土と暮らす

どこかで土や水や空と繋がっていないと、自分を見失うよなぁ

ハンセン病と戦後民主主義

2006年10月28日 | ほん
「ハンセン病と戦後民主主義
 なぜ隔離は強化されたのか」
藤野豊 2006年 岩波書店 2800円+税

 (帯表)
 民主主義が絶対隔離を必要とした
 戦後も継続した患者の絶対隔離政策が
 「公共の福祉」という民主主義の論理の元に
 必然的に導き出されたことを明らかにする
 (帯裏)
 絶対隔離政策の継続という点において、戦前・戦後は一貫
 している。特にファシズム期の国民体力の強化として実践
 された「無癩県運動」は、戦後日本が「文化国家」「民主
 主義国家」として再生していくなかでも徹底された。わた
 くしは、これをもってファシズム期の総動員態勢が戦後の
 「福祉国家」の原型をなしたなどとは単純に考えないが、
 との時々の国家の利益を「公共」という利益に置き換え、
 そこにハンセン病患者の人権を従属させた点において、両
 時期が共通していることは認めざるを得ない。
                   -終章より

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先週買った本です。
人と待ち合わせしてたら、ちょっと遅れますと
メールが入ったので、本屋で時間つぶしてて
見つけました。

かつてハンセン病を煩っていた知り合いがおるのです。
一人は広島市内に。
もう一人は岡山県の長島にある
長島愛生園に。

3年ほど前でしたか、熊本の黒川温泉にあった
アイスター系列のホテルで起こった宿泊拒否事件。
あのあと、熊本にある菊池恵楓園に
誹謗中傷の手紙がいっぱい来たのです。
そうしたら恵楓園の患者自治会の人らが
それらの手紙を全部印刷して冊子にまとめたんです。

http://kumanichi.com/feature/hansen/
http://kumanichi.com/feature/hansen/arc200404.cfm
↑4月20日の記事ですね。

それを見せてもらったことがあるんですが
まー、何と言いますか、すごい。
明らかに年輩と思える人から、若い人まで千差万別。
2ちゃんの世界は若者だけのものじゃないと
分かった瞬間でした。
そして、それらの手紙はほとんどが匿名でした。
名前と住所が書いてあったら、新たな知見をひらく
きっかけに出来るのにね。


で、当然全部読む気にもなれず
斜め読みしてましたら、その中の、おそらく年輩と
おぼしき人の手紙に
「あななたちは国費でまかなっていた療養所にいれて
もらっていたのに」というようなことが
書かれておりました。

大変な誤解ですよ。「療養所」という言葉から
療養している場所だと自分のイメージを膨らませて
おられるんでしょうが、それは大変な誤解です。

火葬場や墓や寺や監獄が付属している病院が
どこの世界にあるんすか。
開所当時の施設の人間の多くが元警察官という病院が
病院と呼べるんすか。
患者に患者を看護させ、患者が自分で食料を
生産せざるをえず、
妊娠したら強制堕胎、強制断種し、
非人道的かつ実験的な医療行為が頻繁に行われる。
そして職員に刃向かえば監獄に入れ食事の量を減らす。

これが収容所でなくてなんじゃ言うんですか。
絶滅収容所ですよ。
そして僕も含めたこの国の人間の多くは
そのことを黙って、あるいは無知なまま見過ごしてきた
んですよ。戦前から、戦後も、万博があって、オリンピック
があって、新幹線が通って、ロッキードが、リクルートが、
バブルが来て、平成になってもなお、
無視し続けてきたわけですよ。

もちろん時代とともに療養所内での生活は改善
されていきましたが、
根本的な解決は何らなされておらんのです。
無知。無関心。差別。
だから今でも、多くの人が古里に帰れない。

園の納骨堂に行ったら、毎日きれいな花が飾ってあって
毎日線香が立ってて、毎日ろうそくに火がついてます。
なんでか。
毎日誰かの命日だからです。
365日全部、命日じゃない日がないんです。

世の中が浮かれている間、その僕たちの浮かれ具合を、
僕たちの無知を呪いながら死んでいった人が
たくさんおられるのです。
おそらく今この瞬間も、僕は僕の知らないところで
誰かを踏みつけにして生きているのです。

その事を忘れず生きていきたいと思っとります。