さて、今日の写真は、幔幕によって飾られた当院の式台(玄関)入り口です。幔幕には紋が染め抜かれております。日本では、世界でも珍しく、それぞれの家が紋章=家紋を持たれていますが、お寺にもそれぞれの紋章=寺紋があります。
当院の寺紋は『雁木輪(がんぎわ)の中に頭合わせ三つ雁金(かりがね)』と申し、独特の意匠のもので、業者の方に発注する際は、下図の『雁木輪』と『頭合わせ三つ雁金』を提示させて頂いています。つまりは、もともとあった紋章を組み合わせて作られたものであることが分かります。しかし、この寺紋を見る度に、ご先祖様は、よくもまぁこんな複雑で派手な寺紋を考案したものだと感心したり、自らの派手好きは、遺伝なのかと(笑)考えたりしております。


『雁木輪(がんぎわ)』 『頭合わせ三つ雁金(かりがね)』
家紋の発祥は、平安時代に貴族の乗る牛車が、誰のものか区別するためだったと言われています。その後、鎌倉時代になると武士にも広がりを見せていきました。さらには江戸時代、勝手に苗字を名乗ることを禁じた幕府も紋の使用には、寛大だったようで庶民まで普及していったとされます。現代でも冠婚葬祭には紋付袴が正装とされているくらいですから、家紋は日本の重要な文化と言えます。(そうそう、報恩講にも紋付の羽織をお召しになって御参り下さる方がいらっしゃいます。報恩講が如何に大切な行事なのかを実感する光景です・・・)
日本の家紋の数は1万種類以上と言われ世界の紋章文化の中でも際立った存在だそうです。
ちなみに当院の紋は、遠祖西念房(親鸞聖人二十四輩の一人)が、井上源氏(信濃を拠点とした源氏の一族)の出身で、その井上氏が好んで使用していたのが、雁金紋であったことに由来するようです。そして私は、この雁金紋に雁木輪(がんぎわ)を組み合わせて使用したご先祖が、雁木輪の「雁(がん)」を阿弥陀如来の御本願(ほんがん)の「願(がん)」にかけたのではないかと推理しています。
今となっては、真相は定かではありませんが、何だか歴史の浪漫を感じませんか?
報恩講は、このような文化にも思いを馳せるきっかけになって下さいます。