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木賣慈教の「和顔愛語」

浄土真宗本願寺派西敬寺(さいきょうじ)
木賣慈教(きうりじきょう)のブログです。

『おばけなんてないさ』

2007年08月12日 | 法縁日誌

今日、お盆参りにお伺いしたお宅で、小学校2年生と幼稚園のお嬢さん達に
「住職さん、おばけ(幽霊)っているんですか? 」
と、ご質問を頂きました。

さて、困りました8歳と5歳のお子さんにどうお話してよいものや・・・
さらには、ご両親もお祖父様・お祖母様も、この質問の答えに興味津々のご様子なのです。

私は、いるともいないとも断言は出来ないのですが、幽霊を見たという人はいると思います。見たという人を嘘つき呼ばわりしたり、疑うことはしませんとお話して、
以前本願寺布教使の小林顕英先生にお聞きしたお話をさせて頂きました。

日本の怪談話に出てくる幽霊は、女性で若くて美人だそうですが、それ以外に?幽霊?に共通している点が、三つあります。おわかりですか。ちなみに、男性の場合は?幽霊?とは呼ばないそうです。男性の場合は?化け物?だそうです。
共通している三点とは、ザンバラ髪で、両手を前に出し、足がないということです。

この?足がない?というのには、一つの例外があります。『牡丹灯篭(ぼたんどうろう)』という話は、カランコロンという下駄(げた)の音が入りますから、この話の?幽霊?は例外的に足があるのです。

ザンバラ髪というのは、どういうことかと言いますと、『後ろ髪を引かれる』と言われますように、過ぎてしまったことに、心を残しているということです。あんなことを言わなければ…。こんなことさえしていなければ…と、いうことです。

両手を前に出しているというのは、「取り越し苦労」ということです。出かける前日には、天気予報がとても気になります。しかし、いくら気にしても、降る時には降りますし、寒い時には寒いのです。どれほど私が心配してもどうにもならないことに、目を奪われてしまっているのです。

過ぎてしまったことに心を残し、まだ来ぬ事に目を奪われてしまい、?一番大切な私の足下がお留守になっている?というのが、足がないということです。

本当に?幽霊?を見たことは、ありませんか? 実は、鏡を目の前に持ってくればよいのではありませんか。

と、つまり幽霊とは自分自身であったり、自分自身が生み出す不安や不満が恐ろしい姿のマボロシのようになって現れるものかもしれないということですと・・・。

お嬢さん達の反応は、
「ふーん、よく分かんない」
と、つれなかったですが、帰りがけに懐かしい歌を聞かせてくれました。
この歌と共に今日のことを覚えていてくれたらありがたいなぁと思います。

『おばけなんてないさ』  
  槇みのり作詞・峯陽作曲
  ←クリックしていただくとメロディが聞けますよ!

おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ
ねぼけたひとが
みまちがえたのさ
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ

ほんとに おばけが
でてきたら どうしよう
れいぞうこに いれて
カチカチに しちゃおう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ

だけど こどもなら
ともだちに なろう
あくしゅを してから
おやつを たべよう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ

おばけの ともだち
つれてあるいたら
そこらじゅうの ひとが
びっくり するだろう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ

おばけのくにでは
おばけだらけ だってさ
そんなはなし きいて
おふろにはいろう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
おばけなんて ないさ
おばけなんて うそさ



鐘の音に非戦・反戦の誓いを込めて ~うすれゆく過去を確かに伝えてゆこう~

2007年08月07日 | 法縁日誌


先の15年年戦争(日中・太平洋戦争)が終結してから長い月日が流れました。過酷な戦時体験をされた方々の高齢化によって、過去の悲惨な記憶が次代へと語り継がれていくことが困難になっていることは否めません。さらには紛争・戦争の絶えない国際情勢の中、日本も再び戦争の道へと進もうとしている兆し(憲法
9
条改悪等)が現れてきました。
まさに、戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などに伴う出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、同じいのちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。
自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは仏の智慧だけであります。

