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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて②

2014-07-15 18:39:32 | 毒親への復讐
私にとって毒親両親に対する復讐は、天誅と同一である
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私は両親への憎悪に25年以上憑りつかれている。それはもはや殺意にまでなっている・・・。
前回のブログでは、私の両親に対する憎悪と復讐心についての考え、両親が行った虐待行為をネットに晒す趣旨、毒親たる両親の狂った人生について記し晒した。
 
今回は私が両親から受けた虐待記録を具体的に記し、晒すことにする。
 
また両親から受けた虐待の記録を晒す過程では、周囲の親族や社会の無理解と無関心が見えてくる。
 
・・・虐待を受けて育った人間にとって、過去のつらい記憶と向き合うのはとてもエネルギーがいる。
 
フラッシュバックだけでもつらいのに、それを意図的に思い出さなければならないからだ。
 
しかし、私がつらく苦しいからと言って虐待された記憶を封印する行為自体が、毒親をつけ上がらせ、毒親が犯した罪を闇に葬り、まるで虐待など無かったかのように毒親を振る舞わせる事態となってしまうのだ。
 
前回のブログにも書いたが、虐待された苦しみは私の記憶からは一生消えないし、思い出すたびに苦しまされる以上、過去に受けた虐待を許すことは決してできないのだ。
 
このつらい虐待経験を少しでも克服するためには、自分の中に押し留め、両親の脅迫と洗脳から封印した記憶を、すべて白日の下に晒す必要がある。
 
それこそが毒親の天誅につながるのだ。
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ここからは、私が出来る限り鮮明に記憶している両親の虐待行為を、幼少期から特にひどい虐待が起こった年の順に晒していく。私が大人になってから親族を問い詰めたり、両親の知人から聞いた情報も加味して晒していく。


《1980年代中ごろ。福岡県北九州市。父=シカユキ(保険会社社員・団塊の世代)・母=マリコ(専業主婦・団塊の世代)。私(一人っ子)。核家族世帯。団地暮らし。》
  • 私が3歳の頃

    両親の怒鳴りあいの夫婦喧嘩が毎日あった。父親は夕方、仕事から帰ってくると必ず深酒をし、寝る直前まで飲んでいた(父親の深酒は毎日のことであった。休日は午前中から夜まで飲み続けていた。父は完全にアルコール依存である)。

    母親は父親が帰ってくると機嫌が悪くなり、父親が仕事へ出る朝までは家の中にピリピリと張りつめた雰囲気が漂った。父母の怒鳴りあいが、いつ起こってもおかしくはない。一気に家の中が不機嫌になる。


    当時の私は、父母が激しく罵り合う喧嘩を毎日見ながら何もできず恐怖していた。父母の喧嘩が始まると、部屋の隅に離れてオモチャで遊んでいた。私は恐怖を消すために楽しいオモチャの世界にのめり込んだ。だが度々聞こえてくる母親の金切声と父親の怒鳴り声を聞くたびに恐怖と悲しみが全身を襲い、全身の力が抜ける絶望的な感覚を味わった。父母が取っ組み合って喧嘩する様も何度も見た。心が張り裂けそうだった。・・・なぜ父母が仲良くできないのかわからなかった。

    ・・・父親は仕事から帰ると暴君になる。酒を飲んで威張り散らし、酔っぱらって、母親に小言、皮肉、文句を言い続け、上げ足を取りつづける。母親はそれに何かと反応して感情的に爆発し、すぐに怒鳴り合いを始めた。エスカレートすると取っ組み合いになるが、力勝負になるといつも母が負け、結局は父親の言いなりになり、不機嫌ながらつまみを出したり風呂を沸かしたりと、まるで下僕のようになる。父親もそれを当然として母を支配し、見下しながら母親にあれこれ命令してコントロールしていた。

    ・・・母親は専業主婦であった。毎月、生活費として25万も父親からもらっていたそうだ。変に逆らうと生活費がもらえなくなるため、母は父にいくら食って掛かろうと最後には身を引く。

    後に記すが、生活費を25万も貰っていた母マリコは、かなり裕福であった。安い団地の家賃や食費・光熱費・子育て費用を差し引いても手元には10万円以上残る。もともと金銭感覚のない労働嫌いの母マリコは、この金で服や画材、楽器、ビデオなど、毎月欲しいものを買いあさっていたうえに、父に額が少ないと言って怒鳴っていたのだ。


    母は父からもらう生活費に依存していたため、父の支配を受け入れつつも内心は不満だらけだった(この不満がのちに幼い私に向けて爆発する)。

    父は当時、花形と言われた保険会社に勤めており、世はバブルへ向かっている好景気だった。父は母に生活費25万を渡してもなお余裕があったようで、夜中まで飲み続けて帰らないこともあった。私としては父の帰りが遅い時は夕方から怒鳴りあいがないので気が楽なのだが、そういう日は夜中になってからひどい怒鳴りあいが始まり、私は蒲団の中で一人両親の罵声を聞きながら気分が悪くなったものだ。


    ・・・父シカユキは結婚生活というものを「支配-被支配」のシステムだと履き違えた。働いて金を持ってくる自分が支配者で、それに追従する妻と子供は何でも言うことを聞く下僕にならねばならないと思っていた。

    また、この父シカユキの性格はイビツにゆがみきっており、とにかく物事をマイナスにしか解釈せず、小言、不平不満を言いだしたら延々と止まらない。人がいれば喧嘩腰で話し、上げ足を取ってあおる。
    後に記すが、この父親はテレビのニュースやバラエティ番組を見ながら一日中酒を飲み、テレビに向かって一人で延々と文句を言っていたこともある。・・・狂っているのだ。そしてこの父親の内面は小さい。


