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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて⑩

2014-07-21 12:32:56 | 毒親への復讐

引き続き、私が受けた虐待の記録。私の経験と、のちに親族や毒親の知り合いから聞き出した情報をもとに作成している。

≪1990年代前半から後半。福岡県大野城市。父シカユキ(保険会社社員・団塊世代)、母マリコ(専業主婦・団塊世代)、私(一人っ子)≫

  • 私が12歳から16歳頃

    毒両親は私を「山村留学」へ追いやることに失敗した。

    息子を捨てたくても捨てられなかった毒両親。精神的にはすでに一人息子を認知せず殺していた。

    加えて醜く不仲な夫婦仲も露見してしまった。

    今まで隠し通してきた家庭内不和が親族やアカの他人の前に露見してしまったことで、毒両親のタガが外れ始める。

    今までと違い、その狂気を周囲に隠さなくなってきた。

    そして自分たちのワガママを満たすために強引に振る舞うようになっていった。

    ちょうどこの頃の私も小学校高学年から中学校に上がる頃だったので、ある程度自分のことは自分でやるようになり、手がかからないぶん毒両親のネグレクトが加速した。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    ・・・あれだけ私を支配しコントロールしていたアルコール依存の毒父シカユキが、私をほったらかすようになった。毒父シカユキは単独行動を好むようになり、フスマを締め切った部屋でテレビを見ながら深酒し、文句を言い続けるのが日課となった。相変わらず家事育児は全て妻マリコに任せたことにして、酒ばかり飲んでいた。

    毒母マリコは完全に家庭内別居し、夫シカユキとは生活費を無理にくすねる時以外、顔を合わせることがなくなった。相変わらず公民館で行うアマチュアオカリナ教室で、老人から小銭を巻き上げる毎日だった。家事育児には無関心。炊事場には洗っていない食器が山のようになりゴキブリが這っていた。捨てに行かない生ゴミからはウジが沸いていた。風呂の壁は一面がカビで真っ黒になっていた。洗濯物だけはするようで、やはり教室で人に会うためか、身なりの体裁だけは整えたいようだった。

    毒母マリコはオカリナ教室を理由に、小学校や中学校の行事への参加はまずしなかった。小学校の卒業式にも中学校の入学式にも来なかった。他の子の保護者たちはカメラでパチパチ自分の子供を撮っていたが、私の姿を撮影する人間は誰もいなかった。

    毒母マリコは授業参観にも運動会にも来なかったし、運動会や遠足の弁当を作ることすら嫌がった。料理は早く切り上げたいがために雑であり、早く火を通したいがため常に強火にするので、肉や魚がいつも焦げて固くなった。味噌汁はダシも入れず、ぶつ切りにした皮付きの野菜を適当に入れて味噌とかき回しただけだった。残飯のようだった。

    毒母マリコは自分の作ったものはあまり食べなかった。食べたいものは外で買い食いして食べているらしく、前にもましてどっぷりと肥っていた。

    毒父や私には、
    地方生協グリーンコープのまずい無農薬自然食品を相変わらず食べさせていた。これは私が家を出て10年以上経っている今(2014年現在)でも続いているようだ。

    ・・・毒母マリコは、自分がやりたくないことをやっている時は常に不機嫌だった。そして自己中心的な行動には拍車がかかっていた。

    あるとき毒母マリコは、急に何も言わずに1週間ほどフランス旅行に行っていたこともあった。オカリナ教室の老人が多めに金を包んでくれたのだろうか?羽振りが良かったらしい。単身では怖いからと、自分の老いた母親も連れて行っていた。困った時の臨時のサイフ代わりだろう。毒父と私には了承を取っていることになっていたが(ふつう主婦がたった一人で海外旅行に行くというのは考えにくい)、毒父も私も知らなかった。旅行から帰った毒母は、どっぷりと肥えていた。

    毒母マリコは何かと自分の母(私の祖母)に甘えた。オカリナ教室が忙しい事を理由に家事をしに来てくれと説き伏せ、祖母が家事手伝いに1週間もやってきたことがあった。毒父は嫁の母の前で泥酔して文句を言うわけにもいかず、ペコペコしていたが不機嫌だった。