親鸞聖人は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われました。 

 

                       

しかしながら、その教えを仰ぐ浄土真宗本願寺派教団は、戦時下において戦争遂行の国策に荷担し、兵器製造の為に梵鐘(ぼんしょう)や仏具を供出し、法座においては戦意高揚の説教を繰り返していました。仏教では本来「兵戈無用(ひょうがむよう)」(真の豊かさ、安らかさのためには、兵隊や武器は必要ない)「四海眷属(しかいけんぞく)」(世界の人々は皆友である)という普遍的な真理を説いています。


浄土真宗本願寺派河西組(長野市内にある本願寺派21ヶ寺)では終戦記念日にあたる8月15日を「平和の日」として、梵鐘のある寺院7ヶ所を会場として門信徒の方々に限らず、広く市民の方々をお誘いして午前11時から正午まで、各所において同時に梵鐘を撞いて頂き、非戦・反戦の誓いをお互いに確認し誓いを新たにさせて頂いております。


どうぞ、お近くの会場寺院にお運び頂き、思いを同じくする方々と共に、誓いを込めて梵鐘をお撞き下さい。
お越しいただいた皆様には、上記の親鸞聖人の「安穏」の文字が印刷された風船や戦争に関するパンフレットを進呈いたします。皆様のご来場心よりお待ち申し上げます。


尚、会場は以下の通りです。
(クリックしていただくと地図が表示されます)

本願寺長野別院(西後町)
正澤寺(下駒沢)
浄専寺(三才) (私はこちらにてお手伝いさせて頂きます)

長命寺(南堀)
西光寺(南高田)
専福寺(稲葉)
称名寺(小市)

 


地震

2007年07月16日 | 法縁日誌
本日、午前10時過ぎ長野にて震度5弱の地震がありました。
本堂にての法要を一旦中止いたしましたが、西敬寺の本堂・庫裏に被害はございませんでした。

全国からお問い合わせを頂きました。
取り急ぎご報告申し上げます。


どうしたものか・・・

2007年06月18日 | 法縁日誌
台湾から滞在中から風邪をひいてしまい、未だに完治しません。
台湾の気候は気温・湿度ともに高く、その為ホテルなど商業施設は、エアコンの温度設定をかなり下げていたらしく、油断しておりましたら、鼻水と咳が止まらなくなり、帰国後何種類か薬を試してみたものの効果が得られず困惑しております。

何よりも、ご法事にての勤行が思うようにならず、皆様に不快感を与えているのではと、自己管理の甘さに反省しきりです・・・

今週から来月にかけて、各種ご法要や研修会にて、ご法話のお取次ぎをご命じ頂いているので、ご迷惑をお掛けしないように療養しなければと、焦っています。しかし、自らの身体でありながら、思い通りにならない現実、「人に病苦あり」とはこのことですね・・・

皆様も気候不順のこの頃お身体御自愛ください。

降誕会(ごうたんえ)

2007年05月20日 | 法縁日誌
5月21日(旧暦4月1日)は親鸞聖人の降誕会(ごうたんえ)=お誕生日とされています。

実は、親鸞聖人のお誕生に関しては、正確な記録がありません。聖人自筆の奥書から逆算し承安3年(1173年) のお生まれであることは、判るのですが、その日付までは、実は判明していないのです。(ちなみに、浄土真宗本願寺派編纂の『浄土真宗聖典』の年表には、月日不詳が記されています。)

宗学院時代に、本願寺史料研究所の千葉乗隆先生にお聞きしたお話によれば、「降誕会(ごうたんえ)は、本願寺第19代本如上人(1788-1826)の時代にはじまった比較的新しい行事」とのことでした。つまり、江戸時代に5月21日(旧暦4月1日)を誕生日に特定し日野誕生院で祝賀法要が修されるようになり、さらに「降誕会」の名がつけられたのは、明治7年(1874)になってからのことだそうです。

