クニさん式日常

日々の出来事を私流に綴ります。
全て私の個人的見解とご理解下さい。

葬儀

2016年09月15日 | 出来事
控室にはお風呂などの設備も備わっていましてね、朝シャンなどして
身支度を整えましてね、司会の方と打合せをしたり一部の方の焼香の順
なども決めたり弔電の順を決めたりしました。
受付の方達も早めに来て下さり、私達は入口付近で会葬にお見えになった
方々をお迎えしまた。住職と娘さんのお二人もお見えに成り挨拶にお伺い
しましたよ。
葬儀が始まる前に係の方から一通りの流れを説明して頂き定刻の11時に
葬儀の開始と成りました。
係の方に促される通りにお焼香をし、夫婦で焼香台の横に立って
お焼香される方々に頭を下げましてね、そして喪主の挨拶では
込み上げてくるものが我慢出来ずに涙が止まりませんでしたよ。
そして母の棺の中を花で一杯にしてね最後のお別れに成りました。
私が位牌を家内が遺影を上の娘が骨壺をその後ろに皆さんが棺を
持って隊列を作って進み棺を霊柩車に乗せました。
ここで最後の挨拶をして私が霊柩車に乗りマイクロバスとワゴン車2台で
火葬場へ向かいました。
香典等は受付の方が鞄に入れて金庫へ仕舞って呉れましてね鍵は娘が
受け取りました。



通夜式

2016年09月15日 | 出来事
母には院号をお願いしましたので立派な戒名を授かる事が出来ました。
通夜式が始まる前に葬儀場の方から一通りの流れを説明して
頂きましてね7時の定刻通りに通夜式が始まりました。
係の方に促される通りにお焼香をし、夫婦で焼香台の横に立って
お焼香される方々に頭を下げましてね、そして喪主の挨拶も乗り切り
通夜式は終了しました。最後に出口付近で弔問頂いた方々にお礼をして
一通りの事を済ますことが出来ました。
また簡単な食事も用意しましてね母の兄弟や跡取りの皆さん、家内の
在所のお父さんやお兄さん、妹家族、娘家族らの皆さんにに食べて頂きました。
本当に沢山の方にご弔問頂きましてね、有難い事ですね。
そして母の遺体は控室に移され私達も控室で着替えて一晩を過ごす
事に成りました。
私達夫婦と家内のお父さんと娘の4人で母を一晩見守りましたよ。



葬儀に向けて・・

2016年09月15日 | 出来事

その夜は家内と娘が母の傍で就寝して呉れましてね、線香は12時間
ロウソクは40時間ほど持ちますので線香を替えておけば翌朝までは
交換の必要は有りません。
翌日は近くの一統の方達が弔問に来て呉れまして、生花も出して頂ける
事に成りましてね、また家内の在所のお父さんやお兄さん夫婦とか
妹家族とか沢山の方が弔問に訪れて呉れましてねこちらも生花や篭盛を
出して頂ける事に成りました。
そうこうしている内に棺が到着し母の遺体を収めて頂きました。
また孫一同で出してくれた枕花も到着しましてね一気にそんな
雰囲気に成りましたね。
5時少し前に母の遺体を葬儀場に移しましてね私達も一緒にそちらへ
移動しました。すでに祭壇だとか生花や篭盛なども並べられていましてね
にこやかにほほ笑む母の遺影も立派に祭られていました。
母の遺体は祭壇に安置され、私たちは一旦親族控室に入りました。
受付をお願いした同年の方達も早めに来て呉れましてね、私達は
入口付近で通夜式に訪れてくれた方々に頭を下げお迎えをしました。
やがて住職の娘さんと奥さんの二人も到着し挨拶に伺ったりしましてね
奥さんは私と同級生なんで「〇〇ちゃんも大変でしたね」なんて声を
かけて頂きましたよ。

葬儀に向けて・

2016年09月15日 | 出来事

それから檀那寺に電話して枕経をお願いしたり、葬祭センターの方と
通夜や葬儀の打合せをしたりしました。やがて妹が来て娘も帰宅し
更に念入りな化粧を施しましてね孫は興味深そうに見ていましたよ。
私としては隣の市にはなるんですが父も祖母もお世話になった近くの
火葬場をお願いしたかったのですがそこの空時間と葬儀の時間が
合わず結局私の住む市の遠い火葬場をお願いする事に成りました。
同年の友人達に受付をお願いしましてね、早速弔問に訪れて呉れましたよ。
枕経も終え住職さんも交えセンターの方と通夜と葬儀と三日七日の
打合せをしました。
やがて母の兄弟や跡取りの方達が弔問に訪れて呉れましてね
母の在所の跡取りの方は隣の家のお通夜に参列してからの
訪問でした。
皆さん、生花だとか篭盛だとかをセンターの方にお願いしましてね
また遺影の写真を選んだりして夜遅くまでお付き合いして下さい
ました。
父も祖母も自宅葬でしたので大変だったのを覚えていますが
葬祭センターにお任せすると言葉は悪いですが流れに沿って
進んで行きますので気持的な負担はかなり少なくなった感は
有りますね。ただ費用は発生しますがね。


葬儀に向けて

2016年09月15日 | 出来事
しばらく葬儀の記事を忘備録としてUPします。

結局母には回復するだけの体力が無かったと言う事でした。
担当医が死亡を確認すると、看護婦さんから「遺体の処置をしますから
外でお待ち下さい」と言われましてね、家内は家の片付けで先に帰宅し
私一人で待つ事に成りその間に農協の葬祭センターに電話したり
何度電話しても通じない妹や娘に再度電話したり母の在所の跡取りに
電話したり同年に電話したり救急センターの会計を済ませたり
とかしている内に看護婦さんに呼ばれ中に入りました。
口が開かない様にタオルがかって有ったり薄く化粧がして有ったり
してね「更に化粧が必要な時はこれをお使い下さい」と今使った化粧品を
渡して呉れました。その後死亡診断書を受け取り安置室に移って
葬祭センターの方がお見えになるまで1時間程待ちました。
やがて葬祭センターの方がお見えに成り遺体を我が家まで運んで
頂きました。救急センターから我が家まで結構有りましてね
車3台で1時間程掛かりましたかね。
そして遺体を我が家に安置して頂きました。
布団とシーツは家に有る物を使うとの事で慌てて支度しましたよ。
簡単な祭壇が用意され長時間持つ線香とロウソクを灯しました。
これは葬儀まで絶やす事が出来ない訳ですね。