〈 『行持規範』 〉
戒弟全部が道場に入り終わったのを見て、戒師は行列より離れ、戒壇の西階より蓮華台(戒壇)に登り(このとき室侍、答壇して戒師の坐具を敷く、横に大展)、結跏朕坐する。戒師は合掌して微音に、
我今盧舎那 方坐蓮華台 周市千華上 復現千釈迦
(我れ今盧舎那、方に蓮華台に坐す、周匝せる千華上に、復た千の釋迦を現ず)
と繰り返し唱える(この間、戒弟は教授師に導かれて曲折を続けている)。
〈 『菩薩戒作法』 〉
遶三匝訖、経棹之西辺、燭之西著椅子。先到踏上、向椅問訊、右転身面南問訊。後収衣袖而上椅収足、以跏趺而坐、合掌即唱、
我今盧舎那、方坐蓮華台、周匝千華上、復見千釈迦
周而復始。唱声不絶。至発灑水之始、収合掌也。
〈 備 忘 〉
ここで遶匝数に差異がある事は今まで触れてきた通りですが、「棹の西辺を経、燭の西よりして椅子に著く。 …(中略)…… 後に衣袖を収めて椅に上り、足を収め、もって跏趺して坐し、合掌して即ち唱う」という部分は、現行の授戒会でも踏襲する部分でもあります。
さらに戒師が微温で「我れ今、盧舎那、方に蓮華台に坐す。周匝せる千華上に、復た千の釈迦を現ず」と唱える部分も然りでありましょう。
現代の授戒会においても、『行持規範』に「戒弟全部が道場に入り終わったのを見て、戒師は行列より離れ、戒壇の西階より蓮華台に登る」とある様に、やはりこの部分を起源にして現在の儀軌に変遷してきたものと考えられます。
また、「室侍、登壇して戒師の坐具を敷く、横に大展」(『行持軌範』)といった指示や、現在殆どの戒師が蓮華台にてお袈裟を通肩にかけ直す所作などは、『菩薩戒作法』には確認できなくても把握しておくべき当然の留意事項でもあると思われます。
また、この部分の『菩薩戒作法』で留意しておきたい事は、「我れ今、盧舎那、方に蓮華台に坐す。周匝せる千華上に、復た千の釈迦を現ず …(中略)…… 灑水を発するの始に至って、合掌を収む」という部分は、順逆儀軌に関する引用の中で出てくる「受者の九拝し訖る時、和尚は合掌を収め、黙然として坐す。唱偈もまた止む」という部分と連動しているという事であります。
詳しくは後の「順逆洒水」の考察で触れる予定でおりますので、一応ここでは指摘のみに留めておきたいと思います。
戒弟全部が道場に入り終わったのを見て、戒師は行列より離れ、戒壇の西階より蓮華台(戒壇)に登り(このとき室侍、答壇して戒師の坐具を敷く、横に大展)、結跏朕坐する。戒師は合掌して微音に、
我今盧舎那 方坐蓮華台 周市千華上 復現千釈迦
(我れ今盧舎那、方に蓮華台に坐す、周匝せる千華上に、復た千の釋迦を現ず)
と繰り返し唱える(この間、戒弟は教授師に導かれて曲折を続けている)。
〈 『菩薩戒作法』 〉
遶三匝訖、経棹之西辺、燭之西著椅子。先到踏上、向椅問訊、右転身面南問訊。後収衣袖而上椅収足、以跏趺而坐、合掌即唱、
我今盧舎那、方坐蓮華台、周匝千華上、復見千釈迦
周而復始。唱声不絶。至発灑水之始、収合掌也。
〈 備 忘 〉
ここで遶匝数に差異がある事は今まで触れてきた通りですが、「棹の西辺を経、燭の西よりして椅子に著く。 …(中略)…… 後に衣袖を収めて椅に上り、足を収め、もって跏趺して坐し、合掌して即ち唱う」という部分は、現行の授戒会でも踏襲する部分でもあります。
さらに戒師が微温で「我れ今、盧舎那、方に蓮華台に坐す。周匝せる千華上に、復た千の釈迦を現ず」と唱える部分も然りでありましょう。
現代の授戒会においても、『行持規範』に「戒弟全部が道場に入り終わったのを見て、戒師は行列より離れ、戒壇の西階より蓮華台に登る」とある様に、やはりこの部分を起源にして現在の儀軌に変遷してきたものと考えられます。
また、「室侍、登壇して戒師の坐具を敷く、横に大展」(『行持軌範』)といった指示や、現在殆どの戒師が蓮華台にてお袈裟を通肩にかけ直す所作などは、『菩薩戒作法』には確認できなくても把握しておくべき当然の留意事項でもあると思われます。
また、この部分の『菩薩戒作法』で留意しておきたい事は、「我れ今、盧舎那、方に蓮華台に坐す。周匝せる千華上に、復た千の釈迦を現ず …(中略)…… 灑水を発するの始に至って、合掌を収む」という部分は、順逆儀軌に関する引用の中で出てくる「受者の九拝し訖る時、和尚は合掌を収め、黙然として坐す。唱偈もまた止む」という部分と連動しているという事であります。
詳しくは後の「順逆洒水」の考察で触れる予定でおりますので、一応ここでは指摘のみに留めておきたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます