九寨溝、九寨溝ツアー、九寨溝現地ツアー、四姑娘山ハイキングツアー、チベットツアー

自然満喫の九寨溝、黄龍ツアー、四姑娘山ツアー、パンダツアーhttp://www.jiuzhaigou-tour.com

チベット観光、チベットツアー

2012-02-25 16:38:40 | 日記
ラサポタラ宮
7世紀に建立されたと伝えらているラサポタラ山のチベット仏教の寺院です。ここは、歴代ダライラマの宮殿として扱われ、重大な宗教、政治式典はここで行なわれました。1959年までは、チベットの宗教、政治の中心でした。現在の壮麗な大宮殿は50年余りの歳月をかけて17世紀に建立されたもので、ユネスコの世界自然遺産として登録されています。チベットの輝かしい文化を代表する雄大な宮殿で、ラサ及びチベットのシンボル的役割を果たしています。「ポタラ」はインド語で、「フダラ」或いは「フダ」とも訳せます。「フダ」とは観音菩薩の所在地の意味ですので、「ポタラ宮」は中国第二の「フダ」とも呼ばれています。紀元7 世紀に建立されて以来、ソンツェンガムポ王からダライ.ラマ 14 世までの 1300 年間のうち、9 名のチベット王と 10代にわたってダライ.ラマがそこに住み、国家政治を治めました。
紀元 631年、当時の吐蕃王国王ソンツェンガムポは唐玄宗皇帝の娘.文成妃を娶るために、ラサ市中心部の紅山にポタラ宮の工事を着工させました。当時完成したポタラ宮は 1000 室もありましたが、自然災害と戦争で何度も破壊されました。現存のポタラ宮は歴代ダライラマ、特にダライラマ 5 世と13 世の努力で立て直されたものです。敷地面積 41 ヘクタール、本館は高さ 117 メートルの13 階建て、東西 360 メートル、南北 270 メートル、 建築総面積は約 12 万平方メートルです。建物全が主に紅宮と白宮の 2 つ部分からなっています。紅宮には歴代ダライラマが埋葬されたチョルテン(仏塔、卒塔婆を意味する)、様々な仏殿と経典を保存する経堂などがあります。白宮はダライラマのオフィスとプライベート空間です。

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四川省黄龍風景区、黄龍観光

2012-02-25 10:18:28 | 日記
黄龍は、1992年九寨溝と共に世界遺産として、2000年には国連の世界生物圏保護区として登録されています。
その独特な奇妙で秀麗かつ閑寂とした、カルスト溶岩で世界でも有名です。
紺碧の水が幾重にも重なった段々畑のような景観で、まるで玉や象牙のようです。
水面の色が水底の沈殿物と季節の移り変わりによって、違った姿を映し出し、「人間の仙境」とも称されています。

黄龍の名前の由来
 黄色いカルスト溶岩で覆われている景観が、金色の龍が岷山の生い茂る木々の間を曲がって登っているように見えるため名づけられました。

黄龍が形成された経過
 緑いっぱいの山に囲まれた黄龍は、何千何百の池と色とりどりの湖から成ります。
 何万年の歳月を経て、大量の石灰を含んだ地下水が雪解け水とともに流れ出て、黄龍で再び湧き出し、沢山の小河を形成します。
 水底に溜まった石灰は時間と共に、厚さ数十㎝、高さ10~200mまでの硬い堤となり、地形の変動に合わせ、また新しく石灰の堤ができます。これを繰り返し、さまざまな形の堤が湖を取り巻くようになります。
黄龍の池は大小約2300あります。谷沿いに登って行く順に8つの地区に分けられ、それぞれ特色が異なります。

迎賓彩池 入り口を過ぎると、林を背景に光輝く池は、
まるで客人を出迎えるかの様であるため、
「迎賓彩池」と名付けられました。
明鏡投影池 面積は約3600平方メートル、静寂の森の中で青空と雪山が水面に映り、
まるで詩画のようです。近くの道端に は、アツモリソウなどの花が見えかくれしています。
争艶彩池 面積約2万平方メートル、約500の大小の池からなり、その川底に沈殿した鉱物が池によって違い、また周囲の植物や、日差し、時間、及び角度により、金色緑色、真紅、オレンジ色などに見え、非常に鮮やかで美しいです。
旅行社のパンフレットでよく見られる観光名所で、黄龍では「五彩池」に次ぐ2番目の見所です。
体力の弱い方はここまででも十分に満足できるでしょう。
五彩池 面積約21000㎡の黄龍最大の観光スポットです。
源に一番近く、一年中水が豊富です。冬も凍結しません。
「人間世界の瑶池(中国で天に住むといわれる仙女の池の意)」と呼ばれ、黄龍最高の名所の風景は言葉でいい表せないほどの壮麗さです。雪山が眼前に広がり、心も癒されます。五彩池は黄龍寺の裏側にあり、五彩池を観覧した後に、展望台からも眺められます。
黄龍の滝群
「飛瀑流輝」高さ約10m、幅約60mで、銀色の龍のように滝つぼの中に飛び込み、圧巻です。
「金沙鋪地」大量のカルシウムが広範囲で湖底に沈殿しており、光を反射して川底できらきら輝き、眩しいほどに心を奪われます。

