ゆとりを失っています。
車のハンドルにアソビがなければ、危険なように、
バイオリンの弦を張りすぎれば切れてしまうように、
人間も適度な緊張と弛緩を意識しないと、壊れてしまいますね。
20日・21日と日本青年会議所の京都会議に行って参りました。
18日・19日は浄土真宗本願寺派の第一連区の布教使研修会にて、布教実演担当だった為、なかなかPCに向かう事が出来ず、ブログの更新を怠ってしまいました。
ちなみに、携帯電話から更新を試みたのですが、どうも編集の仕方が分からず。悪戦苦闘した挙句、断念致しました・・・
そんな中、たまたま、京都会議の会場にて WILLCOMのWS003SHという製品が、無料で購入できるサービス(利用開始は今週末位からですが)があり、思い切って契約して参りました。
これで、随時ブログを更新できる環境が整う訳ですが、小学校3年~6年生まで、担任をして頂いた西澤憲夫先生が、
「『量より質』と言われることが多いけれど、質は量の積み重ねによって向上していくんだよ、あせらず、ゆっくり、怠けずに、継続していきなさい」
と、教えて下さったことが、心に去来しております。
あらためて、日々の積み重ねを素直に書き綴って、あせらず、ゆっくり、でも、怠けることなく自分自身を見つめ直すようにしてまいりたいと思います。
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gooのトレンドランキングにて「ルー語変換」なるHPを発見しました。 変換したいページのURLや文章を入力すると、ルー大柴氏風の英語交じりの文章へと自動変換されます。
ちなみに、私のブログ記事は、
木賣慈教の「和顔愛語」(ルー語変換済み)←クリック
になります。
ところで、横文字交じり(英語交じり)の話し手として思い浮かぶ著名人は、ルー大柴氏の他、長嶋茂雄氏ですが、お二人に共通するのは、何となく感覚で物事を捉えていらっしゃって、いい意味で聞き手を煙に巻く微笑ましさがあることです。
数年前「長嶋語録」を集めた日めくりカレンダーに、
「サバって漢字でどう書くんだっけ? 」
と、言う問いに長嶋氏が、
「魚偏にブルー」
と、答えたと言うやり取りが掲載されていて、可笑しいやら、何もそこまで英語でと、今、流行っているお笑いコンビ、タカ&トシの「欧米か! 」という突っ込みを入れたくなりました。
ルー大柴氏や長嶋氏のように、芸能人、スポーツ選手また評論家として、感覚的に横文字を使われるのは、微笑ましいですし、聞き手も感覚的に受け流していると思うのですが、最近違和感を覚えるのが、政治家の方々のコメントに余りにも横文字(英語)が多いことです。
顕著なのは、塩崎官房長官です。(前長野県知事田中康夫氏もすごかったですが)
先日も、北朝鮮や米国との関係についての記者会見にて、
「非常にintelligenceでsensitiveなものがあり、6国間協議におけるkick off speakerとして」云々・・・
と、発言されていたのですが、皆さんこの意味お分かりになりますか?
私は、なんとも煙に巻かれたような気分になり、内閣の報道官(氏によるとspokesman)として、国民への責任を果たしているのだろうかと疑問を持たざる得ませんでした。
案の定、取材している記者の方が「sensitive」とはと問うと、上手く日本語に出来ない有様で、政治を司る人物が、感覚的に発言しているのではと不安を感じました。
ちなみに、上記の
「非常にintelligenceでsensitiveなものがあり、6国間協議におけるkick off speakerとして」を私なりに翻訳してみますと、
「非常に知的(政治用語では機密情報? )で微妙(きわめて繊細な事情? )なものがあり、6国間協議における冒頭発言者として」
ではないかと思います。こうしてみると、何も横文字(英語)を使わずとも良いのではと思います。
塩崎官房長官に限らず、公の場では、いわゆるテレビやハンバーガーといった一般名詞以外は、ことさらに外来語を使う必要はないのではないかと思います。どうも横文字を多用することによって、物事の本質をあやふやにしているように思うのです。
「人の振り見て我が振り直せ」と言われますが、話し手として自分はどうだろうかということも、充分反省しつつ・・・
年末から年始にかけて、私の体重は増加の一途を辿ります・・・
この時期は、様々な忘・新年会の他に、ご門徒さんのお宅にて、お食事をご馳走になる機会が、非常に多いからです。
本当に有難いことなのですが、それぞれのご門徒さんのお宅では、腕によりを掛けて、ご馳走をご用意して下さいます。お心のこもったお料理ですから、一品一品に感謝の言葉を添えて、残さず頂くことを心がけています。
しかし、大きな問題が・・・
本当に贅沢な悩みなのですが、以前、あるご門徒さんから、
「お好きな食べ物は何ですか? 」
と訊ねられ、迂闊にも
「海老が大好物です」
と、お答えしてしまい、どう広まっていったのか、お伺いするお宅にて、ことごとく海老料理をご用意頂くようになってしまったのです。
いくら大好物と申しましても、毎日のように昼食・夕食に頂いておりますと、海老が仇のように見えてまいります。
しかも、コレステロールが高い!!
このままでは、痛風まっしぐらです。かといって、私の大好物と知ってわざわざ、ご用意して下さっているご門徒さんに、なんと申し開きをしたらよいやら・・・
過去に遡って、呑気に「海老が大好物です」と調子に乗って答えた自分自身を懲らしめてやりたいくらいです。
毎年1月4日は、お朝仕(おあさじ=勤行)の後、近隣のお宅へお年始廻りをさせて頂いております。
当院は、自然災害等で寺基を移転している歴史があり、当地に移転したのは、元禄14年、今から約300年程前になります。
当時は、徳川幕府によって、寺檀制度が確立されており、布教活動の拠点として当地を選んだというより、幕藩体制下の松代藩(真田十万石)の誘致により落ち着いたようです。
そんな背景から近隣のお宅は、当院所属のご門徒さんではないのですが、皆さん地域のお寺ということで、大事にしてくださり、3ヶ日は、ご年始の挨拶にお越しくださいます。(ちなみに、当院のご門徒さんは、移転前の地域に多く、車で5~20分の範囲に集中しております。)
普段、地域内を歩くことが、少なくなっておりまして、年始廻りで地域内(半径500メートル程ですが)を歩くと様々な発見があります。
ここ数年は、郊外型の大型スーパー等の出店が相次いでいるせいか、宅地化が進み、新しい住民の方が増えております。
幼い頃、よく遊んだ空き地も無くなり、よく声を掛けて下さった方々も次々とお亡くなりになり、世代が入れ替わるとともに、同じ地域に居ながら、人の繋がり、温かさが薄れているように感じます。
1月17日は阪神・淡路大震災から12年となります。
その教訓としてお聞きするのが、ご近所付き合いの大切さです。
あの悲惨な状況で、最も頼りになり、救いとなったのは、行政やボランティアの方々よりも、先ずご近所同士であったそうです。
それは、普段(不断)の信頼関係があったればこそだと推察します。
「遠い親戚より 近くの他人」と、揶揄されることもありますが、こんな時代だからこそ、地域の絆のあり方を今一度、問い直していきたいと思います。
そして、お寺が地域の安らぎの場となり、地縁=寺縁という可能性を模索していきたいと考えております。