昨日書いた「朝日新聞(大阪)五万号」に、宗教学者の
山折哲雄、作家の瀬戸内寂聴、歌人の俵万智などが祝いの
文を寄せている。
その中から森鴎外のエッセイ「空車(カラグルマ)」の初夢
を見たという山折哲雄の文の一部を紹介しよう。例により、
勝手に改行などしている。
荷物を何一つのせない大八車が行く。
屈強な男が馬の口をとって引いていく。
それに出会う者は職業・身分のいかんを問わず道をゆずる。
これを避けて通る。
この車は、もちろん一つの空車にすぎない。
けれどもこれに出会うとき、自分はこれを目で迎え、
送ることを禁じえない、そう鴎外は書いていた。
このような空車を夢でみれば、おそらくいま地球を席巻する
コロナウィルスも矛を収めて道を避けはしまいか。
空車は、広い青空の下、
朝日を背に未来から吹いてくる希望の風にのって、
今日も無一物をのせ、無尽蔵をのせて、
大道せましと歩いていくだろう。
新聞に長く「老病生死」と題する死生観を連載していた
山折哲雄氏は、自分が病の床にあると言っていた。
もう回復されたのだろうか。一回りも上、かつ理系文系
の違いはあるが、大学の大先輩である。
さて、柏から我孫子宿へ向かう水戸街道ウォークである。
大堀川を渡るため一瞬だけ国道6号に出たあと、再び6号
を離れる。
ラブホの脇、これも一瞬だけイイ(↺)感じの風景となり、
その先で「根戸の大坂」と呼ばれる長い坂道が始まる。
S字を描く根戸の大坂の右手は北柏駅のあたり。やがて
急坂が緩み始めるころ、瓦葺の大きな家が目立つ様になる。
根戸宿として栄えたというが、多分「間(アイ)の宿」だ。
小金宿と我孫子宿のちょうど中間は柏あたりだが、幕府の
放牧場「小金牧」があったためだろう。
高い樹が目立つ東陽寺に寄る。本堂前の弘法大師様の脇、
紅白の梅が咲く春である。
通りの向かい側の浄蓮寺の枝垂れ紅梅も好い。
坂を上り切った根戸の水戸街道はやがて大きく北東から
南東へと右カーブする。ここを左に曲がって行くのが水戸
街道の脇往還「布施街道」。
矢田部藩、笠間藩が参勤交代に通った道である。この先、
土浦で再び合流すると言う。
引き続き民家の庭先の梅を愛でながら進むと国道6号
に出て横切る。その角に恵みのコンビニ、今日初めての
休憩とする。
我孫子宿までは1キロちょっとであるが、この続きは
次回、最終回。