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毒親~両親への復讐・虐待の証明と記録・憎悪に憑りつかれて⑪

2014-07-22 12:17:36 | 毒親への復讐

このブログも気づけば11回目になっていた。

自分の過去と向き合いながら、自分の中に封印していた苦しみをどんどん外に出すことができてだいぶ楽になってきたとともに、大人になってから改めて省みてみることで、いろんな発見がある。

はっきり言えるのは、私の両親がどうしようもない「人でなしのクズ」であり、小さい人間であったということ。

そしてその小さい人間に執着し、怨念となって人生を無駄に過ごしてしまった自分がいるということ。つかめた幸せはたくさんあったのではないか?とも思うが、不思議と後悔がない。

これは必然なのである。条件は十分にそろっていた。

毒両親を許すことは絶対にできないし、してはいけない。

・・・私自身が復讐の鬼と化したのは、そうなるべくしてなったのである。

それは私が望んだことではなく、毒両親自身が、私をそう仕立て上げたのだから。


私の魂は、幼少の頃に毒両親に殺されている。それ以降の私は毒両親を地獄に叩き落とすための復讐鬼だ。

奇しくも毒両親は自分たちで自分たちの悪行を裁く存在を創り上げたのだ。

これは天誅である。私が背負っているのは天誅なのだ。


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引き続き、私が受けた虐待の記録。私の経験と、のちに親族や毒親の知り合いから聞き出した情報をもとに作成している。

≪1990年代後半。福岡県大野城市。父シカユキ(保険会社社員・団塊世代)、母マリコ(専業主婦・団塊世代)、私(一人っ子)≫

  • 私が16歳から18歳頃

    この頃、ついに私がストレス障害で「顔面麻痺」という奇病にかかる。毒両親からの虐待と世間からの無視により、子供の頃から強烈なストレスにさらされてきたので、必然的な発病とも言える。

    私は苦しみに耐えすぎて、ボロボロだった。

    私の苦痛の叫びは、世間も親族も誰も聞こうとしなかった。

    だが、私一人だけが毒両親の悪行を知っている。私だけが真実を知っているのだ。

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    当時は、ちょうど私が高校受験の歳でもあり、かなりピリピリしていた。失敗が許されないからだ。

    家庭環境は冷えきっており、毒両親の家庭内別居は完全なものとなり、家事炊事は雑極まりないものとなっていた。

    衛生環境も悪く、捨てに行かない生ゴミからはウジが沸き、ホコリは溜まり、炊事場には洗わない皿が山積み、トイレには汚れが固まった石が付着し、風呂場は一面がカビで真っ黒だった。私は学校と受験勉強の合間に出来るところを掃除していたが、毒両親が綺麗にしないため、すぐに汚くなって追いつかなかった。

    さて毒父だが、乳離れできない子供のように酒を手放さず、相変わらずのアルコール依存で、基本的には家事にも育児にも無関心。誰からも相手にされないので単独行動になり、自分の着るものや食べる物がないときだけ、雑な洗濯や炊事をするようになった。すべて自分のためだ。自分にしか関心がない。そのくせ私の高校受験に対して異常に口を出してきており、「失敗したらどうなるか、わかっとるんか」と、私と顔を合わせる度に小言として言っていた。毒父が私を罵るクセはついに治らなかった。

    毒母は私の高校受験など眼中になかった。必要な時以外、部屋に引きこもって出てこない。家族の誰とも顔を合わせようとしない。もう何10年も続いている自分の趣味への没頭と、小銭稼ぎで始めた老人向けオカリナ教室に忙しく、掃除はしないし、家事炊事は極力やらない。仕方なくやったとしても雑。毒母の作る料理は不味すぎて食べられたものではなかった。必ず肉は焦げていた。洗濯だけは自分の身なりを整えるためにやっていた。そのついでで家族の洗濯物も洗われていた。

    この冷ややかな家庭環境の中、誰に応援されることもなく私は受験勉強をやっていた。部活も辞め、家にいたくなかったので、毒父を言いくるめて塾へ行き、平日は夜の8時まで家に帰らなかった。

    私は勉強に何の興味も沸かなかったが、高校受験のために機械になってやっていた。有無を言わせない詰め込み教育。疑問を持ってもいけない。全てが面白くない。子供の頃から毒両親に抑圧されて遊べなかった鬱屈が常にあった。いったい人生のどこに楽しみがあるのか。人間など誰も信用できない。ただただ苦しいだけだ。面白くないことしかなかった。

    私は耐えすぎて感覚が麻痺していた。ストレスのオンパレード。誰も助けてくれないし自分でもどうしようもできない。希望があるとすれば、さっさと大人になってこの環境を飛び出すことだ。

    なぜ私がここまで苦しまなければならないのか?原因は言わずと知れた毒両親だ。私を地獄に突き落とし、平気な顔して生きている。さんざん私を足蹴にし、罵り、恥をかかせ、支配した。なぜこんな奴らがのうのうと生きているのか?間違っている。いづれ毒両親をぜったいに殺してやる。

    ストレスと憎悪と復讐心と殺意・・・。その衝動が正気を保たせてくれた。時折飲み込まれそうになって、もうここで毒両親を殺してやろうか、とさえも思ったが狡猾に踏みとどまった。待て、しかして希望せよ・・・。


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    当時の世の中はちょうど少年犯罪が流行っていた頃だったし、日本全国で押さえつけられた子供たちの叫びが渦巻いていた。

