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じんべえ時悠帖Ⅱ

例幣使街道5日目、犬伏宿は「犬伏の別れ」

 例幣使街道5日目をスタートしたところ、県道151号を東進する。

台元寺の「佐野百観音」は早朝でお堂に鍵が掛かり見られず。

 このあたりから犬伏宿に入ったようだ。蔵を持つ大きな旧家は宿場の

雰囲気充分。その向かいの犬伏小学校が本陣跡という。しかしその他の

宿場情報は無し。

 犬伏町交差点を過ぎると正面に米山古墳が立ち塞がる。街道はここを

迂回して行くが、その麓の薬師堂が「真田父子、犬伏の別れ」の有名地。

 1600年、上杉討伐に向かう途中、ここで陣を張った真田昌幸父子に

石田光成挙兵の知らせ。この薬師堂で談合した父子はお家継続のため、

昌幸、幸村は西軍に、信幸は東軍につくことを決めここで別れたという。

 大河ドラマ「真田丸」のこのシーンはよく覚えている。堂内には父子

の鎧が置かれる。

 堂内には父子の鎧が置かれる。

 古墳の先を回り込んで進むと三毳(ミカモ)山が見えて来る。万葉集

でも詠まれる山で、麓には古代東山道の跡があるという。

 東北道を潜ったところで旧道へと入って行くと公民館の隅に馬頭観音。

常夜燈は崩れてしまったようだ。三毳山の全容が見えて来る。

 両毛線の踏切の先で県道67号に出る。歩道なしの狭い2車線の上、

ダンプや大型トラックが多い。やがて三毳山の北端を廻るあたりの

上り坂の途中にお堂が立つ。

 左に分岐するのは岩船山高勝寺への道。堂内のお地蔵さんの台座が

道標になっている。

 お堂の日陰で一服休憩とする。12月に入ったと言うのに今日も20℃

近い予報である。このすぐ先で栃木市に入る。

 県道は1キロ半ほど東南に向かった後で再び東へ向かうようになる。

左手の住宅街の奥に岩船山が覗く。足尾山地の最南端の山で古くから

岩舟石が切り出された山。日本三大霊地、三大地蔵(高勝寺)山などと

言われる。石や地名は「舟」だが、山の名は何故か「船」。

 岩舟駅入口で地図を確認する私を抜いて行った茶髪ロン毛で長身の

女性。両手に重そうなレジ袋を提げ、肩にはトートバッグ。私が2回

旧道入って出て来てもまだ前を歩いている。その距離約1キロ半。

 県道11号を渡る和泉交差点で揃って信号待ち。荷物を置き座り込んで

休憩する彼女に「ずいぶん遠い買い物だね」と言うと苦笑い。必ずしも

若いとは言えない顔立ちだった。

 今日は20キロ超えの我が身に持ってやる余裕はない。もし言っても、

この老体を見て遠慮するだろう。和泉の交差点の先で左折して旧道に

入ったため、彼女がどこまで歩いたのかは判らない。せめて自転車でも

持っていないのだろうかなど思ううち和泉八幡宮に着く。

 佐野駅からちょうど4時間で11キロ半、ちょうど今日の中間点だ。

小さな境内のベンチでおにぎりの昼食とする。続きの後半は次回。


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