始めに、私は理系である事を述べておきます。
下記の文章及びその反響を見てまず驚いたのは、理系の方々で反応している人達がいた事でした。
かの文章を読んだ日は悔しくて夜も眠れなかったとか、何という挑発的な文章だとか、アポロ話で、
かなりまともな事を述べられていたBread'n' Butterという人でさえ、「山田宏哉は許せない」等と書いたりしてます。
山田宏哉氏の主張は、大筋、全く当たり前の事だと思います。
ただ、政治に従属するのは「ナチュラルサイエンス」だけではないし、一定の政治的利益追求の為に雇われているのは、「理系技術者」だけではない事は明白です。
逆を言えば、山田氏のかの文章は、別に「ナチュラルサイエンス」や「理系技術者」に対する批判文ではないということです。
従って、かの文章に対する、上記のような反応は全く馬鹿げています。
山田氏は、下記の文章の中で、
>私は、これまで「理系は頭がよく、文系は馬鹿」というような言葉を聞く度、
と言っております。
この「文系は馬鹿」という言葉は、実は私も学生時代良く使いました。
というのも、例えば政治の話でも、経済の話でも、理系の人間は容易に理解する事が出来るのです。
知識として知らない事は多いでしょうが、話を聞いても、本を読んでも、その内容について理解する事は、全く問題なく出来るわけです。
ところが、文系の人間に理科の話をすると、文系の人間は何をどうしても理解できないのです。
あの、副島隆彦のアポロ本に書いてあるようなそういうレベルで、いくら説明してやっても理解できないのです。
これでは、「文系は馬鹿」と思うのは当然ではないでしょうか。
ただ、その後、私も大人になって分かりましたが、馬鹿と利口の区分けは「文系」「理系」とは全く関係なく存在します。
山田宏哉が、言っている
>「私は科学の専門家です。門外漢はだまっとれ」
という態度の理系の人間がいたとしたら、そいつは確かに馬鹿野郎です。
同様に、半端な知識しかないのに、「自分は碩学である」等とほざいている輩は大馬鹿者でしょう。
山田氏の文章は、理系に対する劣等感の表れであろうと思われ、それはつまり、まだ本当の馬鹿と利口の区別も付かない未熟者であるという事に過ぎません。
それに対して、反応してしまっている人達も、自ずと未熟者である事を示してしまっているという事になります。
下記の文章及びその反響を見てまず驚いたのは、理系の方々で反応している人達がいた事でした。
かの文章を読んだ日は悔しくて夜も眠れなかったとか、何という挑発的な文章だとか、アポロ話で、
かなりまともな事を述べられていたBread'n' Butterという人でさえ、「山田宏哉は許せない」等と書いたりしてます。
山田宏哉氏の主張は、大筋、全く当たり前の事だと思います。
ただ、政治に従属するのは「ナチュラルサイエンス」だけではないし、一定の政治的利益追求の為に雇われているのは、「理系技術者」だけではない事は明白です。
逆を言えば、山田氏のかの文章は、別に「ナチュラルサイエンス」や「理系技術者」に対する批判文ではないということです。
従って、かの文章に対する、上記のような反応は全く馬鹿げています。
山田氏は、下記の文章の中で、
>私は、これまで「理系は頭がよく、文系は馬鹿」というような言葉を聞く度、
と言っております。
この「文系は馬鹿」という言葉は、実は私も学生時代良く使いました。
というのも、例えば政治の話でも、経済の話でも、理系の人間は容易に理解する事が出来るのです。
知識として知らない事は多いでしょうが、話を聞いても、本を読んでも、その内容について理解する事は、全く問題なく出来るわけです。
ところが、文系の人間に理科の話をすると、文系の人間は何をどうしても理解できないのです。
あの、副島隆彦のアポロ本に書いてあるようなそういうレベルで、いくら説明してやっても理解できないのです。
これでは、「文系は馬鹿」と思うのは当然ではないでしょうか。
ただ、その後、私も大人になって分かりましたが、馬鹿と利口の区分けは「文系」「理系」とは全く関係なく存在します。
山田宏哉が、言っている
>「私は科学の専門家です。門外漢はだまっとれ」
という態度の理系の人間がいたとしたら、そいつは確かに馬鹿野郎です。
同様に、半端な知識しかないのに、「自分は碩学である」等とほざいている輩は大馬鹿者でしょう。
山田氏の文章は、理系に対する劣等感の表れであろうと思われ、それはつまり、まだ本当の馬鹿と利口の区別も付かない未熟者であるという事に過ぎません。
それに対して、反応してしまっている人達も、自ずと未熟者である事を示してしまっているという事になります。