    神戸の酒鬼薔薇事件をよく覚えている。こいつの家庭も機能不全だった。

    だが、酒鬼薔薇の衝動的で、ターゲットを履き違えた行動を見るに、それじゃダメだろ、と思った。俺ならもっと上手くやる。怨念のこもった相手(毒両親)を的確に確実に仕留める。相手がもっとも苦しむ方法を選択し、絶望の中に叩き込み、生き地獄を味わわせる。ただ殺してしまうのでは相手に安らぎを与えることと同一になってしまうから、相手の命が続く限り、徹底して苦しめなければならない。死を望んでもなお死を与えず苦しめなければ、奴らの報いにならない。

    酒鬼薔薇は衝動で殺った。私は天誅で殺る。

    ・・・そんなことを悶々と考えていた記憶がある。

    毒両親を殺すイメージもたくさんした。

    (過激な表現のため割愛)

    ・・・私の内面は、毒両親への殺意でいっぱいだった。

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    毒両親は狂っている。そして私も狂わされた。というより私の人格、魂はすでに毒両親に殺されているので、ここに残っているのは毒両親への怨念だけである。

    ただ純粋に、天誅を下す怨念だ。

    純粋な憎悪、純粋な復讐心、純粋な殺意。

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    私は虐待のストレスと闘いながら、毎夜、布団の中で毒両親を憎悪した。

    他人は誰も信用しなかったし、できる根拠が無かった。

    この環境から飛び出し、再起を計って復讐するためだけに受験勉強をして、行きたくもない高校へ進学した。

    苦しみとストレスしかなかった。

    そんなストレスの真っ只中、高校1年の5月初頭である。

    朝起きると、私の左顔面が麻痺して動かなくなっていた。力が入らない。舌の左半分が痺れている。

    鏡を見ると左顔面だけ力が抜けて垂れ下がり、酷い顔になっていた。半開きになった口から水が落ちるので、うがいもできない。

    食べ物を口に入れても、左半分が閉じられないのでボロボロ落ちる。

    いったいなぜ私がこんな仕打ちを受けねばならないのか。罰が下るべきは毒両親だ。私がこれ以上苦しむ理由がない。天まで私を苦しませるのか・・・。

    天を憎んだ瞬間だった。私はこれ以降、神や宗教を一切信じなくなった。

    私だけがどこまでも不幸のどん底に落とされている気分だった。


    毒父は「どうしてそうなったんか?お前が悪い!」とずっと言いながら私を九州大学病院に連れて行った。毒母は我関せずで、自分の仕事の用意をしていた。「私は車の運転ができんとよ!」と怒鳴っていた。

    大学病院では「原因がわからない」とされ「治療しても完治できるかわからない」と言われた。副作用の強い副腎皮質ホルモンというステロイド系の飲み薬を渡されて飲んだが、まったく効かなかった。

    大人になった今(2014年現在)、いろいろ調べてわかったのだが、顔面麻痺は大病院ではなく、それ専門の病院に行って早期に治療しなければ治らない病気だそうで、早期に手を打たなければ後遺症が残ってしまう、厄介な病気だった。

    原因も、神経に入ったウィルス説や脳出血説などいくつかあるが、まったく特定に至っていない。西洋医学では太刀打ちできないのだ。

    ・・・私の感覚では、度重なるストレスで神経が焼き切れた、という答えが強い。憎悪して憎悪して歯を食いしばり、よく顔には力を入れていた。

    原因は間違いなく毒両親が私に与え続けてきたストレスだったのだ。

    結局、私の左顔面には後遺症が残ってしまった。実は大学に合格して毒両親の元を飛び出し、関東に来て以降、顔面麻痺専門の針治療に専念し、なんとか麻痺した神経を再生させたが、完璧とまではいかなかった。私の左顔面の神経はいくつか死んでいる。

    ・・・思春期真っ只中、ストレスだらけの中で、顔面麻痺になり、高校生活は地獄だったのは言うまでもない。

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    思えば私の人生は生まれてから大学に行くまで毒両親に苦しめられっぱなしだった。歳を追うごとに不幸になっていた。

    すべての原因は毒両親の自分勝手な行動からくる虐待だ。

    これは確かにその通りで、私が東京の大学に合格して上京し、毒両親から離れてからは、だいぶ落ち着いた人間らしい生活を送ることができた。

    私は、ほとんど狂気と言っていい苦しみの中で育ったため、一人暮らしもすんなりと馴染み、無関心で冷たい東京がむしろ落ち着き、大学を卒業してブラック企業に就職してからは、虐待家庭と同じ組織の臭いを感じ取れ、無知蒙昧で阿保な人間達からの誹謗中傷もたいして気になるものではなかった。

    私の感覚は変なところで鋭くなっていた。


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    私は2014年現在、親と縁を切っているが、今でも毒両親を憎悪しているし、許す気は全くない。毒両親など早くから親だと思っていない。

    毒両親も、もう70近い。やがてくるだろう毒両親の葬式など出る予定はない。毒親の葬式は私を裏切った親族どもにやらせる。毒親に遺産などないから、誰もプラスにならないだろうが。

    ・・・私は毒両親が出す狂気の中で生き残った、言わば戦災孤児だ。

    既に普通の世の中では生きていけない人格だ。

    常識というものの腐敗がわかっている。

    狂気を見た人間こそが、正しいものを見極められるのかもしれない。

    狂気に甘んじている人間たちのことが、よく見える。

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