とても気になった記事があるので、紹介させて頂く。2007年7月2日付け東京新聞TOKYO発『見えなくても 音で肌で…感じるシャッター』だ。 インターネットでは全文が読めないことが残念だが、写真指導した菅洋志氏のホームページで、その折々のドキュメントを見ることができる。『子どもは天才』という写真展の項目だ。
記事を読んだ時、電車の中でうっかり涙を流してしまった。悲しいとか、目の見えない人たちが写真を撮るいじらしさとか、情に流されたのでは決してない。良い映画や、良いカットを見たときに流れる「感動の涙」という奴だ。
目が見えないからといって、ただ興味の向くまま、シャッターを押したとは考えられない。目の見えない人の、研ぎ澄まされた耳が、その方向へ正確にカメラを向けさせたのかもしれない。見えないけれども、何かを感じる、例えば空気、風、匂いなどが、カメラをそちらに向けさせたのかもしれない。
実際、新聞に載った写真の数枚は、見た者を喚起させる何かが潜んだ写真に見えた。電車が好きな子どもが、踏み切りでシャッターを押した写真は、正確に踏み切りを通過する電車が収められている。鳥の声にシャッターを押した写真は、夕暮れ時、電線に並ぶ鳥たちの姿がバッチリ納められている。大好きな弟を撮った写真は、可愛らしい寝顔が、その寝顔を知っているかのように可愛らしく納められている。
あるはずのその場所に、きちんと全てが納められている写真。見たはずの、見そこねた風景が納められた写真。
写真を志す者なら誰でも知っている、パリの写真家・ウジェーヌ・アッジェ(1857-1927)の写真を何か思い出させるような気分になった。
盲目の写真家の撮った写真展、日本新聞博物館にて8月26日まで開催されている。ちょっと訪れてみませんか?
記事を読んだ時、電車の中でうっかり涙を流してしまった。悲しいとか、目の見えない人たちが写真を撮るいじらしさとか、情に流されたのでは決してない。良い映画や、良いカットを見たときに流れる「感動の涙」という奴だ。
目が見えないからといって、ただ興味の向くまま、シャッターを押したとは考えられない。目の見えない人の、研ぎ澄まされた耳が、その方向へ正確にカメラを向けさせたのかもしれない。見えないけれども、何かを感じる、例えば空気、風、匂いなどが、カメラをそちらに向けさせたのかもしれない。
実際、新聞に載った写真の数枚は、見た者を喚起させる何かが潜んだ写真に見えた。電車が好きな子どもが、踏み切りでシャッターを押した写真は、正確に踏み切りを通過する電車が収められている。鳥の声にシャッターを押した写真は、夕暮れ時、電線に並ぶ鳥たちの姿がバッチリ納められている。大好きな弟を撮った写真は、可愛らしい寝顔が、その寝顔を知っているかのように可愛らしく納められている。
あるはずのその場所に、きちんと全てが納められている写真。見たはずの、見そこねた風景が納められた写真。
写真を志す者なら誰でも知っている、パリの写真家・ウジェーヌ・アッジェ(1857-1927)の写真を何か思い出させるような気分になった。
盲目の写真家の撮った写真展、日本新聞博物館にて8月26日まで開催されている。ちょっと訪れてみませんか?
http://www.1by1.jp/afan/afan_recruit.html