黄龍のお寺
「黄龍寺」 道教のお寺で、関羽の像などがあります。
「黄龍中寺」 休憩所ではチベット麦の餅、コーヒーバック(但し、かなり割高)など購入できます。


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楽山大仏と峨眉山へ観光、楽山大仏峨眉山ツアー

2012-02-24 19:31:47 | 日記
峨眉山の位置?名前の由来気候
峨眉山は四川省成都市から南へ約160キロに位置し、面積は約300平方キロです。山間には、急崖絶壁と渓流、滝があり、中国では「峨眉は天下に秀たり」と称えられています。山の形が少女の眉毛のように見えるため、峨眉山と名づけられました。
峨眉山の主峰は万仏崖で、標高は3099メートルです。山の頂上と山麓は2500メートルの落差がありますが、気候区分がそれぞれ異なります。山麓は亜熱帯に属し、中腹は温帯で、頂上近くは亜寒帯です。山麓と山頂の温度差は、15度もあります。

峨眉山の寺院
峨眉山は中国仏教四大聖地の一つです。寺院の建立は漢代より始まり、各時代ごとに増改築が進み現在に至っています。明と清の時代には、大小百近くの寺院が建立され、普賢菩薩の道場として一躍有名になりました。最も有名な寺院は報国寺、伏虎寺、万年寺、及び山頂にある華蔵寺です。

峨眉山の自然資源
その植物資源の豊富なことから、中国では「古きよき植物王国」として親しまれています。特異的な気候区分の為に、約3700種の植物が分布しています。国務院により国家一級の「重要保護野生植物」に指定されたハンカチノキ(中国語表記?珙桐gongtong)は中国が原産です。ハンカチノキは最初に四川省で発見され、その後貴州省、湖北省、雲南省でも発見されその分布は広いです。山の気候区分により標高1250mから2200mに生息するといわれています野生動物は2300種余りが生息しているといわれ、なんとジャイアントパンダもいます。の中では峨眉山の国家二級の保護動物である「チベットモンキー」(中国語表記?藏猕猴ツァン?ミ?ホウ)が有名です。
ちなみにチベットには生息していません。ニホンザルと同じMacaca属に分類されます。
観光客に餌をねだる姿がよく見られるものは、同属のベニガオザル(中国語表記?短尾猴トゥアン?ウェイ?ホウ)ですが、猿達はかなり凶暴ですので、むやみに近づかないように注意してください。

峨眉山の自然特異現象
天候の変化により、日の出、雲海、「ブロッケン現象」、「聖燈」が見えます。「ブロッケン現象」ドイツ語を語源とした表現ですが、日本では「御来迎 (ごらいごう)」とも呼ばれ、見る人の背後から差し込んだ光で、その人の影の周囲に、虹に似た光の輪が見える山岳気象現象です。1年の間のうちに77日間このような日があるそうです。「聖燈」とは、夜間しかみることの出来ない、月の無い夜、暗やみの夜中に豆粒のような光が見え、これが百、千になり、谷や山にあふれる現象です。

峨眉山の観光方法
昔は山麓から山頂まで歩行するしかありませんでした。石段は約二万段もあり、上り下りともにそれぞれ1日掛かりでした。現在は山麓から雷洞坪までセメント道路が出来ており、車で楽に登ることが出来ます。山頂には宿泊施設があるので、日の出や夜間特有の景観を見たい場合も、ゆっくり滞在して観光できます。峨眉山の名所を観光するのは有料エコバスです。(エコバスとは、中国語で「環保車」と表記し、環境保護バスを指します。) # 他の一般車は峨眉山内通行禁止
まず報国寺付近の駐車場のエコバス乗り場から乗車?雷洞坪にて下車した後、金頂ロープウエー乗り場まで20分ほど歩きます。そしてロープウエーで金頂に到着します。下山の時は同じく雷洞坪にてバスに乗車し万年寺で降車できます。万年寺は往復ロープウエーがありますが、体力に自信のある方は、復路の万年寺~清音閣間を歩行観光しても可能です。あるいは、万年寺から他のルートをとってのハイキングも可能です。

