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(備忘)『伝法室内式』

2007-02-24 02:52:02 | 『伝法室内式』

誤解を恐れずに極論すれば、宗門における「伝法」(嗣法)は

 伝戒儀軌 + 法物伝付儀軌 = 伝法(嗣法)

という大まかな構図が成り立つものと思われます。

もちろん、この構図のみを以て宗門の「伝法」(嗣法)は語り尽くせるものではありませんが、「儀軌」のみに焦点を絞ればこの様な図式化は可能かと思われます。

ここで言う「伝戒儀軌」には、これまで参究してきた『仏祖正伝菩薩戒作法』(以下、『菩薩戒作法』)が当てられ、「法物伝付儀規」には、これから参究する『伝法室内式』が当てられる事となります。

これまで参究してきた『菩薩戒作法』は、宗門の現行授戒会と密接な関わりがあるので當寮で参究を重ねてきましたが、これから参究する『伝法室内式』に関しては、授戒会と直接関係はないものの、「伝法」において『菩薩戒作法』(伝戒儀軌)と併せて行じられるゆえ當寮にて取り扱う事にいたしました。

実はこの『伝法室内式』......道元禅師の著作ではない事はあまり知られていないのではないでしょうか(『菩薩戒作法』は道元禅師の著作と言われている)。

宗門各派に伝承されている伝法儀軌の古い資料を確認すると、名称の統一が為されてない事に気付かされます(「伝法室内式」の他に「伝法式」、「伝法室中式」、「室中作法」、「伝法儀式」、「密授道場儀式」などがある)。

一説によると、これは道元禅師による成文化された伝法資料が存在しなかった為、それぞれの各派が伝法儀軌に関しては「切紙」に頼らざるを得なかった事情があるとも言われております。

それでは、なぜ現在の伝法儀軌において『伝法室内式』が採用される運びとなったのでしょうか。

実は、この「伝法」(嗣法)に関しては當山の助化師さまが専門でもあり、今回記事を作成するに当たり色々とお話を伺う事ができました。

一般に、現在の「伝法」の現場にて厳修される『伝法室内式』とは、大乗寺本『伝法室内式』(以下、「大乗寺本」)が底本になっていると言われております。

助化師さまによると、伝法儀軌に関する多くの資料は中世及び近世の宗侶が残した文献(切紙も含む)に集約されており、その中には「大乗寺本」と内容が酷似する『伝法室内 式』(三重県広泰寺所蔵)も含まれているそうです。

なぜ、それらの資料の中から「大乗寺本」が採用されたのでしょう―。

諸説があるらしいのですが、助化師さまが推測するには、江戸期の宗統復古運動において、卍山道白が主導となり伝法儀軌を確立していく際に、その当時大乗寺にて護持されてきた『伝法室内式』(切紙)を正式な伝法儀軌として採り入れた経緯があったのではないかという事です。

宗統復古運動を展開していた頃の卍山道白は、京都の源光庵(卍山開山)という隠居寺に身を寄せていたらしいのですが、それ以前は大乗寺の堂頭職(住持)に就いていた人物です。

当時「規矩大乗」と称されていた様に、自らが堂頭を務めていた叢林に伝承される切紙に着目した理由は当然の流れかとも思えます。また、法物を伝付する際の儀軌として最も整合性が取れており、師(師僧)から資(弟子)へ「法」が伝授された事を自覚するにも適した形として判断されたのかもしれません。

切紙として伝承されてきた『伝法室内式』は、著者の起源等を遡るにもある程度限界があるのですが、それでも正式な伝法儀軌として採用された背景には、偏に卍山道白の影響が大きかった事実は否めないものと思われます。

これから『伝法室内式』を参究していく過程で分かってくる事ですが、その当時主流であった伽藍法から人法への転換、また現在の様な三物(血脈・嗣書・大事)授受の形の基礎を築いたのは、この卍山道白の影響によるものと捉えて良いのかもしれません。

これ以上の「伝法」(嗣法)の詳述に関しては助化師さまの力を借りるとして、要は以上の様な経緯から『伝法室内式』が伝法儀軌として採り入れられ、今の時代にまで伝わってきたのだと考えられます。

それでは次回より、その「伝法」を象徴する儀軌が詰まった『伝法室内式』の中身について参究していきたいと思います。

参考資料:永久岳水著『行持學全集』巻四(鴻盟社、1952年)、當山助化師御提唱

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