九寨溝、九寨溝ツアー、九寨溝現地ツアー、四姑娘山ハイキングツアー、チベットツアー

自然満喫の九寨溝、黄龍ツアー、四姑娘山ツアー、パンダツアーhttp://www.jiuzhaigou-tour.com

ラサ観光、チベット観光

2012-02-22 19:15:26 | 日記
ラサのポタラ宮
ラサ(拉薩):標高3,650mに位置するチベットの政治?宗教の中心地。中国チベット自治区の区都。

世界遺産にはすでに消滅した文化の遺跡や、すでに廃れてしまった宗教のモニュメントが多数存在するが、ラサは違う。ラサの世界遺産は「ラサのポタラ宮歴史地区」として3つの建築物(ポタラ宮、ノルブリンカ、ジョカン)が登録されているが、チベット人にとって、ポタラ宮は神の住まう聖家であり、ノルブリンカは神の離宮であり、ジョカンは生涯に一度は巡礼を夢見る聖なる巡礼地だ。
巡礼者のために入り口が開放されている午前中、ジョカンはサンと呼ばれるお香の香りに包まれる。モウモウと立ち込める素朴な香りのなかで、色とりどりの民族衣装に身を包んだチベット人たちが、寺に向かって立ち上がっては寝そべり、寝そべっては立ち上がって祈りを捧げている。観光客がカメラを向け、フラッシュを焚く。でも誰もカメラに目を向けない。正面を見つめ、ひたすら五体投地を繰り返す。

本堂に入るとチベット人の行列ができている。行列に並ぶ。ジョカンの中はサンとは異なる少し獣くさい香りが立ち込める。臭いの原因はヤクと呼ばれるウシ科の動物から作られたバター?ロウソクだ。人々は燭台にバター?ロウソクをさすか、バターをビニール袋いっぱいに入れ、手に持って並んでいる。


ジョカンの回廊。後ろに並んでいるのがマニ車で、中には経文が入っていて、回転させることで経文を読んだことになるらしい。後ろのおばあさんが持っているのもマニ車
チベットのお寺の中はとても華やかだ。天井からは金や銀をはじめとする美しい布が垂れ下がり、柱も仏像の台座も衣装も、青や赤や黄などの天然色で覆われている。そんな壮麗な装飾の中に、釈迦や菩薩、観音の巨大な仏像がいくつも鎮座している。

日本のお寺のように仏像を柵で囲うようなこともしていないので、手が届くほどに近づいて仏像を見上げる。仏像は金色に輝いて、顔には化粧さえほどこされている。仏像の前にはバターを溶かした盆が置いてあり、人々は手にもっていたロウやバターを入れて、祈りを捧げる。

こうしてここで祈りを捧げるために、6,000m級の山々を数十日もかけて歩いてくる者や、五体投地を繰り返しながら歩を進める者さえいるという。それだけに、強烈な緊張感がジョカンには張り詰めている。ジョカンはサウジアラビアのカーヴァ神殿やイスラエルの嘆きの壁に匹敵する、世界でも稀に見る本物の聖地なのだ。
ラサ観光のハイライト?ポタラ宮は7世紀にソンツェン?ガンポによって建立された。1642年にチベット政府ガンデンポタンが成立し、ダライ?ラマが政権を確立すると拠点をポタラ宮に定め、大幅な改築を行った。ダライ?ラマは観世音菩薩の化身、つまり神である。だからポタラ宮は神の家なのだ。


天に向かってそびえ立つその姿はまさに天空の城 ?牧哲雄
ポタラ宮の内部は荘厳華麗で、数え切れないほどの巨大な仏像、歴代のダライ?ラマの墓碑、金や宝石をふんだんに使った華麗な装飾や極彩色の壁画をはじめ、チベット美術の粋が詰まっている。その派手さ?美しさはジョカンの比ではなく、チベット美術の真髄を堪能することができる。

