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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて⑤

2014-07-17 02:42:10 | 毒親への復讐

私が憎悪と殺意、復讐心から解放されるには、狂った毒両親に天誅を下さなければならない。
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前回からの続き。

私の記憶と、のちに親族や知人から聞き出した情報をもとに記録する。

≪1980年代後半~1990年代前半、父シカユキ(保険会社社員・団塊世代)、母マリコ(専業主婦・団塊世代)、私(一人っ子)≫

  • 私が7歳~8歳頃

    結論から先に書くと、私が小学2年生の時に母親はネグレクトをこじらせて育児放棄し、家を出ていく。そして私はアルコール依存の父と二人きりで暮らさねばならなくなった。

    父シカユキはイビリの標的を母マリコから私に移した。

    父は毎日仕事から帰ると深酒し、風呂に入って寝るまで私に延々と人格否定する馬事雑言を浴びせた。

    父は子供の私を見下し、事実と異なることで因縁を吹っ掛け、言葉の端々の上げ足をとり、徹底してイビリ尽くした。

    父は私を抑制した。


    私は父の前で自分の意見を言ってはいけなかった。感情表現もしてはいけなかった。

    家で起こっていることを誰かに喋ってはいけなかった。母親が出ていったことを学校で誰かに話すことは「恥」だと父に口止めされた。

    すべて酒に酔った父の意に沿い、ご機嫌をとり、命令通りに動かなければならなかった。逆らえば単純に捨てられるし、まだ父親に腕力ではかなわないので従って依存するしかなかった。心の中は悔しさと怒りでいっぱいだった。これがのちに父に対する強烈な憎悪となり、復讐心となり、殺意となる。


    ・・・母がやらなくなった掃除、洗濯はすべて私がやるようになった。いつも小学校から帰ってから洗濯をして干していた。

    食事はすべて買ってきたものか、インスタント食品かホカ弁になった。

    ・・・私ははじめ、父からの虐待を誰かに打ち明けたくて仕方なかった。

    しかし仮に誰かに訴えたところで「実の親がそんなことをするはずがない」とされる時代だった。「実の親に対して悪口を言うお前が悪い」と、私が悪者にされる時代だった。被害者であるにも関わらずに、だ。

    親族も小学校の先生も、誰もがそうだった。頼れる大人は一人もいなかった。

    父もそれが解っていて、都合のよい隠れミノとして利用した。自分に矛先が向くことはないのだ。


    ・・・当時、母が出ていったことを知っているのは父方の親族と母方の祖父母だけだった。

    父シカユキは親族に対して「出ていった妻マリコがどれだけ悪どいか」の演説を行い、親族を洗脳して、一躍、「男手ひとつで子供を育てる悲劇のヒーロー」になっていた。

    マリコは親族の間で一気に悪者となった。すんなりだった。

    これは仕方ないのだ。母マリコは実際にネグレクトだったし、父シカユキから生活費という名のお小遣いをせびるだけの人間だったからだ。

    前のブログにも書いたように、母マリコは働くことが嫌いで、金持ちに寄生するか、甘えさせてくれる友達に寄生して30代まで生きてきた人間だ。親の言うことも聞かず、住居を転々として居所をつかませない、詐欺師のような人間だったので、親族からはもともといぶかしがられていた。

    父シカユキの、妻マリコをけなす演説も、親族には「やっぱりか」という感じですんなり受け入れられたのだ。

    かくして父シカユキの表の顔と裏の顔ができあがった。表の顔は「男手ひとつで子供を育てる悲劇のヒーロー」。裏の顔は「アルコールに依存し、暴君として振る舞う毒親」である。

    ここから「狂人毒父」に支配された、苦痛に耐えるだけの毎日が始まった。 

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    ・・・さてもう一つ記しておきたいのは、母マリコが家を出ていくことになった経緯である。