もともと日本では誕生日をあまり意識せず、むしろ亡くなった日を重視するしないという伝統があります。
余談になりますが、日本の歴史上において、誕生日を意識的に利用したとされる人物は、織田信長ではないかと思われます。当時、日本に滞在していたイエズス会の宣教師によって、キリスト教では、神の生誕を盛大に祝うことを知った信長は、自らの神格化の方法として利用したようです。(宣教師ルイス・フロイスが、イエズス会本部に送った書簡によると、「信長は自らの誕生日を祝祭日として、安土に参詣することを命じた」とあります。)


さて、今日は近隣の長命寺様・来迎寺様・長仙寺様そして西敬寺の4ヶ寺の合同による「降誕会法要」が、長命寺様を会場にして開催されました。
ご講師には、本願寺長野別院の熊谷正明先生にお越し頂き、ご法話とサックスの演奏を聴かせて頂きました。

150畳敷きの広い本堂の中、先生の笑顔と優しい言葉、そして美しいサックスの音色が響きました。

いのちの深さ

2007年05月08日 | 法縁日誌

昨日は、越原萌奈さんの初参式が、西敬寺にて行われました。
                    
実は、三年前のこの日は、越原さんご夫妻のご長男斗志也君の誕生日であり、ご命日でもあるのです。
写真のケーキは、斗志也君のバースディケーキなのです。
ご一緒にお勤めした後、3本のキャンドルをご家族が、そっと吹き消されました。


3年前お二人は、初めて授かったお子さんを、たった一日で失われました・・・

お亡くなりになったその翌日、小さな小さな棺を前に、ご夫妻とその御両親そして私の7人だけのご葬儀をお勤めしました。
棺の前には、「斗志也」(としや)と書かれた命名用紙が一枚、そしてお母さんが必死におっぱいをあげようとしている写真が一枚飾られていました。

奥さんのお母様から、
「実は妊娠している時から、生まれてくる子は心臓に病気があって、出産しても育たない、ましてや母体にもたいへんな負担がかかるからあきらめなさい」
と、主治医の先生から診断されていたことをお聞きしました。
しかし、ご夫妻は、
「授かったこの子に、せめて一瞬でもいいから、私たちと同じ光り、同じ空気にふれさせてあげたい」
と、強く出産を望まれたことをお聞きしました。

覚悟の出産そして、死別・・・

棺に寄り添い、肩を寄せ合って涙しているご夫妻の姿には、悲しみと共に人間の尊さを荘厳したものを感じずにはおられませんでした。

時が経ち四十九日法要をお迎えしました。お二人が住むアパートにはお仏壇が用意され、その前にはお葬式の折のお母さんに抱かれた斗志也君お写真そして、哺乳瓶やおもちゃが並べられていました。20歳と23歳お若いお二人が懸命に悲しみから立ち直ろうとしているお姿が映し出されているようでした。
ご法要が終わり帰り際駐車場まで見送ってくださったお二人に、私はお慰めするつもりで、
「きっとまた、斗志也君の代わりに新しいお子さんが授かりますよ」
と、申し上げました。
すると奥さんがポロポロと涙をこぼして、
「お寺さんまで、そんなことを言うんですね・・・」
と、呟かれました。
そして続けて、
「お寺さん、斗志也に代わりはいないいんです・・・ あの子は、私たちにとってかけ
 がえの無い大切な子どもなんです
 たとえ新しい子が授かったとしてもそれは斗志也では無いんです」
と、はっきりとおっしゃいました。

私はその場に立ち尽くしてしまいました。まるで時間が止まってしまったかのように・・・

良かれと思って私が投げかけた言葉が、どれほどご夫妻を傷つけたのだろう、どれだけお亡くなりになった斗志也君に失礼であったろうと・・・ その後悔の念が身体中を駆け巡り、身体が固まってしまったかのようでした。
やっとのことで、
「本当にその通りです。ごめんなさい・・・」
と申し上げました。