一方ノルブリンカは、ダライ?ラマ7世が1755年に建立した夏の離宮で、広大な敷地の中に西洋風の邸宅や公園、動物園など数多くの建築物を抱えている。

ダライラマ14世はノルブリンカの中にタクテン?ポタンと呼ばれる宮殿を建築してここで暮らしていたが、1959年のチベット動乱の際、中国の人民解放軍の追跡を逃れるために密かにこの離宮を脱出し、インドへ亡命した。タクテン?ポタンにはダライ?ラマ14世が愛用していた数々の調度品がいまもそのまま収められている。

広大な園内でくつろぐチベット人や中国人の家族もたくさん見られ、避暑地らしいのんびりとした空気がチベット寺院とはまったく違う空気を感じさせてくれる。

ラサはまぎれもなく聖地だ。でもラサは同時にとても俗だ。たとえばジョカンの若い僧。 ジョカンの正門前で五体投地を見ていると、若い僧が満面の笑みで近寄ってくる。「こにちわ、カメラ、カメラ」といって饅頭を口にほおばってポーズをとる。あまりの荘厳さにカメラをバッグから出すこともできなかったので、ラッキーとばかりにカメラを取り出し、僧と、ついでに五体投地している人々を撮る。僧は大声で何か叫ぶと、数人の僧が集まってきて全員でポーズ。ハイハイ、パチリ。ひとりが「牛肉麺」と書かれたカップラーメンを取り出して「ジャパン、ジャパン」と大はしゃぎ。日本のじゃないし、肉、食べるんだ……。経文を唱えるときも、アクビはする、唱えている者を突っつく、私を見ては手を振る、巡礼者を押しのける——僧の態度は真剣そのものの巡礼者とは対照的だ。

たとえばパルコル(八角街)。ジョカンを取り囲むパルコルと呼ばれる周路を歩いてくると、ストリートチルドレンが死にそうな顔をして物を乞うてくる。彼らは屋台の焼き鳥屋の下に捨てられている骨を集めて食べていたり、ビニール袋に穴をあけて服にしているような子供もいる。毎日毎日パルコルを歩いているとやがて彼らと顔見知りになり、彼らを見ては冗談で逃げ回っていると、やがて鬼ごっこになって、満面の笑みで追いかけっこをする。こうして一緒に遊ぶようになると、私に何かをねだることは2度となくなった。もっとも彼らには観光客はもちろん、現地の人々もお金をめぐむ。すでにそれが社会のシステムとして成立している。

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麗江観光、雲南麗江

2012-02-22 16:36:30 | 日記
中国の都市は城壁に囲まれている。ところが麗江(リージャン:れいこう)には城壁がない。その代わり本瓦葺きの街並みには網の目のように水路が張り巡らされ、橋の下では青い民族衣装を身にまとったおばあさんがのんびり野菜を洗っている。

今回は、世界で唯一現存する象形文字を使い、恋と自由を愛したナシ族の都「麗江旧市街」を案内する。
万年雪をかぶった玉龍雪山の岩々は青白く輝いて、ちょろちょろ流れる冷たい雪解け水は澄みわたる青空を照らし、家々の屋根は青黒く光る銀の本瓦葺き、そして人々は青の民族衣装を身にまとう。

街が生まれてから800年。地図の色は変わっても、麗江の色は変わらなかった。人々は大きな戦火にさらされることもなく、男は自由に女を恋し、女は自由に男を恋し、笑い、泣き、働き、祭り、生きてきた。

その生活は街を巡る雪解け水のように青く澄み、近隣の人々は彼らの生活を「蟻ほど勤勉に働き、蝶のように楽しく暮らす」とたたえたという。

昔からナシ族の人々は、子供を産み育てる女性をたたえ、敬って暮らしてきた。母系社会のもと自由恋愛が広く認められ、恋人たちが手に手をとって歩く姿が街中で見られたという。

しかし、中国が漢化政策を強化すると自分たちの言葉を禁じられ、生活習慣の漢民族化を強要される。やがて自由恋愛が否定されると、ナシ族の恋人たちは永遠にふたり寄り添って暮らすために、玉龍雪山の麓でそろって命を絶ち、天国でも地獄でもない「第三国」での暮らしに旅立ったという。