    この当時、まだ父は私に対しては何もしなかった。というよりほぼ無関心でネグレクト状態だった。私が幼いため、小言をぶつけてもまだ理解ができないと踏んでいたのだろう。むしろ標的は母だった。

    その母も内心は不満だらけなのだが、お小遣いを含めて25万もくれるシカユキに依存していれば、食いっぱぐれがないうえに日中は遊べる。仕事もしなくてよい。ただシカユキの機嫌に沿って食事を作り、酒を出し、風呂を焚いていれば、あとは適当に子育てをしていればいい。

    母マリコの子育てについてだが、非常にモノを与えることが多かった。幼い私が泣いたりグズッたりするとすぐお菓子やオモチャを買い与えた。

    しかし、私がお菓子やオモチャで泣き止まない歳になる頃から母マリコは子供がわずらわしく面倒になり始め、もともと持っていた狂気を出し始める。

    母マリコは私が言うことを聞かないと「はがいい!はがいい!」と急に怒鳴りだして癇癪を起し、私を平手で張り倒して馬乗りになり、私の顔を数十発ビンタした。私は初めて「死」を意識した。女の力であったので命に別状は無かったが、ぶたれた所は痛かった。

    ・・・私を産んだ本人が、私を殺そうとする。

    悪質なことに母マリコは公衆の面前ではこの狂気を見せることはなかった。誰からも見えない家の中で急に母の発狂は始まるのだった。
    おそらくシカユキから受ける毎日の支配からのストレスと、自分が利己的に振る舞えないストレスも一緒にして、母は幼い私にぶつけてきたのだろう。あまりにも突発的で感情的すぎる。


    のちに私はこのことを親族や祖父祖母に相談するのだが、「そんなことはない。作り話だ。」と言われて一蹴される。

    親が子に対して虐待をするなんてことは、ありえないと思われていた時代だったのだ。また、多少親が子に暴力を振るったとしても、それは躾だと解釈される時代だったのだ。


    私は子供ながらに誰も信じられる人がいなくなった。すべての人が疑わしかった。私の言うことを信じてくれる人はどこにも、一人もいなかった。

    私は父親は嫌いだったし、唯一守ってくれると思っていた母親にも、幼くして裏切られたのだ。たぶんここで色んな感情が死んだと思う。・・・いや、この時点で私は精神的に殺されていた。両親からは存在しないことを望まれていたのだから。この時の悲しみ、絶望感、喪失感は、のちに両親への激しい憎悪と殺意、復讐心になる。また親族・社会に対しても激しい怒りを抱く結果となる。


    ・・・3歳の頃の記憶から始めたが少し長くなりすぎたので、続きは次回へまわすことにする。
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アルコール依存だが経済的には一家の収入源である父シカユキが、その権利を逆手にとって家族を支配し、コントロールしようとする。

母マリコはそれに刃向い不満を言うが、働かず金を得て娯楽をむさぼるためにはシカユキに依存せざるをえない。己の利己主義のためには金が必要なので、最後には父に従う。

母はだんだん子育てとシカユキの相手が面倒になり、のちに家を出てゆく。

標的を失った父シカユキは、私を新たな標的としてイビリ尽くしていく。
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5 コメント

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私は50年以上毒親に憑りつかれたままで、もう逃げ... (毒娘)
2014-07-19 23:04:03
「毒になる親」「不幸にする親」
「魂の殺人」「身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価」やアダルトチルドレンの本と出逢ったのが、今から1年前で、その2か月後母が認知症になり私は逃げそびれてしまいました。
あと10年私が若かったら体力・気力も残っていて対策も出来たかもしれません。
ただ貴方様のブログは私の気持ちの代弁者であり共通している部分が非常に多く共感できました!その若さで、そこまで探究&分析しているとは驚きました。良い情報を有難うございます。
私はもう若くはないので、私の残った人生は今よりも負の怒りを少しでも減らして、両親には憐みの感情を持てれば、それでいいと思うようになりました!
諦めるのではなくて、もうどうする事もできないのだ!という現実を認めて生きています。
読んで (名無し)
2017-05-13 17:28:47
2度と親に会わないように、親を殺さなくてもほっとけば死ぬから。そんなゴミどもに2度と関わらないで自分の事だけを考えて生きていくように、人を憎むのは疲れるからそんなことに力をつかうのはもったいない
読んで (名無し)
2017-05-13 17:39:23
立派にまともな大人になって偉いね、親子だから縁が切れないけど近ずいたらダメ、物理的に離れる以外にないと思います
正月 (ゆり)
2018-01-03 23:22:19
同じ親私は義理の父に心ない仕打ち夜中に小学生の時に自動販売機でお酒買って来いお正月風邪で寝込んいるのに朝ぱらにまだ治ってないのに今すぐに実家にとゴメンね薬で眠い横になっている母は実の母2ー3才の時に里子に出されて今も聞く無許可の託児所保育所小さい子供虐待する託児所においてきぼりお金未納で父親違いの弟年子と突き返されたまた無許可のもぐりの託児所にまた父親違いの弟お前の上には養子出した兄がいる会いたいとはお前が生まれる前に余所の人にあげたから愛しいともおまわない年末に50才になった私本当に風邪で薬飲んで眠いから許して一方的に来いで無料いい今年正月に、来るなともともと実家に帰るのいやな私お酒飲んでかけて来る携帯電話に悲しい最後の正月3日のあさ
Unknown (Unknown)
2019-12-13 00:14:56
毒親晒し

母 高山ひとみ 大和市在住

父 高山だいき

子 高山たくみ

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