たった一日の命
たった一日の親子の出遇い

でも、斗志也君は、その短い人生に深い深いメッセージを残してくれました。

私は、それまで命は横に伸びていくもの、つまり一年・十年・五十年といったように年月を伸ばしていくものだと思っていました・・・ 
それが長ければ長いほど良いという「ものさし」しかもっていませんでした。でも、斗志也君の命を通して横に伸びるばかりが命では無いと目覚めさせてもらいました。
それは、命には深さがあるということです。斗志也君はたった一日で、命の儚さ、かけがえの無さを伝えてくれました。そこには横に伸びる命とは違った有難さがあります。その命は私たちの長寿延命といった価値観で作られた「ものさし」では量れない命の不思議を感じます。

あれから3年。
斗志也君の妹、萌奈さんが誕生されました。



                
                5月7日  越原 萌奈さん初参式(しょさんしき)





ところで、阿弥陀さまは、「無量寿如来」とも讃えられます。

「無量寿」とは「量り無き寿(いのち)」という意味です。
浄土真宗の先哲、清沢満之先生は、
「吾等の大迷は如来を知らざるにあり、如来を知れば己が分限あることを知る」
と、お説きくださいました。
私たちは、自己中心的な「ものさし」を持っています。しかし、如来に出遇った時、その「ものさし」を折られ、量り知れない寿(いのち)のはたらきによって、真実に目覚めさせられ、仏の智慧という尊い「ものさし」を賜るのではないでしょうか。

斗志也君の命は、今、阿弥陀さまと共に深く深く私たちに苦しみ悲しみを乗り越えていく、はたらきとなってくださっています。

 



 


永代経法要② -仏教徒の自覚あらたに-

2007年05月07日 | 法縁日誌

3年前の永代経法要にてあるご門徒さんが、
「住職さん、名札があればありがたいなぁ。新しく加わってくださるお仲間もいることだし、その人の名前と、地域が分れば、話も弾むと思うんだけどなぁ」
と、ご提案下さいました。なるほど、よくよく考えてみれば、私(住職)は皆さんを存知上げていても、お集まりの皆さんは、初めて出遇う方もいらっしゃる訳です。そこで、それ以来ご法要の折には、参加者の方々に名札をご用意させていただくことになりました

そして、このご提案に便乗して、ご法名をお持ちの方々には、ご法名(ほうみょう)も記載させていただいて、皆さんにあらためて、法名の意味を考えていただくきっかけとさせていただくことを考えました。(写真はその名札になります)
この試みは意外? な効果をもたらしました。法名をお持ちの方々は、自らの法名の由来をきっかけに仏法談義に花を咲かせ、またお持ちで無い方に、法名を頂くようにと自分の経験をもとにお勧め下さる光景が懇親会にて広がりを見せたのです。

さて、このブログをご覧頂いている皆様は法名に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか?
 「亡くなった方に、お寺さんが着けてくれる名前? 」
と、思い込みされている方が多いのではないでしょうか?
本来、法名は仏教徒としての自覚の証です。キリスト教の信者の方が、洗礼式を授式されクリスチャンネームをお持ちのように、仏教徒も帰敬式(ききょうしき)を授式し、法名=ブッティストネームを頂くと例えてもいいかもしれません。

今年の永代経法要にて皆さんにお配りしたオリジナルのパンフレットから、法名に関して抜粋しましたので、ご覧頂ければと思います。

法名(ほうみょう)は生前に-帰敬式(ききょうしき)のお勧めー

法名(ほうみょう)? 戒名(かいみょう)? その違いとは 
法名とは、俗名に対する仏教徒としての名前のことで、他宗派では、出家受戒したときにつけられることから「戒名」とも言われることが多くありますが、浄土真宗は戒律を科せられることはありませんので、仏教徒の証として法名を頂きます。
浄土真宗門徒として、お念仏の「法=おみのり」に生かされている「名」が法名です。