やがて恋人たちは精霊となり、残された人々によって語り継がれるが、これらの伝承さえも禁じられてしまう。恋の物語はほとんど読める者もいなくなってしまったトンパと呼ばれる象形文字の中に封印され、伝説となって残された。

麗江という名前ができたのは13世紀、明がこの地を支配していた大理を征服してから。明は麗江を直接治めることはせず、ナシ族のリーダーである木氏に宣慰司という官職を与えて代わりに治めさせた。


水の都の美しい風景
城壁がないのは、木氏が治める場所を囲ったら「困」になってしまうからと伝えられているが、定かではない。もともとナシ族は争いを嫌い、近隣に住むチベット族、白族らの文化を取り入れながら、ともに暮らしていたという。漢民族がきてからも変わらず、中央政府と上手に距離をとりながら自治を勝ちとり、大きな戦火にさらされることはほとんどなかった。

人々を支えたのがトンパ教。大自然に神を見た土着の民族信仰にチベット仏教など他民族の信仰が合わさって生まれた宗教だ。トンパ教の教義はトンパ教典に記されたが、教義を書き留めておくために使われた文字が象形文字トンパだ。トンパと呼ばれる僧はトンパ教典によって学び、祭礼や悪魔祓いをするシャーマンのような役割を果たしていたという。

トンパは実際に使用されている世界唯一の象形文字だが、使えるのはトンパ教の司祭くらいになってしまった。2003年、トンパ文字でつづられたトンバ教典はユネスコの世界の記憶=世界記録遺産に登録された。

この街を支えるのは5,000m級の山々が連なる玉龍雪山。雪解け水が豊富に湧き出し、冷たく清い流れは張り巡らされた水路によって1,000軒以上が連なる街の隅々にまで送られている。人々は300以上の橋を造らねばならなかったが、おかげで井戸を掘ったり水を汲みに行ったりする必要もなかった。

家は木と本瓦によって造られていて、釘は一本も使われていない。麗江がどこか懐かしいのは、山の景色、細い水路、木造の家々が日本の原風景によく似ているからだろう。

家々が新しく見えるのは、実は1996年に以降に再建された家が多いため。1996年2月3日に襲ったM7.0の大地震によって麗江は壊滅的な被害を受けた。すべて近代的な建物に建て替える案もあったが、かつての街並みを愛した人々は、逆に建物の規格を近代化以前のものに戻し、古きよき時代の街並みへ戻る道を選択した。
麗江の街は迷い歩くのがいちばん。古都はどの街も同じだけれど、街歩きでオススメなのは、生活臭がもっとも濃くなる朝の街歩き!

1日でもっとも澄んだ朝の軽い青空に、家々から朝ご飯の香ばしい煙が立ち昇り、子供たちを起こす声なのかお母さんたちの活気ある声が街角に響き、おじいさんたちは水路際をお散歩だ。


柳の枝が風に揺れる水路沿いをボケッと歩いていると、水がせき止められている一角でおばあさんが洗濯物、別の水路では野菜を洗うおばあさんたちが水路端会議だ。

市場をフラッと訪ねてみると、食材の中には特産物である細麺やお茶が大量に並ぶ。市場の片隅ではスッポンや松茸を発見! 恋の呪文が封じられたトンパ文字のネックレス工芸店が現れたり、いきなり西洋風のカフェが出てきてビックリしたり。やっぱり街歩きは迷うにかぎる。


旧市街から12kmほど離れた場所にある白沙村も世界遺産に登録されている。春と秋に行くならオススメはサイクリング。玉龍雪山が見下ろすなか、途中の草原には草花が咲き乱れ、民族衣装を着た人々が馬や羊、牛を追い、動物たちはのんびり草を食んでいる。村での見どころはナシ族の家並みと白沙壁画。大宝積宮や瑠璃宝殿などで見ることができる。

