2018年が明けて、早くも睦月の半ばが過ぎようとしています。私は今月の11日が叔母の49日だったので、それまでお祝いのご挨拶は控えさせていただいていて、喪中であることを示すために普段の白真珠ではなくて黒真珠のピアスをつけていたのですが、7日に叔母の埋葬が行われたので、この日から白真珠に戻りました。奇しくもこの日は友人宅にお茶の初釜に招かれていたのですが、叔母の埋葬も済んだので心置きなく過ごすことができました。
お祝い事は控えるとは言っても、大晦日にストックホルムに残っている友人たちが我が家に集まるのは伝統になっているので、大晦日はしっかりお節料理などを作って行く年を送りました。我が家の大晦日は、家族でなく友人たちと過ごすという点を除けば、概ね日本で過ごす大晦日のように落ち着いたもので、お酒を飲んで大騒ぎをするようなものではありません。喪中であろうがなかろうが、行く年を感謝の気持ちを持って送り、新しく来る年をしっかり迎えるということは大切だと思います。
昨年の大晦日は、できるだけ日本風のお節料理を作ろうと決め、暮れのうちに日本食屋さんで材料を揃えておき、ちらし寿司に入れる具や昆布巻きに使うニシンはお隣の魚屋さんに注文しておきました。そして初めて着物を着て過ごす大晦日にしました。大晦日に集まった友人たちにとって私の着物姿は初めてだったので、私はいつになくたくさんの写真の被写体となりました。着物と言ってもお料理をしたり運んだりしなければならないので、この日は洗える着物で過ごしました。人数が多い年は全部で12人くらいになることもあるのですが、今年は少なめで8人で大晦日を過ごしました。下の写真でお料理と参加者の一部をご覧いただけます。私の隣のアジア人の女性はベトナムの方で、日本人ではありません。

大晦日のお客さんのうちの1カップルがクリスマス休暇でスペインに行って、巨大なスパークリング・ワインのボトルを買ってきてくれたので、結局夜中このワインで過ごすことになりました。私は赤ワイン、白ワイン、日本酒のグラスをそれぞれ準備していたのですが、結局使ったのはスパークリング・ワイン/シャンパン用のグラスだけ。おかげさまで後片付けがとても楽でした。我が家には食器洗浄器はあるのですが、古いクリスタルグラスは食器洗浄器を使うと傷むというので、私はいつもすごい数のグラス(時には12人x5グラス=60個になったりする)を手で洗わなければならず、元日はグラスを洗うのとウィーン・フィルの新年のコンサートを聴くだけで終わってしまうのが常なのです。流石の大瓶も時計が12時を打って新年を迎える頃には空になったので、ここで私が買って準備していたシャンパンを開け、新年はシャンパンと共に迎えました。元日は毎年のことながら大晦日の後片付けとウィーン・フィルのコンサートで終わりましたが、今年も親しい友人たちと新しい年を迎えることができて本当に良かったです。自分自身の家族が近くにいない者たちが集まる場なので、私たちみんなにとって大切な日なのです。
今年のウィーン・フィルのコンサートの指揮者はマエストロ・リカルド・ムーティでしたが、実は私は彼が指揮するコンサートを18日にストックホルムのコンサート・ハウスで聴くことになっています。彼のコンサートは以前にも2回聴いたことがあるのですが、今回もとても楽しみです。数人の友人たちもこのコンサートに行く予定になっていると知って、やはりマエストロ・ムーティの人気はすごいなぁと思っています。
7日の日曜日は、昨年に続きお茶の初釜に招いていただいていました。お茶の初釜と言っても私には茶道の心得がないので、今まで何度か茶事に招いていただいた時に教わった限られた知識で乗り越えようと考えていました。ところが一緒に招かれたお友達のSさんも茶道の心得はなく、私は数回茶事に参加したことがあるというだけの事情から、なんと正客になってしまったのです。もちろん招待してくれた友人のFさん(協力隊OGのFではない)は、私がきちんと正客を勤められるような知識を持たないことは知っているので、ちゃんとできそうもないからといって大きな問題はないのですが、やはり少し責任を感じてしまって前もってインターネットで色々勉強はしておきました。ところが濃茶のマナーと薄茶のマナーをごちゃ混ぜにしてしまったりして、どうも今ひとつという結果になってしまいました。お友達のSさんはすぐに何かに熱中するタイプの人で、早速茶道の作法を身につけることに興味津々です。Fさんは初釜をすることからもお分かり頂けると思いますが、自宅で茶道を教えています。結局Fさん、Sさん、私の全員に都合の良い時に、茶事に出席する時のマナーを教えてもらうことになりました。