法名(ほうみょう)は生前にいただくもの  
「名は体を表す」と言いますが、宗教的な名前を持つということは、自分がどういう命をいただいていくかを確認することと言えます。
私たちは、若い頃の目標や、老後の過ごし方とか、その時その時の一時的な方向は持っています。このような目標は予定通りに動いている時や、一時的には有効かもしれませんが、いつかはなくなる「命」ということについては、計算に入れません。
ところが実際には、今ここにいる自分自身が、次の瞬間には死をむかえているかも知れない命をいただいているのです。そういう命をいただいているからこそ、「いつかは」ではなく「今」、「どういう命をいただいていくのか」ということを、一番真っ先に見据えなければならないと言えます。
仏教は死んでからのものではなく、生きる者に「命の方向を教える」ものです。行き先が分からないバスに乗る人はいません。例えその行き先を実際に見たことがなくても、自分がどういう所に行くのかということが分かってないと、落ち着いて乗っていることはできません。法名をいただくことは、この私の命の方向性を定めることに他なりません。 

法名(ほうみょう)をいただくには 
西本願寺にて帰敬式(ききょうしき)を受式することによっていただけます。しかし、現状としては、残念ながら帰敬式のご縁に会えずに、ご葬儀の際、導師から授かることが一般化しています。つまり本来は生前にいただくものを、死後いただいているという形です。

帰敬式について
帰敬式(ききょうしき)とは、阿弥陀如来・親鸞聖人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮を送ることを誓う、私たちにとって最も大切な儀式です。この帰敬式を受式され、仏弟子となった方にご門主(本願寺住職)さまより法名が授与されます。
従来法名は、ご門主さまが選定されたものを帰敬式にて頂くことになっており、自ら選ぶことができませんでしたが、平成15年より法名の内願制度(自らの希望する法名を事前に申請し、審査を受けた後、帰敬式にて拝受すること)が始まりました。詳しくは次の通りです。

法名内願の規則 
①法名は、漢字二文字とする(頭に二文字とは別に「釋」の一字を頂き三文
 字とする、またひらがな等は使用しない)。  
②読みは、音読みとする。  
③遠慮文字 「如」「鸞」の文字。 歴代門主・裏方の院号・法名と同一の
  もの  
④使用する文字は、戸籍法施行規則による基準(常用漢字・人名用漢字)に
  基づくものとする。  
⑤「尼」は使用しない。

法名内願申請事務  
①内願法名申請者は、所属寺院の住職または住職代務に限る。  
②申請は、受式希望日の2ヶ月前までに参拝志納部に必着。  
③所属寺院がない者による内願申請は認めない。  
④内願のあった法名については内容を精査し、認めない場合もある。  
⑤内願不許可の場合、理由は公表しない。  
⑥内願申請に際し、帰敬式の冥加金とは別に本山に10,000円以上の冥
 加金をお納め頂く。 尚、内願を希望されない方には、従来通り、ご門主選
 定の法名が授与されます。

帰敬式詳細
 1、
会場:京都西本願寺(阿弥陀堂並びに参拝会館)
 2、執行日: 1月1日・1月16日の晨朝後と
1月8日・12月20日の終日を除く毎
       日2回(年間624回開催・閏年は626回)
 3、執行時刻 :午前の部・・・晨朝後引き続き
         午後の部・・・午後1時30分
     (ただし、本山恒例法要日は、午後1時執行ですのでご注意ください)                                                              
 4、受式申込:ご本山に直接お申し込みも出来ますが、ご希望日を住職に、
        ご連絡頂ければ代行致します。また、内願法名のご相談も
        承ります。
        尚、受式当日受付にて、ご本山への冥加金として、
              
成人 10,000円
               未成人 5,000円をお納め頂きます。
*
受式記念として、門徒式章・お念珠・帰敬式修了書・奉書された法名が授与 
 されます。             

