日常の散歩範囲にある大きな家、二軒が相次いで解体され
更地になった。いずれも敷地面積は三百坪(約1000㎡))で、
田んぼの一反歩。整地と区分け終わり「分譲中」の旗が立つ。
その一角に「開発行為許可標識」が立つ。二軒ともいわゆる
「農家住宅」だったということである。農家が自分の耕作地に
家を建てる場合、農地転換の開発許可は不要という都市計画法
の特例で、「農家住宅」と呼ばれる。
しかし、それを売る場合には、周囲が市街化区域になって
いても開発許可が要るということらしい。二つの農家住宅の
跡は、いずれも七軒あるいは八軒の分譲住宅になる。
早稲種の御用米産地だった三郷市には、まだまだ大きな
「農家住宅」が多く、いずれも明治の農地解放による地主様。
その一族たちは三郷市政や経済の中枢を占めている。
一方、江戸川の河川敷、カラスに囲まれて・・・