この日は初釜ということで1つ紋が入った色無地の着物で行ったのですが、この着物、私が協力隊に参加して留守の時に、母が呉服屋さんに注文して作っておいてくれたものなのです。私の着物ではあるのですが寸法を間違えて仕立てたらしく、合わせがものすごく深くなってしまうし、上半身の部分も大きくてだぶついている感じで、なんだか見栄えが今ひとつです。私が協力隊に参加したのは1988年から90年までの2年と2ヶ月ですから随分前ですが、この着物は仕付け糸がついたままの新品で、今年の初釜に初めておろして着たのです。
さて話はすっかり変わりますが、私は最近全く意図しない体重減に見舞われています。元々痩せ型で、身長160センチで体重は大人になってからは44−45キロでずっと安定していました。体調が悪くてしばらくちゃんと食事ができなくても1キロくらいしか減らない代わりに、たくさん食べても1キロくらいしか増えないという、実に安定した体重を保ってきたのです。今までの人生の中で体重の最高記録は47キロで、それは協力隊の訓練所にいた時でした。3食しっかりすごい量の食事でしたし、食べ物を残すのがいけないことだと思っている私は無理してでも食べていたので、結局47キロまで上がったのですが、この時は体が重い感じで実に不快でした。
そういう安定した体重が、最近普段通りに食べているにも関わらず41キロまで落ちてしまったのです。私自身はどこかが痛いとか、何か異常な症状があるというわけではないので大して気にも留めていなかったのですが、お医者さんの友人が、そんなのんびりしたことを言っている場合ではない、腹部のCTとかエコーを撮った方がいいと言うので、CTを撮ることになりました。私自身癌クリニックで働いていますので、意図しない体重減というのは癌の兆候である可能性があるということは承知しているのですが、なんだかあまり真剣に考えていない私です。
お祝い事は控えるとは言っても、大晦日にストックホルムに残っている友人たちが我が家に集まるのは伝統になっているので、大晦日はしっかりお節料理などを作って行く年を送りました。我が家の大晦日は、家族でなく友人たちと過ごすという点を除けば、概ね日本で過ごす大晦日のように落ち着いたもので、お酒を飲んで大騒ぎをするようなものではありません。喪中であろうがなかろうが、行く年を感謝の気持ちを持って送り、新しく来る年をしっかり迎えるということは大切だと思います。
昨年の大晦日は、できるだけ日本風のお節料理を作ろうと決め、暮れのうちに日本食屋さんで材料を揃えておき、ちらし寿司に入れる具や昆布巻きに使うニシンはお隣の魚屋さんに注文しておきました。そして初めて着物を着て過ごす大晦日にしました。大晦日に集まった友人たちにとって私の着物姿は初めてだったので、私はいつになくたくさんの写真の被写体となりました。着物と言ってもお料理をしたり運んだりしなければならないので、この日は洗える着物で過ごしました。人数が多い年は全部で12人くらいになることもあるのですが、今年は少なめで8人で大晦日を過ごしました。下の写真でお料理と参加者の一部をご覧いただけます。私の隣のアジア人の女性はベトナムの方で、日本人ではありません。

