーーーーーー----ーーーーーーーーーーーー

アワ(粟)
Foxtail millet
イネ科、アワ属に分類される一年生草本
原型は雑草のエノコログサ(ねこじゃらし)と推定されている。原産地は中央から西アジアで、シベリア、オーストリアを経て、ヨーロッパには石器時代に伝わったとされる。日本においては、縄文時代から栽培されていたヒエと並ぶ日本最古の穀物で、イネが伝来する前の主食だったと見られる。二千を超える品種があり、現在でも全国各地で広く栽培されているが、その多くがもち種となっている。うるち種は主にアレルギーの代替食として利用されている。
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アワ(粟、学名、Setaria italica)は、イネ科エノコログサ属の多年草。雑穀類。五穀の一つに数えられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AF
中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専らアワ(粟米、谷子)であり、「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったといわれている[注釈 2]。また、隋唐で採用された税制である租庸調においても、穀物[注釈 3]を納付する「租」はアワで納付されるのが原則(本色)であった[6]。
これに対して、華南では稲米は周の時代から栽培が盛んになった[注釈 4]。
青海省民和回族トゥ族自治県の喇家遺跡では、およそ4000年前のアワで作った麺が見つかっており、現在、世界最古の麺といわれている。だが、連作や二毛作を行うと、地力を損ないやすいことや、西域から小麦が伝わってきたこととも相まって、次第に主食の地位から転落することになった。しかし、現在でも中国ではアワ粥などにして、アワを食べる機会は多い。また、「鉄絲麺」という、最古の麺と同じような麺類を作る地方もある。
…日本へはイネより早く伝来し、縄文時代には栽培されていたことが確認されており、日本最古の穀類作物とされている[2]。日本国内の主産地は、長野県と関東地方、岩手県などの東北地方、岐阜県などの東海地方である[1]。
アワは、ヒエ・麦・豆(ダイズ、アズキ)・イネと並んで、神代史上にも記録されている日本古来の五穀である[7]。新嘗祭の供物としても米とともにアワが用いられ、養老律令にも義倉にアワを備蓄するように定められており[注釈 5]、『清良記』などの農書にもアワについての解説が詳細に載せられているなど、古くから、ヒエとともに、庶民にとっての重要な食料作物だった。
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アワ,キビが長期に優占できる場所は,高温期に雨が降り,低温期には乾燥するステップ気候の火山岩地帯である。このような場所では,乾期(冬)に水を得られないので,人間が通年で定住することはできない。

テリトリー内を遊動しながら生活する人間は,水が得られる雨季(夏)だけは,アワ,キビの草原で,キャンプを設けて滞在できる。アワ,キビの子実が稔り始める9月に,群落の近くにキャンプを設ける。男性たちは,ステップに棲息する,オオノロやサイガの狩りに出かける。女性たちは,アワ,キビの群落のそばで,スズメの群れを追い払う。スズメを追わないと,スズメの大群が,脱粒する前のアワ,キビの実を食べてしまうであろう。

アワ,キビが稔ってきたら,穀粒が落ちる前に,穂刈りして収穫し,天日や焚火でよく乾燥させる。乾燥時にも,スズメやネズミに食べられないように,常に見張っていなければならない。脱穀の方法は,手で揉んだり,マドリで叩いたりする。脱穀した子実を,臼と杵で搗いて殻をはずし(脱?),箕で風選する。精白する場合は,さらに臼でゆっくり搗いて,箕で風選する。

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諏訪郡原村菖蒲沢の大石遺跡の住居址から検出されたエノコログサ属の炭化種子は、現在、焼畑で栽培されるアワの実によく似ているという。常に寒冷化の危機にある東日本では、ドングリ類の不作・木の芽の凍死、それに伴う小形動物の減少などに対する対策として野生植物の栽培化が不可欠であったようだ。
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早期縄文時代
 鹿児島県桜島の向かいにある大地から発見された上野原(うえのはら)遺跡。ここでは9500年前から集落が形成され、竪穴住居も52軒と異例の数が発見されている。これはもちろん大量の人が住んで居たというよりは、長期に渡って定住が行われていた事を示している。しかし、竪穴式住居が本土のものよりずっと高く、東南アジア型の石焼き調理の後や、薫製調理跡が残され、土器には貝殻で作った文様が見られるなど、関東や東北を中心とする文化とは異質なものが多々存在する。

 そのため、列島と大陸の分断によって南九州付近に登場した対馬暖流、この黒潮からの分流に乗って東南アジア方面の人々の渡来があり、彼らが中心になって、あるいは混じり合って形成されたのが、上野原遺跡ではないかとされている。(説としては、そんなこともあるぐらいの所か?)