金頂
金頂は峨眉山で2番目に高い峰で、標高3077メートルです。ロープウェーから降り、少し階段を上ると、大きい広場が見えてきます。天気がよく見晴らしがいい日には、西側の海螺溝の「ミニヤゴンガ」山を見ることが出来ます。しかし、山頂の天候は変わりやすい為、比較的周囲の景色が見にくい時が多いです。金頂には、華蔵寺と臥雲庵の寺院があります。さらに、金頂賓館の隣からケーブルカーに乗ると、さらに上部の3099mの「万仏崖」に行けます。
ケーブルカー料金: 往復で50元
ケーブルカー所要時間:10分
万仏頂では、眼下のすばらしい眺めが堪能でき、万仏頂の鐘を鳴らすことができます。

万年寺
峨眉山の山麓からほんの少し上った所にあり、標高800~1900メートルの間。峨眉山八大寺院の一つで、晋時代に建立され「普賢寺」と名付けられました。唐の時代には「白水寺」と改名され、明時代から「万年寺」と呼称されました。古い寺院は落雷で焼失し、現存は1986年に再建されたものです。寺院の隣に川が流れ、非常に静かで雰囲気がいいです。時間に余裕油のある方は、さらに川沿いに歩くと「清音閣」まで観光できます。片道、約40分かかりますが、そのままエコバス乗り場から乗車できます。
万年寺の普賢殿は木材と釘を一切使わず、レンガを使用し、屋根の建築形式はチベットラマ教、本体はインド仏教の寺院を模倣し、四百年以来、18度もの地震と火災でも、全く損壊のないまま保存され、四川省の「重要文化財」に指定されています。

報国寺
峨眉山の山麓にあり、標高550メートル、気温は暖かく樹木が多く、寺院が多い所です。
各寺院の古代建築、貴重な華厳銅塔、古い鐘等、仏教文物は見ごたえがあります。報国寺は峨眉山仏教協会の総本山であり、峨眉山仏教活動が盛んです。玄関の左右には明朝に彫刻した獅子の像があり、上には報国寺という康煕皇帝の親筆があります。明朝の1615年に最初に建立された時には、儒教、道教、仏教という三つの宗教の信仰内容が混在する寺院でした。清代1652年に現在の位置に弥勒殿と大雄宝殿を立て直し、1703年に仏教教義の「報国主恩」という教義により報国寺と後から名付けられたのです。1866年この寺院の僧の要求にて、さらに高い場所に「七仏殿」と「普賢殿」を増築したのです。山門に入り、左側には鼓楼、右側には鐘楼が見えます。
開館時間 : 夏期 6:30~20:00  冬期 7:30~19:00

伏虎寺
報国寺の右側から道路沿いに徒歩約1kmの場所にあります。唐朝に建立された寺は、宋朝時代は虎による被害が多く、士性和尚が「尊勝塔」を立て、虎による災害を鎮めたことから「伏虎寺」と名づけられました。1661年に改修された後、現在この寺院に尼僧が住んでいます。

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雲南省観光、世界遺産ー三江併流ツアー

2012-02-24 19:24:11 | 日記
『三江併流』とは三つの川が平行に流れている、という意味で、雲南省内を北から南へと約170キロにわたって平行して流れています。
三江とは、『金沙江』(長江上流)、『瀾滄江』(メコン川上流)、『怒江』(サルウィン川上流)の3本の河川を指しています。2003年に世界自然遺産に登録されました。
その川は、時に3,000メートルの深い渓谷を縫って流れ、周囲の山々の高さは6,000メートルにもなり、特異な景観を形作っています。
互いに交差することもなく、独特の地形でを保ち中国語で『四山併立、三江併流』と言われる世界でも特有な自然景観となっています。『雲南三江伴流の保護地域群』は、少数民族の居住地域としても知られており、チベット族、傈僳(リス)族、怒(ヌー)族、ナシ族、白(ペー)族などが、独自の伝統や生活習慣を守って暮らしている場所です。
標高約6,750メートルの壮麗な雪山である『梅里雪山』は、雲南の最高峰であり、チベット族自治州にある香格里拉(シャングリラ)の北の徳欽県にあり、チベット仏教の聖地の一つとして崇められています。
独特な地理条件は、砂漠と海洋の他、壮美な自然景観及び豊富な動植物資源を持ち、「遺伝子の宝庫」と称されています。中国の20%以上の植物及び25%の動物の種がここに集積しています。中には、金糸猿やカモシカなどのように、絶滅の危機に面しています動植物も数多く含まれています。

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中国黄龍、黄龍観光、

2012-02-24 15:10:20 | 日記
川々のあちらこちらに見られる美しい黄金の石灰棚は龍の鱗(うろこ)。大地を穿つ滝の落下音は龍の咆哮。龍が眠りより覚め、天に昇るその身体を流れるように、川が鱗を滑り、水しぶきを上げて森を震わせる。