    ここでは、この母親の狂気もいくぶんか見え隠れするだろう。


    母マリコは結果として育児を放棄し、家事を放棄し、「自分のやりたいことをやる」と言って家を出た。シカユキからもらった生活費をいくらか溜めていたようだ。

    ・・・私が幼稚園を卒園し、小学校に上がった頃から話しを始めよう。

    母は子育てに手のかかっていた今までと違って、暇を手にするようになっていた。すなわち、父が会社へ、私が小学校へ行っている時間は全てから解放されるのだ。

    母は昔から絵や詩の朗読、楽器が好きであった。

    暇を持て余した母は、あるモノにのめり込むようになる。それは宮沢賢治作品とオカリナという楽器である。

    毎月10万円を自由に使える母は、高いオカリナを幾つも買い、宮沢賢治の本をまとめてどっさり買ってきていた。

    室内ではオカリナを吹くことができないため、近くの神社の隅までわざわざ出向いて吹いていた。

    私は小学校の帰りにその神社に寄って様子を見ていた。母は全身黒ずくめのレインコートを着て、神社の本堂の横にある倉庫の前に隠れるように立ち、スタンドに楽譜を広げて、足元にいくつもオカリナを並べ、かわるがわる吹いていた。

    曲は古い民謡ばかりだった。よくわからないものばかりだったが、「ゆうやけこやけ」や「春の小川」は分かった。

    まるでプロの芸術家のように気取って取り繕い、周りに人が来ようと目も触れず、狂ったようにオカリナを吹くことにのめりこんでいる。

    黒ずくめの肥ったオバサン。

    異様な光景だった。

    なぜか口紅を付けていて、オカリナの口に口紅がべっとりついていた。

    気持ちが悪かった。恥ずかしくて誰にも言えなかった。

    ・・・また母親は家の中で宮沢賢治の朗読をしていた。「よだかの星」という作品ばかりを読んでいた。

    おどろおどろしく声を震わせ、悲壮感のある抑揚を込めて読んでいた。暗いばかりで気持ちが悪かった。

    家には市販の、宮沢賢治の作品を朗読したカセットテープ集がどっさりあった。

    母はそれを聞きながらずっと朗読していた。

    宮沢賢治の本やオカリナの楽譜がどんどん増え、部屋に置ききれなくなった。衝動買いで相当なお金を使っているが、母の金銭感覚は最初からない。

    ・・・このころから母マリコは自分の「アトリエ」が欲しい!と言い出していた。

    当時は団地の2DKに家族3人で住んでおり、個人部屋などなかった。

    母マリコはしきりに夫シカユキに依存し、懇願するようになった。しばらく怒鳴りあいの喧嘩はないか?と私は思っていたが、とにかく全てを否定して揚げ足をとる父は、まったく認めなかった。

    父は母に向かって「ドアホ、お前にはできん」「そんなもんせんで家事をしろ、ドアホ」「今頃からはじめてできると思っとるんか、ドアホ」「もう金をやらんぞ、ドアホ」・・・と、延々と罵声を浴びせ続けた。

    頭に血が上った母は、やはり怒鳴りだし、「ほんなら、もう家事やらせん!酒も買ってこん!」と反論していた。

    それを聞いて父は「なにをいいよるんか!ドアホ!」と言って、また怒鳴っていた。

    ・・・そうこうしているうちに、母親が自分で団地の空いている3LDKの部屋を見つけてきた。

    そして父親がシラフの時を見計らって、ここに引っ越さないなら出ていく、という趣旨を言ったらしい。

    父がシラフの時に言ったのが効果があったようで(父は家事育児ができないため仕方なかったようだ)、すぐに引っ越すことになった。

    そして3LDKの一室を自分の部屋にしてしまった母親は、以降、そこに引きこもるようになり、オカリナの練習と買い物と風呂以外では出てこなくなった。私だけは部屋に入れてくれたが、父は絶対に入らせなかった。

    母は次第に家事も洗濯も掃除も最小限しかやらなくなっていった。

    オカリナと宮沢賢治の朗読にのめり込み、一日中やっていた。

    父とも顔を合わせないようになり、父が帰ってくる夕方までに適当に料理を作って酒と一緒にテーブルの上に置いていた。

    父は酔っぱらっても文句を言う相手がいなくなったため、ずっとテレビに向かって「ドアホ、ドアホ」と言っていた。

    母が食器を洗わないため、炊事場には食器が山のようになり、洗濯物は洗濯カゴに山盛り3日分溜まるのが当たり前。トイレの汚れは黄色い石になり、ゴミ捨ても1週間に1度行くか行かないかで、溜まった生ゴミにはウジがわいて臭かった・・・。