帰敬式次第                                                  ・受付  *受式30分前に集合                                               ・「三帰依文」唱和(全員)  
 三帰依文とは、
 南無帰依仏(なもきえぶつ)=私たちを導いてくださる仏
 南無帰依法(なもきえほう)=法(仏の教え)  
 南無帰依僧(なもきえそう)=僧(教団)
 を敬い、心のよりどころとして生きることを誓うご文(もん)です。                                          ・おかみそり(ご門主さまより、剃刀をあてて頂き、形式的に剃髪をしま
              す。実際に剃ることはありません)
・「帰敬文」拝読(代表者)
・法名拝受 
・帰敬式受式者の集い(参拝会館に移り、ご法話をご聴聞致します)
・閉会(解散)

法名は平等に三文字
法名には、必ず頭文字に「釋」(しゃく)という文字をいただきます。
以前は、女性は「釋尼」でしたが、昭和61年からご本山にていただくご法名は、男女とも「釋」です。
これは「釋迦」の「釋」で、お釋迦さまの弟子であることを意味します。これは仏教徒としての姓のようなものです。
現在、法名は長い方がありがたいと思われる風潮がありますが、浄土真宗の法名は、平等に三文字です。
西敬寺の門信徒過去帳を調べましたところ昭和初期以前は、平等に三文字(女性は、尼がついて四文字)でした。しかし、戦争の影響つまり、他宗において戦死した方々に「院号」・「居士」・「信士」等を贈り字数を増やすことによってご丁重に供養するのだという社会的風潮の中、浄土真宗でもそれに迎合し字数を増やしていった感があります(真解脱・正定聚・不退位等が代表的)。
残された者が、亡き人を大切にする心は尊いものです。しかし、字数の多少を問題にするのは愚かなことではないでしょうか。それよりも亡き人のお心を受け止め、自らの生き方を考えていく姿勢が大切です。何よりも私たち自身が生前に法名をいただくことは、自らの生き方を次代に示していくこととも言えます。 

尚、浄土真宗でも「院号」がつけられることがありますが、これは、宗門の発展に貢献された方や寺院護持にご尽力された方を讃える意味で本願寺より下附されるものです。

如何でしょうか?
法名に関心を持たれた方は、お気軽にお問い合わせ下さいませ。


永代経法要① -「お経」とは-

2007年05月06日 | 法縁日誌

大型連休初日の4月28日に、毎年恒例の西敬寺永代経法要が勤修されました。

『永代経』(えいたいきょう)とは、そのような名前のお経があるのではなく『永代読経』の略で 『永代にお経が読まれる』という意味です。そこから『お寺が永代に存続し、み教えが大切に受け継がれるように』という願いが込められた意味にもなりました。

ところで『お経』とは、お釈迦様が説かれた教えをお弟子方が書きまとめられたものですが、それならば何故『お教』ではなく『お経』とされるのでしょう? 
だって、お釈迦様の教えなんですから単純に『お教』でいいと思われませんか?

実は、「経」と言う文字は、地球儀のタテ線を表す経線(けいせん)として使われるように、タテと言う意味があります。また「時を経(へ)て続く」等と使われるように、過去・現在・未来という時間という人生のタテ軸を貫く意味があります。ですから、「お経」とは、いつの時代においてもブレルことなく普遍的な真理を伝えるものと言えます。それはすなわち、アッチへふらふらコッチへふらふらと迷い惑っている私たちに、この道を往きなさいと常に示して下さる道標でもあるのです。

転じて、人生を織物に譬えてみましょう。
織物は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)から成立っていますが、どんな織物も経糸がしっかりしていなければ、緯糸をいくら通したところで、丈夫にまた美しくは織れはしません。
織物は、しっかりした経糸に緯糸を通してこそ完成されます。つまり、私たちの人生という織物は、お釈迦様の教えという経糸に支えられて、私の苦しみ・喜び・悲しみという様々な緯糸を通すことを繰り返してこそ完成されるのではないかと私は思うのです。