そのあまりに美しく不可思議な景色にチベットの人々が神を見た岷山(みんざん)山脈の秘境、黄龍(ファンロン:こうりゅう)。今回は中国の世界遺産「黄龍の景観と歴史地域」を紹介する。
陰陽五行で東西南北に当てられている色は、東=青、西=白、南=赤、北=黒。そして中央より黄が出でて東西南北を統べるという。それゆえ黄色はその昔、中国では平民に使用を禁じた禁色(きんじき)となった。



そして天の東西南北には4龍がおり、中央を守っているのが黄龍だと伝わっている。標高5,588mを誇る岷山山脈の雪宝山の渓谷では、黄金で全身をまとった黄龍が天に昇るという。斜面に黄色い石灰層が堆積した蓮台飛瀑。たしかに龍の鱗のようにも見える

まだ歴史がはじまる前、紀元前2,000年前後に栄えたという伝説の王朝、夏(か)。始祖である禹(う)は黄河の治水を成功させて世に認められた。

もともと黄龍の化身、あるいは黄河の化身であるともいわれる伝説の皇帝、禹。ついに夏王朝を立てた禹は、雪宝山の渓谷?黄龍を訪れて神を祀る霊廟を建てたという。その寺は時代時代に建て替えられたが現在も明の時代の黄龍寺が残っている。

奇跡的な景観を見たとき、人が感じることは古今東西変わらない。人々はその美しさや大きさに神を見て、祈り、祀る。

こうして人類は自然に祈り続けてきた。イグアスの滝に、エアーズ?ロックに、カッパドキアに、エベレストに、メテオラに……

黄龍は「人間瑤池」、つまりこの世に降り立った仙境と崇められ、この地を知るチベットの人々はいつの時代も黄龍を敬い、祀ってきた。

彼らはこの神々に自分が生かされていると感じ、自然が流れつつもいつも同じ姿をしている不思議を知り、この永遠普遍の謎を畏敬しつつも、人知が及ばぬことを詮索せず、ただ信じて生きてきた。
黄龍は雪宝山の深い渓谷に広がっており、標高3,000mを超えるこの地を美しい川がおよそ10の連続する湖を貫いて流れている。

この川が、およそ3,400もあるといわれる彩池と呼ばれる、万華鏡のように色彩を変える湖沼群や、パンダなど多数の野生動物が暮らす深い森を育んでいる。

ハイライトはなんといっても黄金色の石灰棚だろう。プールのような石灰棚が傾斜に沿って無数に広がる様はあまりに不自然。太古の人々はここに神を見たが、たまたま側にいた日本人は「中国人ってこんなものまで造っちゃうんだ」と、自然の手によるものだとは到底信じられない様子だった。

川と10の湖を中心に展開するこの風景区には、上りと下り、2本の遊歩道が通っており、観光客はこの道を歩いて眺めることになる。道の外に出るのはもちろん禁止。

スタート地点は標高3,100mで、最高点の展望台が3,650m。上りが約2~2.5時間、下りは1.5時間ほどの旅となる。つねに雪をまとって輝く標高6,000m近い岷山山脈を眺め、大地と森たちに濾過された美しい水と空気に癒されながら、山道を歩く。

どうしてこのような不可思議な石灰棚ができたのだろう? 石灰棚ができるプロセスは九寨溝と同じだ。

九寨溝からひと山を隔てた黄龍の地も、やはり3~4億年前は海底にあった。海中のサンゴが堆積した石灰岩はカルストの台地を作り出し、やがてこの土地が隆起した。

石灰岩は水に溶けやすいので、雨水を受けて浸食され、地下水をろ過すると同時に水中に多量の炭酸カルシウムを溶かし込む。炭酸カルシウムは水中のチリやホコリと結びついて沈殿し、さらに別のチリやホコリと結びついて「石灰華」と呼ばれる樹氷のような層を作り出す。

これが集まって木々や葉を取り込んで壁になり、壁ができると今度は小石がそこにひっかり、コロコロ転がって壁の下に穴を掘る。この穴が大きくなってプールを造り、石灰棚へと成長する。

棚から溢れた水は少しずつ垂れることでツララのような鍾乳石を生み出し、一方水滴が落ちた場所にも石灰華がたまって盛り上がって石筍(せきじゅん)となり、これらがくっつくと石柱となる。

このように、黄龍の景観は海と大地と大気と森が億の年月をかけて造り上げた大自然の造形なのだ。

黄龍の池の色は本当に不可思議だ。

池の外側、棚の壁は黄金色の石灰が龍の鱗のように重なって全体を彩る。でも湖の底は、あまりに透明度が高い水のおかげか、底の底までハッキリ見える。見えるのだが、その色はまちまちで、表現しがたいほどまっ青だったり、エメラルドグリーンだったり。

