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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて①

2014-07-14 21:24:59 | 毒親への復讐

 

「長くかかった、深い、無限な、永遠な苦痛に報いるためには、それが可能である場合、わたしは相手から与えられたのと同じような苦痛を与えてやりたいと思うのです。」― アレクサンドル・デュマ・ペール作「モンテ・クリスト伯爵」35:撲殺の刑より・岩波文庫

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私は1980年代初頭生まれである。性別は男。現在は家族との関係を断ち、首都圏で一人暮らしをしている。

ここに記すのは私が20代前半まで育った福岡県での出来事。これは全て私自身が幼少のころから実際に経験した事実であり、両親からの虐待があったことの証明である。

そして今も私がそのトラウマに苦しまされていることの証明でもある。また親族・社会の無理解と無関心があったこともここに記す。誰もわかってくれないのだ。

・・・私の心は両親からの虐待によって幼い頃から引き裂かれた。

母親からは暴力(私が抵抗できないことがわかっていて行う)とネグレクト、父親からは支配とコントロール、精神的な侮辱、毎日寝るまで続くイビリ、外にばれないようにふるう暴力・・・。私は両親への強烈な憎悪と復讐心に憑りつかれた。そのまま25年以上生きている。

憎んで憎んで憎みつくした。両親の惨殺イメージを頭の中で何度も繰り返した。ストレスや奇病に苦しんで苦しんで耐えまくった。

・・・だが、もう疲れた。

この経験を一般に語ったところで誰にも理解されないし、何を叫んでも誰も聞かない。私自身が親の洗脳のせいで抑制してしまったところもある。

ちなみに虐待された経験というのは、同じ経験をした被害者たちと細々と共有できるのみだった。こういう経験は、ある程度健常な人には理解されないのだ。それほど狂った家族のもとに育ってしまったのだ。

・・・しかし私は幸いにも親元から離れることができ、視野の狭窄した囲われた牢獄のような世界を飛び出して別の世界を知ることができた。

そこにきてなお、親への憎悪と復讐心は晴れなかった。幸せにしている人間たちが憎たらしかった。自分だけがこの世で一番苦しんでいる感覚があった。

・・・さすがに年齢を重ねるごとに知識や処世術もついてきて視野は広がり、憎悪に疲れてきたし悲観に固執したくもないのだが、虐待された経験は忘れることも、許すこともできないのだ。

・・・私は泣き寝入りはしない。悪事を為した者は必ず報いを受けるべきなのだ。

私の復讐心は天誅と同一である。

その天誅の一環として、ネット上に両親の虐待=悪事を晒すことにした。

もちろんネット上なので信憑性は疑われるだろう。だが、両親の罪を白日の下に晒して裁き、私の苦しみと無実潔白を証明するためには、数多くの人間が目にすることのできるアーカイブとして、ネット上に記録を残すことが一歩を踏み込むためにも重要だと考えた。

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私の家庭はいわゆる機能不全家庭で、家庭内不和であった。

父、母、私の核家族世帯であり、高度経済成長期から流行していた集合住宅団地に暮らしていた。私は一人っ子だったために被害を一身に背負った。

3歳の頃の記憶からだが、両親は毎日怒鳴りあっていた。

以下は私の両親についてだが、私の経験と、私が親類や両親の過去を知る人物から見聞きして集めた情報をもとに記す。

・・・父親のシカユキはいつも泥酔するアルコール依存者であり、酒を断たない日はなかった。団塊の世代であり、学生の頃は東京で過激な学生運動(全学連)に参加していたらしい。大学(国士舘だと記憶している)をいちど追い出され、他の大学(不明)に再入学したそうだ。そこでも学生運動を続けていたらしい。出身は福岡県の朝倉市。4人兄弟(姉、シカユキ、弟、妹)の長男。目は色弱。シカユキの父は大工の棟梁(この父もアルコール中毒だった)。シカユキを大工にしようとするが色弱と不器用だったため大工にできなかった。シカユキは屋根に仮設した小屋に引きこもるようになり、詰め込み暗記で大学に合格し東京へ逃げる。大学入学に反対したシカユキの父は学費を出さず、シカユキの母が密かに費用を出していたそうだ。・・・余談だがシカユキの叔父が冷酷な人間で、いつも折檻されていたらしい。ちなみに経営者の家系である。