    そして今度は毒父まで自分の母を呼び、同じく1週間家事をさせたこともあった。おおかた嫁がオカリナ教室にかまけて家事をしないからとでも言ったのだろう。悲劇のヒーロー気取り癖がまだ抜けていなかった。そんな時の毒母はまるで成功した芸術家のように振る舞い、オカリナ教室と偽って外食し、夜遅くまで帰ってこなかった。

    さすがにこの光景を見た両祖母も、この家庭のおかしさに気付いて、毒父、毒母、それぞれの子にアドバイスをしたようだが、毒両親は自分達にとって都合の悪いことにはまったく耳を貸さなかった。

    両親族にも、祖母づてに私の家族の異様な家庭環境が伝わっていたのだが、「あっちの家族の問題だから、いちいち干渉しない」と面倒くさがって無視した。


    ・・・ここで親族が総出で毒両親を裁き、苦しんでいる私を助けてくれていたら、どんなにか私の人生が変わっていたことだろう。人を信用することができるようになり、憎悪も殺意も消えていたかもしれない。

    しかし、親族が私に助けの手を伸ばすことはなかった。

    私はまだ自立することもできない状況のなか、自分一人でこの異常な状況を生き延びなければならなかったのだ。


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    毒両親のネグレクトは加速した。毒父も、毒母も、ほんど私に干渉しないようになった。

    あれだけ過干渉だった毒父が学校のことすら、勉強のことすら聞いてこなくなった。もうどうでもいいという感じだった。毒父は朝起きて、作り置いてある不味い妻の料理を食い、誰とも話さず仕事へ行き、自分で酒を買って帰ってくるとフスマを閉めて自分の部屋に閉じこもってテレビを見ながら文句を言っていた。休日は一人で山に出掛け、昼の早い時間にはもう帰ってきて、部屋に引きこもって酒を飲んでいた。

    (毒父は私が小学生の頃までは毎日、私を支配、監視しながら罵声を浴びせていたが、私が身の危険から空手を習い始め、中学に上がって空手部に入り、高校受験が近づく頃には毒父は私に対する態度を変えていった。自分が老いていき、私がどんどん成人していくため、勝てぬと踏んで身を引いたのだ。この毒父の小ささ。自分が安全でなければ威張ることすらできない。相変わらず私のことを見下し、人格を否定して罵っていたが、明らかに私に対する恐怖心も持っていた。)

    毒母からは勉強について何か言われたことがない。毒母にとっては、自分のワガママに没頭することが人生なのである。相変わらず自分勝手な行動ばかりしていた。

    私が小学4年の終り頃、急にクラスの担任から母について尋ねられた。今度、小学校に私の母が来て宮沢賢治の「よだかのほし」の朗読と、オカリナ演奏会をするというのだ。私はまったく毒母から聞いていなかった。

    クラスの担任は私の母がオカリナ教室を開いている「芸術家」であると、クラスの生徒全員にホームルームで喋った。みんな驚いて凄いと言っていたが、私はちっとも嬉しくなかった。むしろ怒りが沸いていた。噂は学校中に広がった。

    毒母は決して担任が言うような「芸術家」ではない。家庭も育児も犠牲にして自分のやりたい趣味に没頭し、金が欲しいからと暇な老人を騙して、善意を巻き上げていたにすぎないのだ。

    いったいどこから小学校で演奏会をするという流れになったのだろうか?老人たちからのツテか。

    毒母のアマチュアレベルの趣味の領域でしかないお遊戯を、小学校全体がオファーして舞台に立たせてしまったら、毒母がまるでいっぱしの、それこそ芸術家のようになってしまう。

    それは嘘の姿だ。

    家事もせず、食事もまともに作らず、私を苦しめ、私の人生を踏み台にしてやり続けていた毒母の趣味が、まるで正当で素晴らしいことになってしまう!

    ・・・むしろそれが毒母の狙いだった。

    小学校教師の誰もが毒母のことを「家事育児をしながら芸術を頑張ってきた、ひたむきな女性」だと認識し美談に仕立て上げた。まったく違う嘘の姿を信じて吹聴した。

    小学校を騙し、操った毒母も毒母である!天性の詐欺師だ!