大晦日のお客さんのうちの1カップルがクリスマス休暇でスペインに行って、巨大なスパークリング・ワインのボトルを買ってきてくれたので、結局夜中このワインで過ごすことになりました。私は赤ワイン、白ワイン、日本酒のグラスをそれぞれ準備していたのですが、結局使ったのはスパークリング・ワイン/シャンパン用のグラスだけ。おかげさまで後片付けがとても楽でした。我が家には食器洗浄器はあるのですが、古いクリスタルグラスは食器洗浄器を使うと傷むというので、私はいつもすごい数のグラス(時には12人x5グラス=60個になったりする)を手で洗わなければならず、元日はグラスを洗うのとウィーン・フィルの新年のコンサートを聴くだけで終わってしまうのが常なのです。流石の大瓶も時計が12時を打って新年を迎える頃には空になったので、ここで私が買って準備していたシャンパンを開け、新年はシャンパンと共に迎えました。元日は毎年のことながら大晦日の後片付けとウィーン・フィルのコンサートで終わりましたが、今年も親しい友人たちと新しい年を迎えることができて本当に良かったです。自分自身の家族が近くにいない者たちが集まる場なので、私たちみんなにとって大切な日なのです。
今年のウィーン・フィルのコンサートの指揮者はマエストロ・リカルド・ムーティでしたが、実は私は彼が指揮するコンサートを18日にストックホルムのコンサート・ハウスで聴くことになっています。彼のコンサートは以前にも2回聴いたことがあるのですが、今回もとても楽しみです。数人の友人たちもこのコンサートに行く予定になっていると知って、やはりマエストロ・ムーティの人気はすごいなぁと思っています。
7日の日曜日は、昨年に続きお茶の初釜に招いていただいていました。お茶の初釜と言っても私には茶道の心得がないので、今まで何度か茶事に招いていただいた時に教わった限られた知識で乗り越えようと考えていました。ところが一緒に招かれたお友達のSさんも茶道の心得はなく、私は数回茶事に参加したことがあるというだけの事情から、なんと正客になってしまったのです。もちろん招待してくれた友人のFさん(協力隊OGのFではない)は、私がきちんと正客を勤められるような知識を持たないことは知っているので、ちゃんとできそうもないからといって大きな問題はないのですが、やはり少し責任を感じてしまって前もってインターネットで色々勉強はしておきました。ところが濃茶のマナーと薄茶のマナーをごちゃ混ぜにしてしまったりして、どうも今ひとつという結果になってしまいました。お友達のSさんはすぐに何かに熱中するタイプの人で、早速茶道の作法を身につけることに興味津々です。Fさんは初釜をすることからもお分かり頂けると思いますが、自宅で茶道を教えています。結局Fさん、Sさん、私の全員に都合の良い時に、茶事に出席する時のマナーを教えてもらうことになりました。

この日は初釜ということで1つ紋が入った色無地の着物で行ったのですが、この着物、私が協力隊に参加して留守の時に、母が呉服屋さんに注文して作っておいてくれたものなのです。私の着物ではあるのですが寸法を間違えて仕立てたらしく、合わせがものすごく深くなってしまうし、上半身の部分も大きくてだぶついている感じで、なんだか見栄えが今ひとつです。私が協力隊に参加したのは1988年から90年までの2年と2ヶ月ですから随分前ですが、この着物は仕付け糸がついたままの新品で、今年の初釜に初めておろして着たのです。
さて話はすっかり変わりますが、私は最近全く意図しない体重減に見舞われています。元々痩せ型で、身長160センチで体重は大人になってからは44−45キロでずっと安定していました。体調が悪くてしばらくちゃんと食事ができなくても1キロくらいしか減らない代わりに、たくさん食べても1キロくらいしか増えないという、実に安定した体重を保ってきたのです。今までの人生の中で体重の最高記録は47キロで、それは協力隊の訓練所にいた時でした。3食しっかりすごい量の食事でしたし、食べ物を残すのがいけないことだと思っている私は無理してでも食べていたので、結局47キロまで上がったのですが、この時は体が重い感じで実に不快でした。
そういう安定した体重が、最近普段通りに食べているにも関わらず41キロまで落ちてしまったのです。私自身はどこかが痛いとか、何か異常な症状があるというわけではないので大して気にも留めていなかったのですが、お医者さんの友人が、そんなのんびりしたことを言っている場合ではない、腹部のCTとかエコーを撮った方がいいと言うので、CTを撮ることになりました。私自身癌クリニックで働いていますので、意図しない体重減というのは癌の兆候である可能性があるということは承知しているのですが、なんだかあまり真剣に考えていない私です。