厳格な父親から受けた仕打ちに対する反抗心と後に湧き出る尊敬の念。複雑な親子関係を持った、そんな家庭の中からジャクソン・ファイブは生まれ、マイケルの卓越した才能が世に出ることとなった。1977年にはモータウン製作の映画「THE WIZ」に出演。そこでマイケルの運命を変える音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズと出会い、後に空前のヒットアルバム「スリラー」を世に出す。
スーパースターとなったマイケルだが、彼を苦しめる障壁が現れた。1994年と2003年に訴訟が起こされ、マイケルの名声と尊厳は大きく傷ついた。人種を超えたチャリティ活動を行っていた彼だが、子供たちの幸福を願って慈善活動をするうちに、児童の性的虐待容疑により裁判となり、無実を訴え続けてやっと無罪となったのは2005年のことだった。長い間のストレスから精神安定剤を飲むようになり、食が取れず彼はやせ細っていった。
ステージ活動を長く休んでいたマイケル・ジャクソンだが、自身の集大成として2009年7月から翌年3月までロンドン公演の開催を決める。その発表会見では久々に華やかなマイケルの姿があった。最後の公演としてリハーサルを重ね、ロンドンで会おうとファンに約束していたが、それは果たされず、2009年6月25日に帰らぬ人となった。7月7日の追悼式には11,000人分の整理券が配布されたが150万のファンは場外でマイケルの死を惜しみ追悼した。
マイケルの遺産は、遺された資産でもなく、苦しんだ年月でもない。彼が成しえた偉業と、それを受け取ったファンの愛の中にある。
彼はやはり素晴らしい エンターティナーであると思う
ドキュメンタリー映画だが
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