永代経法要のご縁は、まさに自分自身の苦しみ・喜び・悲しみを「経」に問い、聴かせて頂く絶好のご縁なのです。


初参式 -ご法義繁盛の礎に-

2007年05月05日 | 法縁日誌

春の暖かな陽射しが、溢れる西敬寺のご本堂で、初参式のご縁が続いています。

昨年、8月に当ブログでご紹介させて頂いて以来、本当に有難いことに初参式のご依頼を続々とお寄せ頂いております。(昨年8月の記事はこちらをクリックしてご覧下さい→初参式

ブログの記事の更新を怠っており、ご紹介が遅くなりましたが、ここであらためて最近の初参式の様子をご紹介させて頂きたいと思います。


    


                      3月3日 木賣 しなのさん 初参式


               


                       4月14日 池田 咲月さん 初参式

           


                 5月4日 坂本 凛々子さん・悠人くん 合同初参式

さて、お寺というとご葬儀というイメージが浸透しており、極端な方は、「死ぬまで用は無い」とおっしゃる方も現実にいらっしゃいます。しかし、本来お寺は人生の道場であり、それこそ誕生から浄土(往生される)まで人生の節目にその意義を確かにする儀式が用意されています。

西敬寺では、特に初参式の意味を以下のように独自のパンフレットをご用意しご紹介しております。

                       初参式に寄せて

初参式とは、新しい生命の誕生を慶び、私たちに生きることの意味を教え、真の拠りどころとなってくださる阿弥陀如来さまの前にて人生の出発をする式であります。 また、子を思う親の真心の発露の式でもありますし、子を授かりあらためて今まで育てくれた自らの親の願いに目覚めてさせていただく機縁でもあります。 
         
私の父(前住職)は「子どもを授かって初めて親の恩を知らされる」と申しておりました。また「子を育てていくということは、自分の親の恩を聞かされていくことだ」とも申しておりました。

初参式をご縁としてあらためて、恩についてご一緒に味わってみましょう。
「恩」には、次の3つの性質・特徴があるといわれます。 

第1に、恩は、それが大きいほどわかりにくいと言われます。 (逆に「小さい恩」は、よくわかる)たとえば、
 ▼身近でたすけてもらった恩。(困ったときに手を貸してくれた…とてもよくわかる) 
 ▼日光や空気など自然の恵み。(それなしでは生きられない…と頭では理解できる) 
 ▼私を生み育ててくれた親の恩。(子をもって知る親の恩というが、それでも親の恩の半分くらいしか、
                      わからない)
これらの恩は、上から下へいくほど、わかりにくい(大きい)といえます。そして、仏さまの「どんなことがあっても、決して見捨てることはない」という大きな大きなご恩は、いよいよこの私にはわかりにくいものです。

第2に、恩はこちらから求めて与えられたものでなく、求めるより先に恵まれた(いただいた)ものです。自然の恵みや親の恩、そして仏さまのお慈悲などは、みんなこちらからお願いしたものではありません。「タダもらい」です。そして、その代償を求める請求書はありません。(もしも、親が子どもに、成人するまでの養育費・食費・学費・医療費等を請求したら、ん!千万円にもなるでしょう)