    父は家事を一切しなかったため、あまりにひどい時は私が皿を洗ったり、ゴミを捨てたり、掃除をしたりした。

    家の中はどんどん不衛生になり、母の部屋は衝動買いした本や楽譜で埋め尽くされ、掃除をしないので菓子の食べカスやゴミが散らかっていた。そんなゴミ部屋の真ん中で、母は黒ずくめの服でずっと宮沢賢治を朗読している(母はいつでも黒ずくめの服を着ている肥ったオバサンだ。私にはまずい健康食品を食わせ、玄米スープをお茶として飲ませるくせに、自分は隠れてコーラをがぶ飲みしている)。

    母の部屋には小さなゴキブリがたくさんいた。母の部屋にゴキブリホイホイを設置すると、次の日には大小7匹以上のゴキブリが入っていた。

    ・・・ある日、母の部屋に行くと、大きなカゴがあった。何だろうと思って母に聞いてみると、中を見せてくれた。

    カゴの中には石がたくさん入っていた。両手で持たなければ持ち上がらないほど大きな石や、手の平ほどの小さな石もある。ところどころに窪みがついていた。

    私が何だ?と聞くと、母は目の下に大きなクマを作ったぶよぶよの顔で、「そこの川で拾ってきたと。石笛にするんよ。」と言って、石の窪みに息を吹きかけた。ブォーっという低い唸り声のような気持ちの悪い音がした。

    母は今度は自然の石笛に興味が湧き、そんなものはお店には売っていないので、白昼堂々近くの川に黒ずくめの服装で行き、河原でたくさんの石を拾ってカゴに詰めて来たのだった。

    ・・・もう母は狂っていた。

    数か月がたち、母の趣味へののめり込みはどんどんエスカレートした。家事も何もせず、部屋に引きこもるようになった。

    仕方ないので、あれだけ家事をしなかった父も皿を洗って洗濯をし、私は風呂を沸かした。

    そういう状態が数か月続き、ついに父は母へお金を渡すのを辞めた。母は一時的に発狂したが、すぐに部屋に引きこもった。

    私は母に張り倒されたくないので、そっとしておいた。

    母はすぐにお金がなくなり、「お金がない、お金がない」と青い顔で連呼するようになった。

    財布の小銭を数えながら箱に10円、1円と書いてマスを作りチャリチャリ入れていた。夜な夜なチャリチャリお金を数える音が部屋から聞こえて気味が悪かった。


    次第に母は昔のように不機嫌になり、発狂寸前になっていった。

    家事をしない母を疎ましく思っている父も鬱憤が溜まっていき、ついに、かつてない夫婦喧嘩が勃発した。私は一部始終を見ていた。

    ・・・泥酔した父シカユキが、「なんしようとか!ドアホ!」と叫びながら、引きこもる母の部屋のフスマを蹴破り、部屋の隅に逃げる母を尻目に、母の部屋にある楽器を投げ散らかし、楽譜を破り散らし、本を蹴り散らかして、つぼに入った文房具を、つぼごと母に投げつけた。

    瞬間、母はかつてないほど発狂し、目を血走らせて歯をむき出し「なんするか!はがいい!」と口から泡を吹いて叫びながら父に掴みかかった。

    かつてない母の発狂ぶりに父はひるんでいた。いつも最後は自分の言いなりになると思っていたからだ。しかし母は父にお金をもらっていない以上、父の言いなりになる理由がない。所詮、金だけのつながりだったのだ。

    ・・・そのまま父と母は罵り合いながら取っ組み合ってキッチンへ躍り出て、母がフライパンで父の頭を殴打した。

    父は網戸に背中から突っ込んで、ベランダへ放り出された。

    母は父から掴まれた腕から出血していた。

    父には血の滲む無数のひっかき傷と頭の打撲、網戸に突っ込んだ時の切り傷があり血が出ていた。

    ・・・ここでこの不仲な夫婦は一つのピークを迎えた。

    次の日、母は荷物をまとめて、早々と家を出ていった。

    続く。

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