子供のころから強い近視で「安全のため」運転免許のない
私に代わり、奥方が免許を取ったのが結婚後七、八年経った
時だった。その最初の車が中古のマツダファミリア。
FRからFFに変わった昭和55年モデル、中古で小型のせいか
走行性能はイマイチだったが、イタリア人のデザインと言う
真っ赤なハッチバックスタイルは気に入っていた。
そのマツダが1989年(平成元年)に売り出したのが、あの
ロードスター。2座席オープン型の小型スポーツカーだ。
社内でも「ほんとうに売れるのか」と言われたが、なんと
今でも生産され累計累計台数117万台、世界中に愛好者がいる
いう名車となった。下は初代モデル。
半沢直樹シリーズ、下町ロケットなどの作家、池井戸潤も
そのロードスターのオーナー。「池井戸潤が撮る日本の工場」
(朝日土曜版)で、広島のロードスターの工場を訪れた。
昭和6年に出来たマツダの新工場は爆心地から5キロだったが、
丘の陰となり大きな被害を免れた。松田重次郎社長は、工場や
寄宿舎、食堂などを開放し、附属病院の医薬品を全て放出。
広島県庁や裁判所、新聞社などが仮住まいで入ったという。
ロードスターの組立工程は懐かしいノコギリ屋根の建物。
生産工程もロボットだらけの最新鋭ラインという訳ではなく、
どちらかと言えばレトロなコンベアライン。
いわゆる「混流生産」で、大型のSUVの後には電気自動車、
次にロードスターが流れて来るという感じ。
「ここは工房です」という説明通り、繰り返しの単純作業
はない。人は歯車ではなくプライドを持って働く「工房職人」
なのである。
復元された初代モデルに試乗した池井戸潤が「それにしても
マツダがよくロードスターを作りましたね」と言うと、22年間
ロードスターに携わって来たレジェンドが答える。
「そりゃあ、ここは広島じゃけぇ。オープンカーは平和じゃ
ないと乗れんじゃろ」。
最新モデル
ファミリアの後は新車で、マツダ、日産、トヨタと乗って来た
が、最近息子がマツダの大型SUVに乗り換えた。歴史は循環する。