最期の昼食は、レーズンロールにマーガリンと書いたが、これは最期の朝食にしよう。
最期の昼食は、釜玉うどんだ、釜玉うどん。以前、四国を旅したときに、私はうどんを食べなかった。これほどの馬鹿がいるだろうかと自分でも思う。乗り鉄なので、鈍行で進める限り先に進むというプランを立て、電車の駅から遠いところへ行くのはことごとく避けていたのだ。そのときの思い出を語れと言われたとき、すぐに思い出せるのが金比羅宮と宇和島しかない。あとはひたすら鈍行電車に乗り続けたということだけだ。金比羅宮では当然石段をのぼりまくった。徹底的に乗り徹底的に歩き徹底的にグルメしないというのが私の旅のやり方だ。(東北を旅したときは、前に書いたかもしれないが、「行きに見かけて帰りもまだ歩いているのを見たから不憫に思って」と車で拾われたことがある。)電車に乗っているときに外の風景を見ること、歩きながら変わっていく景色を見ることが大好きなので、そのほかの「観光」とか「うまいものを食べる」といったことはあまり重要ではなかった。
話はそれたが、食に対する妄想だけが広がるばかりで、食欲は一向に沸かないのであった。
最期の昼食は、釜玉うどんだ、釜玉うどん。以前、四国を旅したときに、私はうどんを食べなかった。これほどの馬鹿がいるだろうかと自分でも思う。乗り鉄なので、鈍行で進める限り先に進むというプランを立て、電車の駅から遠いところへ行くのはことごとく避けていたのだ。そのときの思い出を語れと言われたとき、すぐに思い出せるのが金比羅宮と宇和島しかない。あとはひたすら鈍行電車に乗り続けたということだけだ。金比羅宮では当然石段をのぼりまくった。徹底的に乗り徹底的に歩き徹底的にグルメしないというのが私の旅のやり方だ。(東北を旅したときは、前に書いたかもしれないが、「行きに見かけて帰りもまだ歩いているのを見たから不憫に思って」と車で拾われたことがある。)電車に乗っているときに外の風景を見ること、歩きながら変わっていく景色を見ることが大好きなので、そのほかの「観光」とか「うまいものを食べる」といったことはあまり重要ではなかった。
話はそれたが、食に対する妄想だけが広がるばかりで、食欲は一向に沸かないのであった。