先週の火曜日、毎週楽しみにしていた日本テレビ系列放映『セクシーボイス アンド ニコ』(佐藤東弥・演出/木皿泉・脚本/制作・日本テレビ/制作協力・トータルコミュニケーション)が終了した。
荒唐無稽な設定とストーリーの中に、リアルな現代性が描かれていて、原作者、そして脚本の木皿泉さんに脱帽した。
昨日、卒業生からメルあり。FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『ネットカフェ漂流』(2007年6月25日放映/フジテレビ制作)の手伝いをしたので、見て欲しいとのこと。この日は、NNNドキュメント'07では、『ネットカフェ難民2』(日本テレビ制作)が、放映。この番組は、話題をさらったNNNドキュメント'07『ネットカフェ難民』(2007年1月28日放映)の続編だ。
『ネットカフェ難民』では、虐待にあって家を出て、1年あまりネットカフェ暮らしを続ける若い女性が取材されていた。『ネットカフェ漂流』のメインキャストは、親に捨てられ、就職した会社では怪我をし、そのままお払い箱となってネットカフェ暮らしだった。
「優しくされるのって、いいなぁ」「優しくされたこと、忘れないよ」と語ったのは、『セクシーボイス アンド ニコ』の第2回『ゴボ蔵』だ。
上記ドキュメンタリーで挙げた二人は、一人で頑張っている。『ネットカフェ漂流』のメインキャストは、取材者に支援団体を尋ねるように言われるが、その後、当分の間、取材者と音信を絶つ。意を決して訪れた支援団体では「自分のお金で、なんとか暮らしたい」と語る。
NHKスペシャル『ワーキング・プア』でも、ある貧困者が「自分の力で生きたい」と、語った。
ドキュメンタリーでは、このように自分の力で生きようとする人々を取材し、ややもすると「なぜ、こんなしっかりした人が、こんな目に…」という語り口を持つ。裏を返そう。しっかりしているから、こんな目に遭うのではないだろうか?
小説家の村上龍氏が以前、「ノンフィクションが有効に機能しない。フィクションこそが大切だ」と、いったような趣旨を発言していた。まさにその通りではないだろうか?『セクシーボイス アンド ニコ』のほうが、現代における解決策の一端を描いていないだろうか?
様々な意味で問題を持つ少年・少女を取材している。彼らの人生で足りないものの一つは「優しさ」だと感じることが多い。「優しくされた記憶」、「優しくして裏切られた記憶」…そういった優しさをドキュメンタリーで表現できるのか、色々な意味で難しい局面に直面している。
フィクションとノンフィクション。何か逆転した寂しさを味わっている。
荒唐無稽な設定とストーリーの中に、リアルな現代性が描かれていて、原作者、そして脚本の木皿泉さんに脱帽した。
昨日、卒業生からメルあり。FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『ネットカフェ漂流』(2007年6月25日放映/フジテレビ制作)の手伝いをしたので、見て欲しいとのこと。この日は、NNNドキュメント'07では、『ネットカフェ難民2』(日本テレビ制作)が、放映。この番組は、話題をさらったNNNドキュメント'07『ネットカフェ難民』(2007年1月28日放映)の続編だ。
『ネットカフェ難民』では、虐待にあって家を出て、1年あまりネットカフェ暮らしを続ける若い女性が取材されていた。『ネットカフェ漂流』のメインキャストは、親に捨てられ、就職した会社では怪我をし、そのままお払い箱となってネットカフェ暮らしだった。
「優しくされるのって、いいなぁ」「優しくされたこと、忘れないよ」と語ったのは、『セクシーボイス アンド ニコ』の第2回『ゴボ蔵』だ。
上記ドキュメンタリーで挙げた二人は、一人で頑張っている。『ネットカフェ漂流』のメインキャストは、取材者に支援団体を尋ねるように言われるが、その後、当分の間、取材者と音信を絶つ。意を決して訪れた支援団体では「自分のお金で、なんとか暮らしたい」と語る。
NHKスペシャル『ワーキング・プア』でも、ある貧困者が「自分の力で生きたい」と、語った。
ドキュメンタリーでは、このように自分の力で生きようとする人々を取材し、ややもすると「なぜ、こんなしっかりした人が、こんな目に…」という語り口を持つ。裏を返そう。しっかりしているから、こんな目に遭うのではないだろうか?
小説家の村上龍氏が以前、「ノンフィクションが有効に機能しない。フィクションこそが大切だ」と、いったような趣旨を発言していた。まさにその通りではないだろうか?『セクシーボイス アンド ニコ』のほうが、現代における解決策の一端を描いていないだろうか?
様々な意味で問題を持つ少年・少女を取材している。彼らの人生で足りないものの一つは「優しさ」だと感じることが多い。「優しくされた記憶」、「優しくして裏切られた記憶」…そういった優しさをドキュメンタリーで表現できるのか、色々な意味で難しい局面に直面している。
フィクションとノンフィクション。何か逆転した寂しさを味わっている。