12月31日(大晦日)は、私の地元では「お年とり」とも申します。
その由来は、現在は『満年齢』(生まれた直後を「0歳」とし、以降誕生日の当日を迎えるたびに1歳加えていくという方法)で数えられることが、一般化されていますが、その昔は(明治35年以前とお聞きしていますが)、年齢を『数え年』(生まれた時点の年齢を1歳とし、以後、正月が来るたびに1を加算する方法)が採られてきた経緯があるからです。つまり、大晦日には、皆平等に年をとるという発想から「お年とり」と申す訳です。
『数え年』と『満年齢』の関係は、ちょっとややこしいので、整理しますと以下のようになります。
元日から誕生日前日まで 数え年=満年齢+2
誕生日から12月31日まで 数え年=満年齢+1
ちなみに、現在満33歳の私は、新しい年を迎えると、数え年で35歳と言うことになります・・・
日常の生活においては、満年齢が普及している訳ですが、新年を迎えて、皆さんが気になさる「厄年の厄除け」は数え年にて算出され行われるようです。
「厄年」とは、災厄が起こりやすい年齢と理解されているようですが、もともと、厄年の「ヤク」とは「役目」の「役」のことで、共同体(社会生活・家庭生活)の中で重要な役割を担う年齢のことであったようです。つまり、共同体の中で大切な役が回って来て、精神的にも、肉体的にも重圧が掛かるから充分注意しなさいという、一つの統計的警告だったのです。
ところが、いつしか、「役」が「厄」と言い換えられ、あたかも災厄が起こりやすい年齢と理解されるようになったようです。
一般的に男性と女性の厄年は異なり、大厄は男性の場合は、25歳、42歳、61歳(満年齢では、23歳・40歳・59歳)女性の場合は19歳、33歳、37歳(満年齢の場合17歳・31歳・35歳)とされています。特に男性の42歳(満40歳)、女性の33歳(満31歳)は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされており、語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通じることから忌み嫌われているようです。
今年の始めのことです。大厄を迎えるという先輩が、とあるお寺に「厄払い」に行かれました。
ところが、その日に奥様が交通事故に合われ、足を骨折されたのです。
先輩は、冗談交じりに、
「霊験あらたかなんて宣伝してるが、あの寺はアテにならんな・・・
行った早々、この様だ(怒)いっそ、女房を連れていって、祈祷料を返してもらおうかと思っているよ」
と、おっしゃいました。
私は、先輩に、
「そりゃ無駄足になりますよ・・・
おそらく、そこのお寺さんこうおっしゃいますよ
『良かったですねー 骨折で済まれて・・・ 祈祷していなかったら、お亡くなりになられていたかもしれません』って」
と、お話しました。
仏教では本来、「厄除け」祈願等は行うはずは無いのです。
もし仮に、祈願によって災厄が退かれるのであるならば、人は死なないはずです・・・
年齢に関係無く、災厄は突然襲って来ます。災厄を避けようとも儘ならないのが人生です。しかし、災厄がいつ何処で襲ってこようとも、それを受け止め、乗り越えていく力を頂くことが、本当の意味の厄払いではないでしょうか?
私が、頂いている浄土真宗の教えは、どんな災厄に見舞われようとも、それを乗り越える大いなる力を恵まれる教えです。
人間の心は弱いものです・・・
しかし、真実を聞せ続けて頂けば、災厄を恐れることの無い安心を頂けるのです。
来年も、心弱い私を支えてくださる皆様に、そして阿弥陀様に感謝の気持ちを忘れることなく過ごさせて頂きたいと思っております。