今市宿から日光街道最後の宿、鉢石(ハツイシ)宿への2回目。
下今市駅について2時間近く経っても、街道筋は未だ数百m
しか進んでいないスロースタート。
左手にある今市小学校用の歩道橋の先、宿場で途切れていた
杉並木が再び始まるところが「日光の社寺7Km」。なんとか
1キロ進んだ。
上ってきた宿場通りを振り返る。日光例幣使街道の杉並木
が見えるあたりが追分地蔵があった小倉町交差点。
この宿の終わりにある郷社「瀧尾神社」に寄ってみる。
石段脇、天皇陛下御即位十年記念と題した三体の福神の
左端、カメラ目線に思わず生きているのかとビックリ。
街道に戻ると杉並木は歩行専用、今日ものんびり歩ける。
両脇を流れる澄んだせせらぎの音に心洗われ、命の洗濯だ
とウォーキングを楽しむ。そろそろ日光街道の最後の一里塚、
瀬川一里塚があるはずだが、塚らしきところが見つからない。
前を歩いていたご婦人がふと消えたところ、並木が切れて
開けたとこに出る。以前は茅葺屋根であったろう大きな家を
中心にした広場である。
この広場の入口には一千万円の寄付をした杉並木オーナー
多数の名札が掛かる。ざっと数百枚というところ。手前の
口碑には「ポカラ工法」という並木道の改修が説明される。
大きな建物は、旧南小倉村(現日光市小倉)で世襲名主を
務めた江連家という農家跡で築後175年、建坪は九十坪。
中に入ると広い部屋が連なり、土間の隅は馬屋となっており、
水車や粉ひき機などが展示される。
受付部屋から同年配の(いや、もっと若いかも)の男性が
出てきて詳しく説明してくれる。中でも、晩年にこのあたり
(日光神領)に幕府から派遣され「報徳仕法」によって荒れた
村々を立て直した二宮尊徳の功績を熱く語ってくれる。
報徳仕法とは、天・地・人の徳が合体してはじめて、人は
生きることが出来るを根本とする。至誠、勤労、分度、推譲
がその基本的な姿勢・・・(富田高慶「報徳記」)。
小川を挟んだ蕎麦屋「報徳庵」の開店の11時まで10分ほど
あるので裏手の遊歩道を下りてみる。
「今市用水円筒分配井」は下流の300haの田んぼに公平に
水を送るもの。我が三郷市を流れる二郷半用水の源流点にも
同様のものがある。
小川には今市工業高校生が作ったという小型水力発電機。
開店した蕎麦屋「報徳庵」の縁側で緑溢れる風景を楽しみ
ながら、生ビールで喉を潤しよく冷えた手打ち蕎麦と生湯葉
で精気を養う。日光街道最終日、実にいい日である。
ゴールの神橋までは次回。