第3に、恩は決して返しきれるものではありません。借金(ローン)は返済していけば、最後にはなくなります。しかし、わかりにくく、求めるよりも先に恵まれて、その上に請求書なしのご恩ですから、とても「帳消し」にすることはできません。 
それならば、この私には何ができるのでしょう? 
それは先ず、恩の深さとその中に込められた願いを聞き知ることでしょう。聞かされ、知らされることからが始まりです。そうすれば、その願いに応えて生きていくことができます。それは、「恩を返していく」ことではなく、「有難うございます」とお礼を言うことです。(これを御恩報謝といいます)  
私が本当の自分を知らされ、与えられたいのちをいっぱいに生きることが、そのままお礼(御恩報謝)です。とはいえ、残念ながら私たちは煩悩(様々な欲望・怒り・愚痴)に邪魔されて、阿弥陀さまのご恩は、とてもわかりません。
しかし、そんな「恩知らず」の私だからこそ、「ほうってはおかない」という阿弥陀さまであり、そのお心を私たちにお示し下さったのが親鸞さまであり、その御教えを私たちへとリレーして下さったの方々(一番身近なのはご先祖さまといえるでしょう)がいらっしゃるのです。 

阿弥陀如来のご恩を思うとき、そして浄土真宗の教えに導いて下さった師主知識(ししゅちしき=御教えを私たちへとリレーして下さったの方々)のご恩を思うとき、親鸞さまが

    「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 
               師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」                                                     
                                          (恩徳讃)
と詠われたことが、私たちにとっても、けして大げさではなく、感謝と喜びの発露となってくるのではないでしょうか。次代を担う子や孫へ、そのお心を是非伝えていきましょう。
                                   


追記
昨日、初参式をされた坂本悠人君の掛け衣装は、お父様の千尋さんが33年前にお宮参りにてお使いになられた物だそうです。(実は、坂本さんご夫妻は、このブログを通して初参式を知りご参加下さいました。)
授式後、大切に掛け衣装を畳まれながら「次に使うのはいつになるかな? 」と皆さんが嬉しそうにお話されていたことが印象的でした。
こういった御一家の伝統文化が継承されていく場面に立ち合わせて頂き、お寺は道場であると共に文化の殿堂としても大切にしていかねばと、心に誓わせて頂きました。


女性僧侶揃い踏み

2007年05月03日 | 法縁日誌

以前、ブログにて「寺族女性のためのやさしい勉強会というタイトルで、
歴史的・社会的に、特定の職業を男性が占有しているように思われているものが、少なくありません。お寺の住職も男性であるという固定観念が、なかなか払拭されていないのが現状ですが、浄土真宗(本願寺教団)では、多くの女性が住職・僧侶としてご活躍されいます。
と、ご紹介させて頂きました。しかしながら、実際には、なかなか女性僧侶の方々は、いざご法要となると、裏方にまわられることが多く、やはり法要の中心は、男性僧侶という先入観はなかなか払拭されていません。
そんな社会的・地域的背景を考慮されて、あえて女性僧侶の方々によるご法要が、須坂市の圓長寺様で執り行われました。
掲載させて頂いた写真は、出勤前の僧侶の方々です。 実は、この写真の中には、私の母が居るのですが、皆さんお分かりになられるでしょうか? 

実は、当院の法務は住職である私が、出来うる限り勤めてさせて頂いておりますが、緊急の法務が重なってしまった折は、母が代行させて頂くことがあります。
そんな状況に遭遇したあるご門徒さんが、
「住職さんが、来てくださらないとお聞きして、正直不満だったし、不安を感じたけれども、お母様に来て頂けて、本当に有難かった。お勤めも綺麗な調べだったし、何より色々なお話を聞いて頂いてスッキリしました。」
と、おっしゃってくださったことがあります。
「それは、いいご縁でした。」
と、私もホッとして御礼申し上げると、ご門徒さんは、忙しい私の身を案じておっしゃって下さったのですが・・・
「是非、次回もお母様に」と申し出られたのです。
不思議なものです。間髪入れずに、
「次は、私が必ず」
と、力説している私が居ました。
それはよくよく考えると「俺が俺が、私が私が」と、我を張る自分がそこに居ることにきづかされ。また、私自身も僧侶は、男性である方が受け入れられやすいという思い込みをしていることに気づかされたご縁でもありました。

僧侶は男性であるという固定観念に支配されていたのは、実は、「そうではない」と、声高に言っている自分自身であるのではと反省しきりです。