 植物細胞の中に見られるプラントオパールというガラス質物質をもとに土器などから検出される植物跡を分析すると、雑穀と見られるヒエ属や、アワなどが含まれるエノコログサ属が検出され、穀物栽培が他の地域より早く開始していた可能性がある。
また発掘された丸ノミ石斧も、東南アジア、沖縄、南九州で見つかっている南方タイプである。これは丸木船を作るのに利用され、縄文時代に重要になってくる海への適用がいち早く見られる特徴がある。
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(注5)C4植物:   樹木など通常の植物とは異なる光合成回路(ハッチ・スラック回路)をもつ草本類のこと。重たい炭素同位体(炭素13)を多くふくむ特徴がある。
日本列島の植物種ではススキやエノコログサなど10%と少なく、そのままで食用になるものはほとんどない。
黄河流域で1万年前ごろに栽培化された雑穀(アワ・キビ)や中米で栽培化されたトウモロコシはC4植物であり、古人骨の炭素同位体比によって、食生活で占める割合を推定できる。
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臨汾盆地で夏王朝後期の遺跡を発見 中国山西省
c 新華社
東渠遺跡から出土した陶?(とうか)。(資料写真、運城=新華社配信)

 発掘プロジェクトの責任者を務めた山西省考古研究院華夏文明研究所の崔俊俊(さい・しゅんしゅん)副所長によると、遺跡の出土遺物には土器や石器、骨器、玉器、蚌器(大型の貝殻から作られた道具)、玉鉞(ぎょくえつ)1点、欠損した銅刀1点などが含まれる。

人工物のほか、動植物遺物も多く見つかり、浮選法による調査では炭化した植物種子25万粒が確認できた。
アワやキビ、コメ、大豆なども含まれていたが、大半はアワだった。

作物以外ではエノコログサやオニメヒシバ、ヤマハギ、セイヨウエビラハギなどの種子も含まれていた。動物の骨も多く出土し、暫定的な鑑定でウシやブタ、ヒツジなどが特定された。これらの新発見は、東渠の先住民たちが比較的高度な農業生産技術をすでに習得し、アワ栽培を中心に牧畜も営む混合農業生産体系を形成していたことを示している。
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アワ(Setaria italica)は,エノコログサ(Setaria viridis)と容易に交雑し,アワの原種がエノコログサであることはよく知られている。
エノコログサは,イネ科Poaceaeキビ連Paniceaeエノコログサ属Setariaの一年草で,2n=18のC4植物である。別名はネコジャラシで,世界中の温帯に広く分布している。
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アワ,キビが長期に優占できる場所は,高温期に雨が降り,低温期には乾燥するステップ気候の火山岩地帯である。このような場所では,乾期(冬)に水を得られないので,人間が通年で定住することはできない。

テリトリー内を遊動しながら生活する人間は,水が得られる雨季(夏)だけは,アワ,キビの草原で,キャンプを設けて滞在できる。アワ,キビの子実が稔り始める9月に,群落の近くにキャンプを設ける。男性たちは,ステップに棲息する,オオノロやサイガの狩りに出かける。
女性たちは,アワ,キビの群落のそばで,スズメの群れを追い払う。スズメを追わないと,スズメの大群が,脱粒する前のアワ,キビの実を食べてしまうであろう。

アワ,キビが稔ってきたら,穀粒が落ちる前に,穂刈りして収穫し,天日や焚火でよく乾燥させる。乾燥時にも,スズメやネズミに食べられないように,常に見張っていなければならない。脱穀の方法は,手で揉んだり,マドリで叩いたりする。脱穀した子実を,臼と杵で搗いて殻をはずし(脱?),箕で風選する。精白する場合は,さらに臼でゆっくり搗いて,箕で風選する。


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