俗界では岸田内閣二人目の大臣が更迭されたことも知らず、秩父の
三十四観音(札所)巡りの結願の寺、三十四番水潜寺を訪れた。
日沢山水潜寺は秩父市の北隣、皆野町にある。手元のガイドブックは
「結願の寺こそ札立峠越えの苦行の道」を勧めるが、破風山(627m)の
山頂近くを通るアップダウン、熊の出没などを鑑み無難に路線バスの
利用とする。
しかし、一番の理由は「沢を一本丸太で渡るところも多い」である。
元々バランス感覚はよくないが、最近は駅の階段、特に下りでは手摺を
頼るほどバランス感覚には自信がない。
晩秋の夜明け前、5時過ぎの一番電車での出立を「苦行」として、
いつもの西武線ではなく高崎線、秩父鉄道経由で皆野駅へ、始発の
皆野町営バスに乗る。
荒川を渡り3つ目のバス停で皆野高校生7、8人が降りると以降の
乗客は私一人。乗る時に同年代の白髪の運転手に札所前を通ることを
確認したので「あと10分、料金は220円」と親切に教えてくれる。
8時半、凛とした空気の札所前に着く。石柱が立つ、まさに参道の
入口である。気になるのが少し見えている参道の勾配だ。町営バスは
この先、標高500メートルを超える西立沢の集落に向かう。
確かに二分、その二分で30メートルも標高が上がる急坂だ。この結願
の寺、三十四番水潜寺以外の三十三観音像が並ぶ先、大きな堂宇の屋根
が見えて来る。一番上がkの寺の千手観音像(前立、いや外立)。
その大屋根は納経所である「讃佛堂」、その奥が本堂(観音堂)だが、
山裾の狭い(細い)境内のため、その全容が捉えられない。シンとした
山中の境内に人気はない。
階段下の「百観音の砂」を踏んでから内陣に向かって満願の参拝。
天井一杯の格子絵や満願の寺ならではの奉納された千羽鶴、金剛杖
など、欄間の透かし彫り、外に出て脇の観音霊験記を眺める。
一番四萬部(シマブ)寺に貼った千社札、最後の一枚はこの満願寺
にと思っていたが・・・。それにつけても「熊出没注意」、札立峠越え
をしなくて正解。
讃佛堂前のベンチ脇に灰皿缶が置かれるので、百観音の大きな看板を
眺めながら至福の一服とする。讃佛堂の中で御朱印受付を待っていたの
だろう、痺れを切らせた作務衣姿の住職が出て来る。
御朱印を貰わない不信心で申し訳ないというと、人それぞれの巡り方
があると理解を示す。そのあとは、西国二番三井寺から一番那智寺への
途中で電車が不通になり苦労した住職の苦労話など、互いの百観音巡り
で盛り上がる。気さくで話好きな住職である。
貼り紙の熊出没について訊くと、少し前までは親子連れ、最近は子が
独り立ちして一頭で来るとにこやかに言う。
この寺名の由来である、少し奥の岩の中を潜って進む湧き水汲みは、
途中の山道で太い樹の枝が頻繁に落ちて来るようになったので中断中
(閉鎖)という。
讃佛堂横の小さなお堂は「日本百観音結願堂」。珍しく心を込めて
御礼の参拝。やがて、家族連れが到着して住職が讃佛堂の中に戻った
のを期に山を下りる。まだ9時である。
バス停前の野沢川の清流の風情が好い。2キロ下った「満願の湯」など
百観音結願の祝いは次回。