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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて③

2014-07-16 00:34:12 | 毒親への復讐

毒親である両親に虐待された経験は一生消えないし、忘れることはできない。そのつらい経験が私を苦しめる以上、毒親両親を許すことはできない。
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私は両親から虐待された。これは事実である。

抵抗できない幼少時、誰の目にもつかないように囲いを作って行われた虐待は、明らかに虐待することを目的に仕組まれていた。

実の両親が実の一人息子を虐待する。

侮辱し、無視し、無理なことをやらせ、揚げ足をとってイビリ尽くす。私が身の危険を感じて空手を習っていなければ、確実にひどい暴力へとエスカレートしていただろう。

私は私に虐待をはたらいた両親を絶対に許さない。また、虐待を認めず無視した親族と周囲の社会も許さない。

私は両親を25年以上憎悪し続けている。殺意もある。頭の中のイメージで何度も両親を惨殺した。

幼少期から激烈な復讐心の中で生きなければならなかった。ストレスで奇病にかかり、青春時代は暗黒だった。

・・・苦しんで苦しんで苦しみぬき、耐えて耐えて耐えまくった。

30代になった今、もうこんなくだらない苦しみを終わらせたい。苦しむこと自体がバカらしい。

両親の悪事に天誅を与え、私は新たな人生を歩む。
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前回の続きから始めよう。私が鮮明に覚えている記憶と、親族や知人から聞きだした情報をもとに記録する。

≪1980年代後半。福岡県北九州市~大野城市。父シカユキ(保険会社社員・団塊世代)、母マリコ(専業主婦・団塊世代)、私(一人っ子)≫

 

  • 私が4歳~5歳頃

    私自身がひどく荒れていた記憶がある。いつも団地の砂場で親同伴で遊んでいた。私はそこでいつも遊んでいる友達たちのガキ大将のようになっていた。

    (・・・私は幼年期にしては太っていた。私がグズつくと母親がすぐに菓子を与えていたからだ。どんなに食べても母親は怒らなかった。だが私がワガママを言ってあれもこれもと無いものねだりをし始めると、母親は「はがいい!はがいい!」と叫びながら発狂して私を張り倒し、顔面を数十発往復ビンタして「はがいい!はがいい!もう知らん!」と言って、泣いてしがみつく私を蹴った。この時の母親の形相の醜さを覚えている。感情的になって目を血走らせ、歯をむき出しにし、ヨダレや泡を吐き散らしながら全力で私を張って、蹴った。まともには見えなかったし、とても子供相手にする行為とは思えない。今思うとストレスを私にぶつけていたようだ。女の力でなかったら、私は死んでいただろう。母は私に無関心なのだ。子育てが面倒なのだ。そとづらで子育てしているように見せているだけなのだ。私の中の母親像はどんどん崩れていった。)


    私は太っていて体格がよく、腹の立つことがあるとすぐ手を出して友達たちを殴っていた。一緒に来ていた母親マリコは止めもしなかった。相手の母親が止めに来ていた。マリコは言い訳のように「男の子だから仕方ない」という趣旨を言っていた。相手の母親が驚いて絶句していた顔を覚えている。おそらく母マリコはこの頃からすでにネグレクトになり始めていたのだろう。子供より自分の楽しみが最優先のため、子供が何をしようと我関せずなのだ。

    しばらくして母マリコはあまり公園の砂場にこなくなった。買い物だなんだと理由をつけて、私だけ置いてどこかへ消えるようになった。

    私はすぐ喧嘩をする子供だった。抵抗してくる奴がいると、馬乗りになって顔面を叩いた。これは私が母親から受けた暴力を真似ただけである。脳裏には常に私に馬乗りになって醜い形相で私の顔をビンタしまくる母親の姿があった。

    この母親の発狂は、誰の目にもつかない室内でのみ行われた。外だと母親はどんなに腹が立っていても粘り強く我慢していた。その我慢したストレスがさらに母親の発狂に輪をかけた。それに加えて夫シカユキからのイビリと暴言があるので、母マリコの感情は常に臨界点だったに違いない。私は家では母が発狂しないように子供ながらすごく気を使っていた。それは今度は私のストレスの一つになり、発散する場が砂場で遊んでいる時しかなかった。太い体格差を有利に友達を殴ったし、力で支配して従わせた。私は威張り散らしていた。そこにカタルシスを覚えるしかなかった。・・・たぶんみんなからは嫌われていただろう。私は友情よりも、支配して君臨する喜びに浸った孤独で視野の狭いガキ大将だった。

    ちなみに暴君となって支配して威張り散らす、という行為はアルコール依存の父シカユキが家で暴君のように振る舞っていたことの真似である。「抵抗できなくさせる者=支配者」というイメージが幼い私の頭の中に出来上がってしまっていた。父シカユキが深酒し、妻マリコと幼い私が自分に抵抗できないことを知って、小言を言い、あら探しをして上げ足を取り連ね、徹底してイビリ尽くし、我が物顔で威張り散らす。そういう小さい人間の真似を私はしてしまっていたのだ。


    ・・・我ながら最低であったと思う・・・。そして私は、自分で見た両親の振る舞いと、両親から受けた虐待を、自然と真似てしまい、関係ない他人にまでその被害を押し付けていたのだ・・・。

    悪意は自分の正体がばれないように周囲を自分と同化させようとする。虐待の影響とは怖いものであり、悲しい事実である。

    虐待に抵抗のできない子供は、自然と毒親に同化していたのだ・・・(のちに私はそれに気づいて悔しくなり、一変して引っ込み思案になるのだが)。


    確かに考えてみれば当時の幼い私は、家庭内不和を当たり前のものとして受け入れてしまっていた。両親が毎日怒鳴りあい、父親は常に深酒をして小言を言い続け、母親はそれにいちいち反応して不機嫌になって発狂しそうになっている。そういう家庭が当たり前になっていた。


    これは、毒親の家庭が確実に子供を蝕むという事実だ。

    ・・・しばらくして父親の仕事の都合で、それまで住んでいた北九州市を離れ、福岡県の大野城市に引っ越すことになった。

    団地の砂場で最後にみんなと遊んだ時のことを思い出すが、みんなほっとしているように見えた。私はいつものように威張り散らしていた。

    私は暴君になって威張れれば良かったのだ。父親のように。

    そして次に行く場所でも暴君になって威張り散らしてやろうとまで思っていた。

    だがどういうわけか、そうはならなかった。

    長くなったので次回にしよう。

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