ここからさらに行くと玉龍雪山だ。杉の原生林である雲杉坪は先に紹介した第三国の入り口だといわれ、ここで多くの恋人たちが心中した。亡くなった男女の霊はここで虎に乗って飛び回り、白い鹿で畑を耕すのだという。


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麗江、麗江観光、

2012-02-22 16:34:49 | 日記
麗江古城は、中国では『南の彩雲の古城』と言われています。南宋時代に建築され、今日まで約800年の歴史をもつ『旧市街地』です。
玉竜雪山の麓、 海拔2,400mの麗江盆地のほぼ中心に位置しています。町の北には象山、金虹山、西は獅子山がそびえ、雲南省麗江古城は、三方を山に囲まれています。そこに住んでいる土着民族の70%以上が納西(ナシ)族で、ナシ族の古都として、伝統的住居に代表される民族文化を今に伝えています。
麗江古城は、雲南省唯一の世界遺産です。古城の道は「四方街」を中心に、道路沿いには民家や商店がたち並んでいます。前方には、麗江玉竜雪山氷河が融けて生じた清らかな水が流れ、柳の木が垂れ、数百年前と変わらない風情がそっくりそのまま残っています。
古城からは、『玉龍雪山』の景色と『黒龍潭』や『五鳳楼』などが見えます。

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麗江観光、麗江古城

2012-02-22 16:32:07 | 日記
麗江は標高2400mの高原にあり、玉竜雪山の麓を流れる清流沿いにある、ナシ族の古い街。麗江の旧市街にあたり、800年以上の歴史をもつ古城(四方街が中心)は、100を越す家々が、重点保護民住に指定されていて、元代初めに、街並みを印象づける礫石の石畳が、きれいに敷き詰められている。現在もナシ族の風習や独特のトンパ(東巴)文字を伝えている。いたるところに清流が流れ、優雅な雰囲気をかもし出している四方街では、麗江の特産品(タバコ?バナナなど)や銅器?骨董品が露天に並ぶ。一歩路地裏に入れば、なだらかな石畳の両脇には、地元の人の暮らしに欠かせない。理髪店?雑貨屋?写真館など朱塗りの店が続く。一角にある東巴宮では、ナシ族の伝統的な音楽?納西古楽の演奏も聞ける。また、古城と並んで標高5596メートルの玉龍雪山が有名で、青空に映える山頂の万年雪の白さがすばらしく、多くの旅行者がその凛々しい美しさを1番だという。麗江のどこからでも眺められるが、山頂を間近に望める雲杉坪や拉市海からの眺めは、ことのほかすばらしい。


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九寨溝、http://www.jiuzhaigou-tour.com/

2012-02-22 12:49:33 | 日記
もし人間世界に仙境(仙人の郷)が本当にあるとすれば、それは九寨溝ともいえます。
 澄みきった水が天の青さを映し出し、山々の緑がそっと水面に移る景色を見守ります。
 かつて至上の秘境スポットとされた九寨溝もこの1998年以来空港ができ、高級ホテルも進出し、世界

に知れ渡る観光地と成 りました。
 現在も尚、1日数万人の観光客が訪れるほどの人気で、その魅力は絶えることなく人々を魅了します



 四川省阿覇チベット族チャン族自治州(九寨溝県)  (成都市より西北、約220km 飛行機で40

分、車で6時間半)
 標高4000m、高山と原始林地帯で、宝石のような大小100あまりの湖と渓流、滝が延べ50kmにもわ

たり連なっています。

九寨溝にまつわる言い伝え
  大昔、力持ちの男の神ダガが、雲で宝の鏡を磨き、愛する仙女に贈りました。
  ところが悪魔のいたずらで、宝の鏡が仙女の手から落とされ、粉々に散らばった多くの破片が森の