これが太陽が角度を変えるとさらに色を変える。朝は透明さが際立ち、昼は青を強め、夕は空の赤や黄を映し、夜は黒へと戻る。

1年を通しても同じこと。冬は雪の白を混ぜて色彩はさらにピュアに洗練され、春は新緑と花々の軽くほがらかな色で魅せ、夏は太陽がもっとも高く昇って色彩はもっとも濃く、秋は紅葉の黄と赤を含んで色の種類はもっとも多様化する。

色彩がもっとも盛んに変化するのが遊歩道のもっとも奥にある五彩池だ。

太陽の角度はもちろん、水深や石灰華、水生植物、山や太陽や雲の映り込み具合で色が変わるので、ここはとにかくじっくり見てほしい。人間の五感のひとつ「色」の不思議がこれほど感じとれる場所はないからだ。

この脇にたたずんでいるのが黄龍後寺だ。黄龍寺は前?中?後の3寺からなっており、後寺がもっとも奥の寺となる。明代に造られたもので、黄龍真人を祀っている。

この近くには黄龍洞と呼ばれる洞窟がある。ここの水は黄龍が残した奇跡の水で、あらゆる病気を治す効果があるという伝説が残っている。
黄龍は世界的に例を見ない奇跡的な自然景観を見せるだけでなく、豊富な降水量に支えられた山々や渓谷にはスギやマツ、モミをはじめとする木々が深い森を育んでいる。

ここはIUCN(国際自然保護連合)のレッド?リストで絶滅危惧種に指定されているジャイアント?パンダやレッサー?パンダ、金糸猴(キンシコウ)などの生息地にもなっており、生物保護の観点からも重要な場所として知られている。

黄龍の近くには同じく世界遺産である「九寨溝の渓谷の景観と歴史地域」と「四川ジャイアント?パンダ保護区群」があり、それぞれを結んで大々的に自然を保護する活動も計画されているという。

ただ、観光客が増えたことから、黄龍や九寨溝の遊歩道付近に野生のパンダが姿を現すことはほとんどなくなったようだ。もっとも、仮に出てきたとしても近づかないように。ジャイアント?パンダはクマ科の動物であることをお忘れなく。


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シャングリラ観光、三江世界遺産地

2012-02-24 11:00:27 | 日記
世界遺産登録されたー雲南三江并流、「三江」とは、怒江「サルウィン河の上流」、瀾滄江「メコン河の上流」、金砂江「長江の上流」、いずれも青海チベット高原に源を発す三つの大河を指します。

「三江併流」とは怒江、瀾滄江、金砂江は中国雲南省内を北から南へと約170kmにわたって平行して流れるということです。三つの大川は最短距離では、瀾滄江と金砂江は66km、瀾滄江と怒江はわずか19kmしか隔てていない。「四山併立、三江併流」の世界で特有な自然景観になっています。1988年、このあたりの3.4万平方kmの区域は、「三江併流国家重点景観名所」と指定され、2003年7月2日、その中の1.7平方kmの地域は世界自然遺産リストに登録されました。

中国雲南三江并流の流域内の山脈で形成され、総面積は4万1千km2です。東アジア、南アジア、青蔵高原を結ぶ個所であるとともに、世界有数の高山地形とその変遷が見られる地域であり、また世界で最も生物種の豊富な地域の一つでもあります。ここ地域には16の少数民族「チベット族、ナーシー族、リス族、イ族、ヌー族など」計300万人が住み、多様な風俗や習慣が共存する世界でも珍しい多民族?多言語?多宗教の地域となっています。

高原地帯で、最高峰は6000メートルも超えます。標高の差はほぼ6000メートルに達する。独特な地理条件は、砂漠と海洋のほかのすべての壮美な自然景観及び豊富な動植物資源を持ち、「遺伝子の宝庫」と称されています。中国20%以上の植物及び25%の動物の種がここに集まっています。中には、金糸猿やカモシカなどのように、絶滅の危機に面している動植物も数多く含まれています。この地域は、世界での唯一の壮美な自然景観と豊富な歴史文化を共に持つ地域です。
「三江併流」の世界遺産保護地域は、八つの部分からなっています。この八部分は、それぞれの地域、それぞれの地理環境での生物の多様性、地質の多様性、景観の多様性という典型的な特徴を代表しています。一つ一つの原始的、独特的な風景は、一緒にその世界遺産保護地の「唯一性と完全性」になる。この八部分は、高黎貢山区、梅里雪山区、哈巴雪山区、千湖山区、紅山区、雲嶺区、老君山区、老君山区の八つの地域です。
また、麗江の北には世界遺産「雲南三江併流の保護地域群」が横たわる。この辺りは金沙江(長江)、瀾滄江(メコン川)、怒江(サルウィン川)という3つの大河が交わることなく併走する世界唯一の地形で、世界でもっとも多様な生物種が存在する地域のひとつ。
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ラサ観光、チベット観光

