ボストンテリアJ・J&unとうちら陽気な貧乏家族 Part2

ボストンテリアJ・J&unの生活日記

☆ゴールデンウィーク☆

2010-05-05 | Weblog
我が家のゴールデンウィークはとくに何も計画ナッシングぅ~
家でゴロゴロしてようね~なんて言ってたけど急きょ私だけ故郷へ帰ってきました


なんで急きょ?って感じだけど...
4月27日夜10時半。
実家のシェルティのサリーが16歳7ヶ月で虹の橋を渡りました。
昨年は男の子のテニーが17歳で虹の橋を渡り、それを追うようにサリーも逝ってしまいました。
ガンではあったものの本当に長生きしてくれました。
亡くなる前に何時間も体をさすってもらい、大きな声でワンワンと言って、そして母に水をスポイトで飲ませてもらいながら静かに目を閉じて終わりました。

実家に帰っても今でもワンワン吠える声が聞こえる気がして何度も自然に涙は出たけど、でもお墓参りして死を受け入れてきました。私なりにスッキリしました。

サリー、うちの子になってくれてありがとう。
サリーは幸せだったかな?
私達にたくさんの幸せをありがとうね。
本当に後悔のないくらい可愛がって介護をしてくれた両親にも感謝です。


それから99歳になる祖母にも会ってきました。
それも会ってスッキリしました。
祖母には元気な頃いつも言われてた言葉があります。
『双子を生んで育ててくれた両親に感謝しなさいね』
『悪いことをしてなければいいの。堂々としてなさい』
祖母は年齢的に私のことはもう忘れちゃってるけど、でも最後に私に『また会いに来てちょうだいね』って手を振りました。そんで私と握手しました。
祖母の手は大きくて、この手で頑張ってきたんだなって思って涙が止まらなかったです。
めざせ!100歳!日本一!


海の近い私の故郷ではカキやホタテがたくさん獲れるので、新鮮な魚介も食べてきました
 

そして故郷は今が桜満開でした
故郷には祖母や祖父、そして生後7ヶ月で亡くなった甥っ子が眠っています。
病気で7ヶ月という短い命を頑張って生き抜いた甥っ子。
生まれてすぐに手術室に行き、ほとんどを病院で過ごした。
本当に彼は懸命に生きただろう。
人の運命は何だろう?そう思ったこともあるけど、きっと毎日を今を一生懸命生きろっていう無言のメッセージを私達家族に残してくれたのだと思います。
彼の存在は素晴らしい。
ココロの中でずっと生き続けてます。
私の宝です。
ありがとう。感謝します。


そして留守番してくれた、あほあほトリオ
母ちゃんはもう帰ってこないぞーー!って言ってたらしいけど、どうやら私がいなくて楽しかったのは十兵衛だけだったらしー
今回は私がいなくなってunがイジケてたって聞いたけど、どうやらunはいつの間にか母ちゃんっ子になってたらしく、帰ってきた私にずっとくっつき虫してます
まー、とりあえず帰ってきました。
また元気にJ・Jとunとアホ十兵衛とレッツラゴー前進するっス