・・・母親のマリコは依存癖のあるネグレクトであった。団塊の世代。大分県中津市出身。2人姉弟の長女。マリコの父は高校の校長で厳格であり、マリコを殴ることがあったそうだ。マリコの母は沖縄から嫁いできたのだが複雑な家庭環境で育ったためかネグレクトだった。
マリコは東京の美大に進学し、アルバイトなどは一切せず仕送りのみで生活。美大卒業後は甘えさせてくれる医者の息子や金を持っている友人に依存し、どういうわけか東京都内で引っ越しを繰り返していたらしい(借金踏み倒しの夜逃げか?)。30代前半までそういう生活を続けていたというからロクなものではない。とにかく働かず、甘えさせてくれる誰かに依存して食いつなぐという情けない人間。その内実は極度の利己主義で、遊び人。自分にしか興味がない。他人などどうでもよく自分の興味関心のあることしかやらない。衝動的に動き、面白いと思ったものには盲目的にのめり込み金を使う。絵と楽器が好きで、コロコロと興味を変える。そしてすぐに飽きる。油絵、デッサン、彫刻、石笛、オカリナ・・・時には数十万円する画材セットを買ってすぐに飽きて捨てたという話も聞いた。行動が極端であり、金銭感覚がない。幼稚。自分の思い通りにいかないと発狂して「はがいい!はがいい!」という奇声を上げ癇癪を起し暴れる。

私が抵抗できない幼少期(3~5歳頃まで)、発狂した母親から馬乗りになられて押さえつけられ、顔を往復で数十発ビンタされたことを覚えている。理由はうるさいから。・・・私はこんな利己主義な母親から生まれたということを生涯恥じるし憎悪する。私はこの母親を何度も頭の中のイメージで惨殺している(これについては父親も同様だが)。

この狂った二人が出会うのは福岡に帰ってきてからである。どういうわけか二人とも出戻りで福岡に戻ってきているのである。
東京で何かあったに違いない。父親の場合は学生闘争だろうが、母親の場合は詐欺でも働いたんだろうか?私が知る限り家族内では東京の話題は出なかったし、東京に行こうともしなかった。意図的に避けているきらいがあった。

そしてこの半狂乱の二人の出会いだが、ある哲学者を中心に開かれていた読書会だったという。

哲学者とは九州大学の滝沢克己という哲学者で、当時年齢も70歳に近い方であり、キリスト教神学や東洋思想から独自の哲学を展開している方だった。若い頃からかなりの秀才だったそうだ。
・・・なぜそのようなハイレベルな哲学者の読書会に私の両親が通っていたのか?・・・父親については学生運動の名残だと考えれば合点がいくが、母親については正直接点が不明である。私が仕入れた情報によれば友人(女性)の紹介だというが・・・ろくでもない母親は哲学者の読書会に通う女性に依存して、今度は何をしようとしていたのか?そこが気がかりでもある。 
・・・余談だが私の母親はこの哲学者・滝沢克己から処世についての手紙をもらっている。母親はよほどひどい性格だったことが伺える・・・。

こういった背景と経緯で私の父親と母親は出会い、まわりの勧めもあって結婚し、私が生まれた。
・・・その後、両親の喧嘩から家庭は崩壊し、毒母は家から出ていき、毒父は酒とカルトのようなイデオロギーに固執し、幼い私を支配しコントロールし、屈辱を与え、暴力をふるい、外から見えない檻の中に閉じ込めてイビリ尽くすのだった。
長くなったので、ここで一旦区切る。次回は私がこの毒親である両親から受けた具体的な虐待を記し、記録しようと思う。
参考までに私が自分が受けた虐待と向き合い、抑圧を開放する一歩を踏み出す参考となった本を紹介して終わる。
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