2012-02-22 19:15:26 | 日記
ラサのポタラ宮
ラサ(拉薩):標高3,650mに位置するチベットの政治?宗教の中心地。中国チベット自治区の区都。

世界遺産にはすでに消滅した文化の遺跡や、すでに廃れてしまった宗教のモニュメントが多数存在するが、ラサは違う。ラサの世界遺産は「ラサのポタラ宮歴史地区」として3つの建築物(ポタラ宮、ノルブリンカ、ジョカン)が登録されているが、チベット人にとって、ポタラ宮は神の住まう聖家であり、ノルブリンカは神の離宮であり、ジョカンは生涯に一度は巡礼を夢見る聖なる巡礼地だ。
巡礼者のために入り口が開放されている午前中、ジョカンはサンと呼ばれるお香の香りに包まれる。モウモウと立ち込める素朴な香りのなかで、色とりどりの民族衣装に身を包んだチベット人たちが、寺に向かって立ち上がっては寝そべり、寝そべっては立ち上がって祈りを捧げている。観光客がカメラを向け、フラッシュを焚く。でも誰もカメラに目を向けない。正面を見つめ、ひたすら五体投地を繰り返す。

本堂に入るとチベット人の行列ができている。行列に並ぶ。ジョカンの中はサンとは異なる少し獣くさい香りが立ち込める。臭いの原因はヤクと呼ばれるウシ科の動物から作られたバター?ロウソクだ。人々は燭台にバター?ロウソクをさすか、バターをビニール袋いっぱいに入れ、手に持って並んでいる。


ジョカンの回廊。後ろに並んでいるのがマニ車で、中には経文が入っていて、回転させることで経文を読んだことになるらしい。後ろのおばあさんが持っているのもマニ車
チベットのお寺の中はとても華やかだ。天井からは金や銀をはじめとする美しい布が垂れ下がり、柱も仏像の台座も衣装も、青や赤や黄などの天然色で覆われている。そんな壮麗な装飾の中に、釈迦や菩薩、観音の巨大な仏像がいくつも鎮座している。

日本のお寺のように仏像を柵で囲うようなこともしていないので、手が届くほどに近づいて仏像を見上げる。仏像は金色に輝いて、顔には化粧さえほどこされている。仏像の前にはバターを溶かした盆が置いてあり、人々は手にもっていたロウやバターを入れて、祈りを捧げる。

こうしてここで祈りを捧げるために、6,000m級の山々を数十日もかけて歩いてくる者や、五体投地を繰り返しながら歩を進める者さえいるという。それだけに、強烈な緊張感がジョカンには張り詰めている。ジョカンはサウジアラビアのカーヴァ神殿やイスラエルの嘆きの壁に匹敵する、世界でも稀に見る本物の聖地なのだ。
ラサ観光のハイライト?ポタラ宮は7世紀にソンツェン?ガンポによって建立された。1642年にチベット政府ガンデンポタンが成立し、ダライ?ラマが政権を確立すると拠点をポタラ宮に定め、大幅な改築を行った。ダライ?ラマは観世音菩薩の化身、つまり神である。だからポタラ宮は神の家なのだ。


天に向かってそびえ立つその姿はまさに天空の城 ?牧哲雄
ポタラ宮の内部は荘厳華麗で、数え切れないほどの巨大な仏像、歴代のダライ?ラマの墓碑、金や宝石をふんだんに使った華麗な装飾や極彩色の壁画をはじめ、チベット美術の粋が詰まっている。その派手さ?美しさはジョカンの比ではなく、チベット美術の真髄を堪能することができる。

一方ノルブリンカは、ダライ?ラマ7世が1755年に建立した夏の離宮で、広大な敷地の中に西洋風の邸宅や公園、動物園など数多くの建築物を抱えている。

ダライラマ14世はノルブリンカの中にタクテン?ポタンと呼ばれる宮殿を建築してここで暮らしていたが、1959年のチベット動乱の際、中国の人民解放軍の追跡を逃れるために密かにこの離宮を脱出し、インドへ亡命した。タクテン?ポタンにはダライ?ラマ14世が愛用していた数々の調度品がいまもそのまま収められている。

