〈 『行持規範』 〉
戒師は道場入口(幕の外)の曲彔に坐して、教授道場より来る戒弟を待ち、引請師はその側背に立つ。教授師は教授道場を終わり、戒弟を率いて本道場に向かい、戒師と揖する。道場入口より、戒弟は、戒師に導かれて戒師、教授師、引請師、室侍、直壇、四衆の順序にて正授道場に入り、合掌しつつ道場内を曲折して進む。道場内に入ったならば、戒師は、
南無仏陀耶 南無達磨耶 南無僧伽耶 南無祖師菩薩
を繰り返し唱えながら四衆を率い、正面に至るごとに三師は壇上に向かって問訊(合掌低頭)し、また、元のごとく戒弟を引導曲折して進む。
〈 『菩薩戒作法』 〉
其路如先。但到和尚之椅西南而暫止。時和尚起椅与教授師相問訊。〈 和尚立于東面西、教授立于西面東。〉受者立于教授之後問訊。後和尚合掌、右転身而赴道場。向南之時、和尚即唱云、
南無仏佗耶、南無達磨耶、南無僧伽耶、南無祖師菩薩。
周而復始。遶道場三匝之間、唱声不絶。教授同唱。遶行次第、先和尚、次教授、次受者。〈 或和尚、次侍者、次受者、次教授。〉毎到正面問訊而遶。
〈 備 忘 〉
まず、冒頭に「其の路、先の如し」とありますが、これは前に述べた見道場の際の「西の縵の傍らを歩みて道場に入る」という記述を指して言うものと思われます。
しかし、現行の授戒会では道場立地の都合上、必ずしも道場入口を「西の縵の傍」に設けている訳ではありません。
本山授戒会に例を見る様に、現在その殆どが東側に入口を設けているのが現状でもあります。
これも時代の変遷とともに変化してきた部分の一つでありましょう。
但し、『菩薩戒作法』に度々触れられる入室の際の「先ず左足を挙ぐ」という儀軌同様、この「西の縵の傍らを歩みて道場に入る」という部分も、伝戒の際に特記される儀軌の一つとして把握しておく必要がありましょう。
要は、道場立地の都合上、逆に西側にしか入口を設けられない場合には、必ずしも東側でなくて良いという事です。
現在の授戒会の殆どが東側にしか入口を設けてなくても、東側に入口を設けられない場合は西側でも可という事になります。
つまり、本来あるべき形さえ踏まえていれば、便宜的にどちらに入口を設けようとも、それは方便として許容されるという事です。
畢竟、形を変えるという事は「方便」の範疇(本来あるべき形を踏まえた上での応用)においてのみ許容されるものだと思います。
その意識の差は、いずれ効率的な儀軌への変革を生み出すでしょうし、逆に儀軌の独り歩きを見過ごしてしまう弊害をも生み兼ねません。
形を変える際の原点回帰の姿勢は保持されるべきだと考えます。
話を元に戻しますが、また「和尚の椅の西南に到って暫く止まる」という記述にも確認できる様に、道場入口に戒師用の椅子を準備しておく公務なども然りでありましょう。
現代に引き継がれるこの公務も、『菩薩戒作法』に拠っている事は明白であるとも言えます。
その後、『菩薩戒作法』では「和尚(侍者)・教授・受者」の順にて正授道場に入堂する事となりますが、『行持軌範』では「戒師・教授師・引請師・室侍・直壇・四衆」という順列となっております。
これも時代の変遷とともに変化してきた部分でありますが、時宜に応じて引請師が付加された事と、戒侍同様、室侍も戒師の侍者としての役割を果たすものであり、この部分も『菩薩戒作法』に準じた順列編成になっている事は明らかであります。
また、ここでの入道場に関する儀軌も、「時に和尚、椅より起って教授師と相問訊す。〈 和尚は東に立って西に面し、教授は西に立って東に面す。〉受者は教授の後に立って問訊す。後に和尚合掌し、右に身を転じて道場に赴く。南に向う時…、」と子細なる指示が確認できますので、師資間(教授師も含)における嗣法(伝戒)の際にもぜひ厳修して頂きたい部分でございます。
次の「南無仏佗耶、南無達磨耶、南無僧伽耶、南無祖師菩薩」と三宝・祖師菩薩を讃える咒文(これは『仏陀神咒』が起源かと思われます)を唱えながら遶匝する儀軌も、現行の授戒会に引き継がれる部分であります。
ただ、遶匝に関して『菩薩戒作法』では「三匝」と明示されておりますが、『行持軌範』で厳密に触れられてはおりません。
また『菩薩戒作法』では「正面に到るごとに問訊して遶る」と指示がありますが、『行持軌範』では「三師」に限定して「壇上に向かって問訊(合掌低頭)」と説明が付されるだけです。
現行の授戒会では、四衆までもが中央問訊していたら遶匝が乱れ兼ねないと危惧し、略された部分であると思われます。
これらも「一対一」から「一対多(四衆)」に変遷する過程において変化してきた部分とも言えましょう。