中で美 しい湖になったと言われています。

  現地の人々はそれら湖を親しみを込めて「海子」と呼び、中国のことわざで「九寨溝より 帰りて水

を見ず」と言われるほど、九寨溝は湖、泉、滝などの水が織り成す絶景で有名です。

 九寨溝の「溝」とは谷や峡谷を指し、九寨溝にはY字形に三つの谷が形成されています。
 その谷間に九つのチベット族の村があることから、九寨溝と名づけられました。
 現在観光できるチベット族の村は荷葉寨、樹正寨と査窪溝の3箇所のみ。

九寨溝の景観
 何千万年前の氷河侵食により形成された九寨溝の湖は110箇所もあります。
 そのうち、規模の大きな滝が4箇所、その他にも多くの早瀬、浅瀬が数え切れないほどあります。
 その水は透き通り、太陽の光に合わせ、夢幻な色を呈しています。

 九寨溝の風景は季節により異なり、それぞれ違った姿を見せてくれます。
 特に秋の紅葉時期は格別で、雪山と紺碧の湖水、紅葉でいっぱいの山景色が立体的なの山水画を見る

ようです。

 九寨溝周辺の森にはパンダや金糸猴(孫悟空のモデル)が棲み、「童話の世界」とも「神話の世界」とも言われる景勝地です。
 ほかにも140種類の鳥類やジャイアントパンダなど、絶滅の危機に瀕している動物たちが生息しています。

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九寨溝、九寨溝ツアー

2012-02-22 12:40:21 | 日記
この世のものとは思えないほどの彩度を誇る緑と青の色彩は、太陽の角度によってその色を常に変え、木々の緑や黄や赤と重なって万華鏡のようなコントラストを描き出す。今回は中国が誇る奇跡の秘境、九寨溝へご案内!
中国は明の時代、地理学者?徐霞客はこういった。「五岳より帰りて山を見ることなし、黄山より帰りて岳を見ることなし」。現在中国ではこんなことがいわれているという。「黄山より帰りて山を見ることなし、九寨溝より帰りて水を見ることなし」(黄山を見てしまったら他の山は見れない、九寨溝を見てしまったら他の河川?湖沼は見れない)。

今回は、標高5,000mを超える岷山(みんざん)山脈に抱かれたチベットの秘境、中国の世界遺産「九寨溝(チウチャイゴウ:きゅうさいこう)の渓谷の景観と歴史地域」をご紹介する。

九寨溝はもともと9つの村(寨)がある渓谷(溝)で、チベット族の人々が、農業や放牧をしてつつましやかに暮らしていた。彼らは九寨溝のあまりに美しい色彩からこんな伝説を伝えてきた。

昔々この深い山にある鏡岩と呼ばれる断崖絶壁に、ひとりの美しい妖精が住んでいた。あるとき悪魔がこの妖精に目をつけて、以来1,000年の間つきまとい続けた。山の女神は太陽や雲から作った鏡によって悪魔を封じようとするが、争っている最中に鏡は山の中に落ちて砕けてしまった。その破片は108に分かれて山を彩り、九寨溝の美しい湖になった。

朝方、九寨溝は深い霧に包まれて、山の墨色、雲の白、湖の深い紺色が美しいモノトーンを描いて中国の山水画そのままの姿を見せる。太陽が昇ると霧は次第に晴れていき、湖面は次第に紺から藍、藍から青へ、青からスカイブルーへ、やがてエメラルドグリーンや緑、夕方になると黄からピンク、橙、赤へと、その姿を変える。


億単位の時間の力、太陽と大地の力、植物の力、あらゆる神秘を閉じ込めた九寨溝?五花海の景色
100以上ある湖やその途中にある川や滝は周囲の緑や水深?水質によってもその姿を変え、時おり雲が差したり無数の魚が移動するだけでも色彩は変化する。千変万化するその姿は妖精が落とした万華鏡。言葉を尽くしても語れぬその色彩の不思議さに、人知を超えた美を感じずにはいられない。

それはいつの時代のどこの誰が見ても美しく、まさしく「普遍」の存在。それはただその場の空気に触れ、色彩に身を委ね、木々の香りを味わい、自然の営みの音を聴くだけで感じ取れるもの。