広大な園内でくつろぐチベット人や中国人の家族もたくさん見られ、避暑地らしいのんびりとした空気がチベット寺院とはまったく違う空気を感じさせてくれる。

ラサはまぎれもなく聖地だ。でもラサは同時にとても俗だ。たとえばジョカンの若い僧。 ジョカンの正門前で五体投地を見ていると、若い僧が満面の笑みで近寄ってくる。「こにちわ、カメラ、カメラ」といって饅頭を口にほおばってポーズをとる。あまりの荘厳さにカメラをバッグから出すこともできなかったので、ラッキーとばかりにカメラを取り出し、僧と、ついでに五体投地している人々を撮る。僧は大声で何か叫ぶと、数人の僧が集まってきて全員でポーズ。ハイハイ、パチリ。ひとりが「牛肉麺」と書かれたカップラーメンを取り出して「ジャパン、ジャパン」と大はしゃぎ。日本のじゃないし、肉、食べるんだ……。経文を唱えるときも、アクビはする、唱えている者を突っつく、私を見ては手を振る、巡礼者を押しのける——僧の態度は真剣そのものの巡礼者とは対照的だ。

たとえばパルコル(八角街)。ジョカンを取り囲むパルコルと呼ばれる周路を歩いてくると、ストリートチルドレンが死にそうな顔をして物を乞うてくる。彼らは屋台の焼き鳥屋の下に捨てられている骨を集めて食べていたり、ビニール袋に穴をあけて服にしているような子供もいる。毎日毎日パルコルを歩いているとやがて彼らと顔見知りになり、彼らを見ては冗談で逃げ回っていると、やがて鬼ごっこになって、満面の笑みで追いかけっこをする。こうして一緒に遊ぶようになると、私に何かをねだることは2度となくなった。もっとも彼らには観光客はもちろん、現地の人々もお金をめぐむ。すでにそれが社会のシステムとして成立している。

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麗江観光、雲南麗江

2012-02-22 16:36:30 | 日記
中国の都市は城壁に囲まれている。ところが麗江(リージャン:れいこう)には城壁がない。その代わり本瓦葺きの街並みには網の目のように水路が張り巡らされ、橋の下では青い民族衣装を身にまとったおばあさんがのんびり野菜を洗っている。

今回は、世界で唯一現存する象形文字を使い、恋と自由を愛したナシ族の都「麗江旧市街」を案内する。
万年雪をかぶった玉龍雪山の岩々は青白く輝いて、ちょろちょろ流れる冷たい雪解け水は澄みわたる青空を照らし、家々の屋根は青黒く光る銀の本瓦葺き、そして人々は青の民族衣装を身にまとう。

街が生まれてから800年。地図の色は変わっても、麗江の色は変わらなかった。人々は大きな戦火にさらされることもなく、男は自由に女を恋し、女は自由に男を恋し、笑い、泣き、働き、祭り、生きてきた。

その生活は街を巡る雪解け水のように青く澄み、近隣の人々は彼らの生活を「蟻ほど勤勉に働き、蝶のように楽しく暮らす」とたたえたという。

昔からナシ族の人々は、子供を産み育てる女性をたたえ、敬って暮らしてきた。母系社会のもと自由恋愛が広く認められ、恋人たちが手に手をとって歩く姿が街中で見られたという。

しかし、中国が漢化政策を強化すると自分たちの言葉を禁じられ、生活習慣の漢民族化を強要される。やがて自由恋愛が否定されると、ナシ族の恋人たちは永遠にふたり寄り添って暮らすために、玉龍雪山の麓でそろって命を絶ち、天国でも地獄でもない「第三国」での暮らしに旅立ったという。

やがて恋人たちは精霊となり、残された人々によって語り継がれるが、これらの伝承さえも禁じられてしまう。恋の物語はほとんど読める者もいなくなってしまったトンパと呼ばれる象形文字の中に封印され、伝説となって残された。

麗江という名前ができたのは13世紀、明がこの地を支配していた大理を征服してから。明は麗江を直接治めることはせず、ナシ族のリーダーである木氏に宣慰司という官職を与えて代わりに治めさせた。


水の都の美しい風景
城壁がないのは、木氏が治める場所を囲ったら「困」になってしまうからと伝えられているが、定かではない。もともとナシ族は争いを嫌い、近隣に住むチベット族、白族らの文化を取り入れながら、ともに暮らしていたという。漢民族がきてからも変わらず、中央政府と上手に距離をとりながら自治を勝ちとり、大きな戦火にさらされることはほとんどなかった。

人々を支えたのがトンパ教。大自然に神を見た土着の民族信仰にチベット仏教など他民族の信仰が合わさって生まれた宗教だ。トンパ教の教義はトンパ教典に記されたが、教義を書き留めておくために使われた文字が象形文字トンパだ。トンパと呼ばれる僧はトンパ教典によって学び、祭礼や悪魔祓いをするシャーマンのような役割を果たしていたという。

トンパは実際に使用されている世界唯一の象形文字だが、使えるのはトンパ教の司祭くらいになってしまった。2003年、トンパ文字でつづられたトンバ教典はユネスコの世界の記憶=世界記録遺産に登録された。