戒師は道場入口(幕の外)の曲彔に坐して、教授道場より来る戒弟を待ち、引請師はその側背に立つ。教授師は教授道場を終わり、戒弟を率いて本道場に向かい、戒師と揖する。道場入口より、戒弟は、戒師に導かれて戒師、教授師、引請師、室侍、直壇、四衆の順序にて正授道場に入り、合掌しつつ道場内を曲折して進む。道場内に入ったならば、戒師は、
南無仏陀耶 南無達磨耶 南無僧伽耶 南無祖師菩薩
を繰り返し唱えながら四衆を率い、正面に至るごとに三師は壇上に向かって問訊(合掌低頭)し、また、元のごとく戒弟を引導曲折して進む。
〈 『菩薩戒作法』 〉
其路如先。但到和尚之椅西南而暫止。時和尚起椅与教授師相問訊。〈 和尚立于東面西、教授立于西面東。〉受者立于教授之後問訊。後和尚合掌、右転身而赴道場。向南之時、和尚即唱云、
南無仏佗耶、南無達磨耶、南無僧伽耶、南無祖師菩薩。
周而復始。遶道場三匝之間、唱声不絶。教授同唱。遶行次第、先和尚、次教授、次受者。〈 或和尚、次侍者、次受者、次教授。〉毎到正面問訊而遶。
〈 備 忘 〉
まず、冒頭に「其の路、先の如し」とありますが、これは前に述べた見道場の際の「西の縵の傍らを歩みて道場に入る」という記述を指して言うものと思われます。
しかし、現行の授戒会では道場立地の都合上、必ずしも道場入口を「西の縵の傍」に設けている訳ではありません。
本山授戒会に例を見る様に、現在その殆どが東側に入口を設けているのが現状でもあります。
これも時代の変遷とともに変化してきた部分の一つでありましょう。
但し、『菩薩戒作法』に度々触れられる入室の際の「先ず左足を挙ぐ」という儀軌同様、この「西の縵の傍らを歩みて道場に入る」という部分も、伝戒の際に特記される儀軌の一つとして把握しておく必要がありましょう。
要は、道場立地の都合上、逆に西側にしか入口を設けられない場合には、必ずしも東側でなくて良いという事です。
現在の授戒会の殆どが東側にしか入口を設けてなくても、東側に入口を設けられない場合は西側でも可という事になります。
つまり、本来あるべき形さえ踏まえていれば、便宜的にどちらに入口を設けようとも、それは方便として許容されるという事です。
畢竟、形を変えるという事は「方便」の範疇(本来あるべき形を踏まえた上での応用)においてのみ許容されるものだと思います。
その意識の差は、いずれ効率的な儀軌への変革を生み出すでしょうし、逆に儀軌の独り歩きを見過ごしてしまう弊害をも生み兼ねません。
形を変える際の原点回帰の姿勢は保持されるべきだと考えます。
話を元に戻しますが、また「和尚の椅の西南に到って暫く止まる」という記述にも確認できる様に、道場入口に戒師用の椅子を準備しておく公務なども然りでありましょう。
現代に引き継がれるこの公務も、『菩薩戒作法』に拠っている事は明白であるとも言えます。
その後、『菩薩戒作法』では「和尚(侍者)・教授・受者」の順にて正授道場に入堂する事となりますが、『行持軌範』では「戒師・教授師・引請師・室侍・直壇・四衆」という順列となっております。
これも時代の変遷とともに変化してきた部分でありますが、時宜に応じて引請師が付加された事と、戒侍同様、室侍も戒師の侍者としての役割を果たすものであり、この部分も『菩薩戒作法』に準じた順列編成になっている事は明らかであります。
また、ここでの入道場に関する儀軌も、「時に和尚、椅より起って教授師と相問訊す。〈 和尚は東に立って西に面し、教授は西に立って東に面す。〉受者は教授の後に立って問訊す。後に和尚合掌し、右に身を転じて道場に赴く。南に向う時…、」と子細なる指示が確認できますので、師資間(教授師も含)における嗣法(伝戒)の際にもぜひ厳修して頂きたい部分でございます。
次の「南無仏佗耶、南無達磨耶、南無僧伽耶、南無祖師菩薩」と三宝・祖師菩薩を讃える咒文(これは『仏陀神咒』が起源かと思われます)を唱えながら遶匝する儀軌も、現行の授戒会に引き継がれる部分であります。
ただ、遶匝に関して『菩薩戒作法』では「三匝」と明示されておりますが、『行持軌範』で厳密に触れられてはおりません。
また『菩薩戒作法』では「正面に到るごとに問訊して遶る」と指示がありますが、『行持軌範』では「三師」に限定して「壇上に向かって問訊(合掌低頭)」と説明が付されるだけです。
現行の授戒会では、四衆までもが中央問訊していたら遶匝が乱れ兼ねないと危惧し、略された部分であると思われます。
これらも「一対一」から「一対多(四衆)」に変遷する過程において変化してきた部分とも言えましょう。
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