    「お母さん凄いね~」と教師たちから言われるたびに、私の心の中は怒りで満たされた。

    幼少の頃は、うるさいからと私を張り倒して馬乗りになって顔を数十発ビンタし、「やりたいことができん」と言って家庭も私も捨てて出ていき、その間アルコール依存の毒父の相手を私一人にすべて押し付け、金の無心のために寄生するように帰ってきてからはネグレクトの家庭内別居のまま自分勝手な趣味に没頭していただけの毒母。

    その事実を捻じ曲げて、まるで無かったことにし、さも英雄のようにスポットライトを浴びようというのだ。この毒母は。

    やるもやったり、騙したり。なんという策士。

    どこまで私の心に傷を刻み込むのか?

    ・・・憎悪がどんどん沸いてきた。

    家に帰ってこの件を毒父に話してみた。すると毒父は「聞いとらんし、知らん。そんなこたない。お前は嘘を言いよる。」と、私を見下して嘘つき呼ばわりである。

    毒父が私を嘘つき呼ばわりするのはシャクだったが、毒母は毒父にも内緒で小学校演奏会の段取りを組んでいた。確かに家庭内別居だったし、毒父に何を言う義理もない。

    かくして、毒母の策略である小学校での演奏会は行われた。

    体育館に全校生徒が集められ、私の担任から「家事育児をしながら芸術を頑張ってきた、ひたむきなお母さん」という内容の紹介がなされてしまった。


    毒母の今まで私に対して行ったネグレクトや暴力がなかったことにされ、毒母に対して周囲が清廉潔白なイメージをもってしまった瞬間である。

    ステージに立った全身黒づくめの肥ったオバサン・・・演奏の内容は毒母の趣味丸出しだった。年寄りしか知らないような地方の古い民謡ばかりを力づくで吹き鳴らし、おどろおどろしい声で宮沢賢治の「よだかのほし」を読んだ。

    生徒たちは、チャゲ&飛鳥やBzなどのJPOPをリクエストしていたが、毒母はまったく聞かないし、興味がないので知らない。

    毒母のオカリナによる古い民謡ばかりが流れ、小学生には理解しがたい暗い話の音読に生徒たちは辟易していた。

    バカな教師たちだけが拍手を鳴らしていた。バカな教師たちは、毒母を通して自分たちの時代の古い遺物の押し付けができて万々歳なのだ。全生徒たちが私の毒母とバカ教師の犠牲になったのである。

    私の心の中は、バカな大人たちへの揺るぎない不信と、毒母に対する恥と、憎悪でいっぱいだった。

    これで私がいくら毒母の虐待を叫んでも、誰も信じないし、聞かなくなった。

    事実は歪曲されたのだ。

    驚くべきことに毒母は、この演奏会を私が小学6年の頃にも行っている。当然、毒父は知らない。毒母が秘密裏に段どっている。

    どこまでも私の心を踏みにじる毒母と毒父。


    ・・・後から関係者に聞いたのだが、私の毒母はすべて無償でやると言っていたそうだ。だが、それでは頼んだ手前の教育委員会のメンツがあるので、小学校側はそこそこの額を包んだらしい。

    毒母は教育機関や文人に取り入るのが上手い。とりわけ老人に取り入って、そのチカラに依存して操る。

    私は毒母から私に向けたメッセージを感じた。(どげんね。私はここまでまわりに認められとるんよ。あんたを無視したり虐待したことは水に流しい。どうせあんたが虐待されたことを喋っても、誰も聞かんよ。悪者はあんたになるだけやけん)。

    私は毒母の悪行の口封じまでされてしまった。

    ・・・そして今回の件は、結果として小学校を含めた地域全体が私一人を虐待した行為に等しい。

    私は小学校からも地域からも刃を向けられ、事実の歪曲を強要された。

    私だけが真実を知っていた。

    以降、度重なる苦痛が限界を迎え、人間不信となり、毒母・毒父への怒りと憎悪に心が満たされた私にはストレス障害が発症する。


    つづく。

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