この街を支えるのは5,000m級の山々が連なる玉龍雪山。雪解け水が豊富に湧き出し、冷たく清い流れは張り巡らされた水路によって1,000軒以上が連なる街の隅々にまで送られている。人々は300以上の橋を造らねばならなかったが、おかげで井戸を掘ったり水を汲みに行ったりする必要もなかった。

家は木と本瓦によって造られていて、釘は一本も使われていない。麗江がどこか懐かしいのは、山の景色、細い水路、木造の家々が日本の原風景によく似ているからだろう。

家々が新しく見えるのは、実は1996年に以降に再建された家が多いため。1996年2月3日に襲ったM7.0の大地震によって麗江は壊滅的な被害を受けた。すべて近代的な建物に建て替える案もあったが、かつての街並みを愛した人々は、逆に建物の規格を近代化以前のものに戻し、古きよき時代の街並みへ戻る道を選択した。
麗江の街は迷い歩くのがいちばん。古都はどの街も同じだけれど、街歩きでオススメなのは、生活臭がもっとも濃くなる朝の街歩き!

1日でもっとも澄んだ朝の軽い青空に、家々から朝ご飯の香ばしい煙が立ち昇り、子供たちを起こす声なのかお母さんたちの活気ある声が街角に響き、おじいさんたちは水路際をお散歩だ。


柳の枝が風に揺れる水路沿いをボケッと歩いていると、水がせき止められている一角でおばあさんが洗濯物、別の水路では野菜を洗うおばあさんたちが水路端会議だ。

市場をフラッと訪ねてみると、食材の中には特産物である細麺やお茶が大量に並ぶ。市場の片隅ではスッポンや松茸を発見! 恋の呪文が封じられたトンパ文字のネックレス工芸店が現れたり、いきなり西洋風のカフェが出てきてビックリしたり。やっぱり街歩きは迷うにかぎる。


旧市街から12kmほど離れた場所にある白沙村も世界遺産に登録されている。春と秋に行くならオススメはサイクリング。玉龍雪山が見下ろすなか、途中の草原には草花が咲き乱れ、民族衣装を着た人々が馬や羊、牛を追い、動物たちはのんびり草を食んでいる。村での見どころはナシ族の家並みと白沙壁画。大宝積宮や瑠璃宝殿などで見ることができる。

ここからさらに行くと玉龍雪山だ。杉の原生林である雲杉坪は先に紹介した第三国の入り口だといわれ、ここで多くの恋人たちが心中した。亡くなった男女の霊はここで虎に乗って飛び回り、白い鹿で畑を耕すのだという。


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麗江、麗江観光、

2012-02-22 16:34:49 | 日記
麗江古城は、中国では『南の彩雲の古城』と言われています。南宋時代に建築され、今日まで約800年の歴史をもつ『旧市街地』です。
玉竜雪山の麓、 海拔2,400mの麗江盆地のほぼ中心に位置しています。町の北には象山、金虹山、西は獅子山がそびえ、雲南省麗江古城は、三方を山に囲まれています。そこに住んでいる土着民族の70%以上が納西(ナシ)族で、ナシ族の古都として、伝統的住居に代表される民族文化を今に伝えています。
麗江古城は、雲南省唯一の世界遺産です。古城の道は「四方街」を中心に、道路沿いには民家や商店がたち並んでいます。前方には、麗江玉竜雪山氷河が融けて生じた清らかな水が流れ、柳の木が垂れ、数百年前と変わらない風情がそっくりそのまま残っています。
古城からは、『玉龍雪山』の景色と『黒龍潭』や『五鳳楼』などが見えます。

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麗江観光、麗江古城

2012-02-22 16:32:07 | 日記
麗江は標高2400mの高原にあり、玉竜雪山の麓を流れる清流沿いにある、ナシ族の古い街。麗江の旧市街にあたり、800年以上の歴史をもつ古城(四方街が中心)は、100を越す家々が、重点保護民住に指定されていて、元代初めに、街並みを印象づける礫石の石畳が、きれいに敷き詰められている。現在もナシ族の風習や独特のトンパ(東巴)文字を伝えている。いたるところに清流が流れ、優雅な雰囲気をかもし出している四方街では、麗江の特産品(タバコ?バナナなど)や銅器?骨董品が露天に並ぶ。一歩路地裏に入れば、なだらかな石畳の両脇には、地元の人の暮らしに欠かせない。理髪店?雑貨屋?写真館など朱塗りの店が続く。一角にある東巴宮では、ナシ族の伝統的な音楽?納西古楽の演奏も聞ける。また、古城と並んで標高5596メートルの玉龍雪山が有名で、青空に映える山頂の万年雪の白さがすばらしく、多くの旅行者がその凛々しい美しさを1番だという。麗江のどこからでも眺められるが、山頂を間近に望める雲杉坪や拉市海からの眺めは、ことのほかすばらしい。


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