JR恵比寿駅内のロシア語の案内版が「不快だ」という声
で一時マスキングされていたが、逆に「ヘイトではないか」
との指摘で復元されたという。
英語や中国語、韓国語の案内は多いがロシア語は珍しい。
恵比寿駅でのロシア語案内はロシア大使館のある中目黒駅
への経路案内のためらしい。
確かに個人としてのロシア人を非難するべきではない。
だがロシア国民よ、プーチンを国際刑事裁判所に差出して
欲しい。現地ウクライナでの戦争犯罪捜査が始まった。
さて、日光街道街道ウォークは石橋宿へ向かう前、往復で
約6キロの下野薬師寺への寄り道である。
JR宇都宮線と東北新幹線のアンダーパスを通り抜けると
真っ白な自治医大がそびえる。ここも桜満開である。
自治医科大学は私大であるが「公設民間医大」で都道府県
ごとに入学枠があり、出身地域医療への義務年限により学費
免除となる。ちょうど半世紀前の1972年に設立された。
数百メートルの自治医大前の広い通りが過ぎると、歩道の
ない2車線の田舎道となる。地図を見て途中から裏道を歩く。
下野薬師寺の前に、弓削道鏡の墓がある龍興寺へ向かう。
龍興寺のかなり手前に二月堂が建つ。昔はこのあたりまで
境内だったのだろう。
下野薬師寺へ向かう県道に出て、逆方向に少し歩いてから
脇道に入ると薬師寺小学校の隣が龍興寺である。赤い山門に
光沢のある仁王像。
白い砂利と敷石で整備された広い境内は二百メートル四方
ほどか。昔は小学校を含めた広大な境内だったという。
本堂左手に目的の弓削道鏡の墓所がある。脇の口碑は境内
に二十余りある口碑と統一されている。
日本のラスプーチンとも言われる弓削道鏡は、孝謙天皇に
仕え、僧侶として初めて太政大臣禅師に昇り詰めたが、天皇
の崩御後は左遷され、下野薬師寺の別当職となった。龍興寺
は下野薬師寺の別院でもある。
広い境内を回るが、鑑真和尚の供養塔、墓所は見逃した。
県道に戻り北に1キロほどの下野薬師寺に向かう。
間々田宿近くにあった史跡、乙女不動原瓦窯で焼かれた
瓦が使われたというのが遠い遠い寄り道の理由である。
ん?今の本堂は鉄板葺きだ。脇に鬼瓦が置かれるが古代の
ものではないだろう。
下野薬師寺は、鑑真が建立したという日本三戒壇の一つ。
あとは東大寺と筑紫観世音寺。一時足利尊氏により安国寺と
改称された。今は真言宗の寺である。
薬師寺全体は、南門、中門、塔、講堂が一直線に並んだ
「一塔三堂形式」の広い境内(東西200m、南北250m)。
西回廊の礎石と一部復元された回廊の曲がり部分を眺め、
古代の薬師寺をイメージしながらコンビニおにぎりで昼食と
する。蓋し命の洗濯!
右手の六角堂は戒壇跡、中央に鑑真が座る。東国の僧侶は
ここで受戒されなければ正式な僧とは認められなかった。
講堂跡から境内を出て、自治医大の裏側の道を約2キロで
国道4号に戻ると、往きに曲がった交差点から1キロほど北
の祇園原の交差点。2時間20分、6キロの寄り道となった。
石橋宿への続きは次回。