九寨溝を紹介しておきながらなんだけど、もし大切な人を連れて行くのなら、知識も持たせず写真も見せず、いきなりこの場所を訪れて歩き回り、その色彩をピュアに、ダイレクトに感じさせたい。そんな世界遺産が九寨溝だ。


倒れた木々に引っかかった枝や種はそこから根を張り、浮島となって繁茂する。やがて浮島が集まって島を作り、新たな景観を作り出していく
標高2,000~5,000mに及ぶ岷山山脈に位置する九寨溝はY字型の渓谷で、Yの最下部にあたる樹正溝(じゅせいこう)、東の日則溝(じっそくこう)、西の則査窪溝(そくさわこう)から成立する。

針葉樹林から草原、森林限界を超えて万年雪をたたえる白い稜線まで、山中には多くの自然形態を有し、そこに数多くの動物たちが暮らしている。特に有名なのがジャイアントパンダで、しばしばパンダが目撃される「熊猫(パンダ)海」などもあり、絶滅の恐れがある彼らの貴重な保護区にもなっている。

九寨溝の特徴はなんといっても水。あの不可思議な色はいったいどこからくるのだろう?

3~4億年前、海の中にあったこの渓谷は大地の力によって押し出され、隆起した。海中のサンゴ礁は石灰岩となって堆積し、カルストと呼ばれる地形を生み出した。石灰岩は水に溶けやすく、水中に多量の炭酸カルシウムを供給する。

九寨溝の水はほとんど湖の底から湧き出す地下水だが、ただでさえ山でろ過された地下水は美しいのに、炭酸カルシウムはさらにチリやホコリと結びついてこれを沈殿させて透明度を上げる。倒れた木々は冷たい地下水と炭酸カルシウムのために腐敗することなく堆積し、さらに水中の炭酸カルシウムと結びついて樹氷のような「石灰華」を造り出す。

沈殿物はやがて木々にひっかかって集まって、水をせき止めたところに炭酸カルシウムが固まって、天然の棚田を造り、湖へと成長する。こうして独特の水質と堆積物が、九寨溝を稀有な景観に仕上げている。

九寨溝は約60kmの全長で、100をはるかに超える湖や、十数本の滝、森全体を流れる幾本もの川、断崖絶壁に高山、独特な高山植物に動物たちと、その見所は無数にある。

ただ、Y字型の渓谷の「Y」の最下部が入り口になっていて、ここからバスが次々と発着しているのだが、この入り口を見てあまりの観光地ぶりに落胆する人も多いという。私はツアー用の専用バスではなく、定期バスに適当に乗りながら回ったけれど、バスの中の混雑ぶりや列をめぐる争いにつねに巻き込まれてウンザリした。しかも、それぞれの池に着いても、写真を撮る向こう側に人はいなくても、自分たちがいる場所には山のような人だかり。

しかし、それでもなお、九寨溝をみなさんにオススメする。ツアーでもなんでもいい。ほんの一瞬でもいいから、周囲の喧騒に自分自身でフィルターをかけて、自然の色、自然の香り、自然の音に身を委ねてほしい。億の年月と大地の壮大なドラマ、動植物の毎瞬間の活動が、この世界の神秘とすばらしさを伝えてくれるはずだから。

なお、観光ポイントには「長海」「五彩池」「季節海」「原始森林」「熊猫海」「五花海」「孔雀河道」「珍珠海」「珍珠灘瀑布」「鏡海」「犀牛海」「樹正瀑布」「臥龍海」「火花海」「芦葦海」「盆景灘」などがあり、バスで各ポイントに移動して30~1時間ほどそれぞれを徒歩見学するのが一般的だ。

成都から九寨溝は約400kmで、飛行機かバスで移動する。バスだと10~12時間かかるが、標高500mの成都から標高3,000m前後の山岳を抜けるので、途中高山風景やヤクがたわむれる草原、どこまでも続く深い針葉樹林、山水画のような渓谷、チベット族の村々など、様々な絶景を見ることができる。


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