野良人類学徒のページ

野犬化した人類学徒が稀にぼやくブログ

バタバタ

2007-09-28 11:13:11 | Weblog
 昨日からファイルメーカーでデータベースづくりをしているが、実際やってみると「そんな分析枠組みでは、そんなことはわからん」ということがたくさん判明したりして・・・うーむ。

 そうして悩んでいる間に、私の念頭にあった研究会とは別の研究会から声がかかってしまった。なんでも、映像作品を発表できるとか。

 これまでいろんな人に対して作品を公開したけれど、その反応も含めて発表したいな。

呆れる

2007-09-27 20:39:31 | Weblog
 本人も呆れているくらいなので、みなさんも一緒に呆れてください。


Aプリムラ・マラコイデス(白)

Bプリムラ・マラコイデス(赤)

Cクフェア

Dブルー・デイジー

Eコキア

Fユリオプス・デイジー


 今日、苗をそろえるために「9月最後の買い物」をした。今日こそ最後だ。これまで、咲きかけている苗ばかりだったが、今回は「これから(咲くか咲かないかわからない)成長する苗」ばかりである。楽しみだ。

 ところで、園芸ばっかりやっているわけではなく、今日は某研究会で発表する際に使う予定の素材を分析するため、FileMakerを立ち上げている。全部の素材をこれで整理しようとつくったデータベースもあるのだが、時が立てばデータ定義をあれこれ変えたくなる。

 全部いっぺんにやろうと思っても無理なので、とりあえずいくつかめぼしい素材を取り出し、データベースに乗っけることにした。ベースを作るのだけでも一苦労なのだが、こういう作業は嫌いではないので、今週末くらいまでには一応形にしたいものだ。

あれもこれも

2007-09-26 16:38:59 | Weblog
 私の悪いクセは「あれもこれも」である。

 欲張りなのである。

 なんでも一通り自分でやってみたいと思ってやってみて、実際できてしまう(ような錯覚を起こす)。器用貧乏といったところか。

 いやいや、今日の話題はそれではなく、「あれもこれも」。支離滅裂。欲張りだということだ。

 どうも私のコンテナの内容が気に食わないと思っていたのだが、それは、「あれもこれも」だったからだと今気づいた(遅い)。

 最近、人のうちの玄関口などの寄せ植えをよく観察しつつ、人のものは「不統一だからバランスが悪い」と思うのだが、実際私も、不統一なコンテナばかりとなった。



支離滅裂コンテナ


 今日だって、プリムラならプリムラを何株かとか、デージーだったらデージーを何株かにすればよいのに、プリムラとデージーを一株ずつ、それと名前さえ忘れてしまった小花のついたものを一株。バラバラである。

※後で調べたら、小花のついたものは「クフェア」だった。

 コケモモは寄せ植えに向かないと断念し、移動。ユウゼンギクも生き生きしているのに花が咲かないので(蕾はあるのに)移動。ポーチュラカはバサバサ剪定してやった。



移動したコケモモ。ブルーベリー用の酸性の土にする。


 一番元気なのは、どうやらハーブコンテナのようである。ハーブは強い。一時期、ゼラニウムの下の葉が黄色くなっていたが、液肥と植物活性剤で今はピンピンしている。



最近近所に小さなハーブ屋をみつけ、オレガノの苗をゲット。加えた。



 先日、学部時代の友人が遊びにきてくれた。そのときに朝摘みハーブをふんだんに使った料理で振る舞い、大好評。
 その友達が、我が家にこんな高価なものを置いていってくれた。




胡蝶蘭一本立て「リンリン」という品種


 大昔、シンビジウムなら散々家人が育て、株分けし、冬場はジャングル状態になるくらい増えたのだが、胡蝶蘭はうまくいったためしがないとか。

 こんな風に何だか文章も支離滅裂だが、今日は前の家で買ったサボテンを寄せ植えにすることのみを実行するはずだった。



葱坊主みたいなのが去年からあったもの。手前はカランコエ、うさぎみたいなサボテンと多肉植物一点を一緒に寄せた。


 サボテンを寄せ植えるのは実に難儀であった。



 こうして、真夏の炎天下のときから植物を育てはじめたのだが、一番気に入っていたガザニアは既にあの世へ行ってしまった(株だけは残してあるがだめだろう)。
 しかしながら、一方で先日披露した多肉植物の子供たちのように、目に見えて成長してくれる植物もあり。



ホウキグサに花が。実はあの「トンブリ」になる。





気づいたら伸びていたアスパラガス



 「今日で一旦、園芸関係の買い物はやめる」と思ってから何度も買い足している今日この頃だが、9月はこれでやめる。

 10月は、冬から春にむけてのコンテナ、今度こそまとまりのあるものをつくるぞ。

ジョー

2007-09-19 21:36:50 | Weblog
 書け、書くんだ、ジョー。


 ・・・みたいなのが、今日一日の一連の出来事の「結論」です。

研究会というものに出なくなった言い訳。

2007-09-19 09:44:42 | Weblog
 当たり前のことなのだが、研究は一人ではできない。

 多方面の人といろんな機会をつくって、議論して、それを肥やしにして自分の研究を進めることが不可欠だと思う。

 ところが、私はここ数年、というか、フィールドワークに出た2003年以降、全く外交をしなくなってしまった。修士にいたころの方が、よっぽど外交的だった。一度とんでもない企画を立て(その企画は当然のごとく中途でダメになったが)、企画進行中はある先生には「勇敢」だといわれ、別の先生には「蛮勇」とも言われたくらいだった。

 それがほとんど最後の外交だったような気がする。確かにその後、研究大会で2回ほど発表したのだが、特に2回目は私もまあまあの出来だったと自負しているし、反応も悪くはなかったと思うのだが、それを更にアピールするのに懇親会は格好の機会だったのだが(発表は土曜日だったし)、私は一通り関心のある発表が終わったらさっさと家に帰ってしまった。

 そうしていると、周りはどんどん知り合いを増殖させ、研究発表のチャンスを自分で獲得していく一方で、私には学外に全く知り合いができず、論文を書いてコメントをもらおうにも、論文を送りつける相手が思い浮かばず、自分の研究は遅々として進まない、ということになる。

 フィールドに行く2003年まで、私はむしろ大酒のみの部類にいた。飲みまくってつぶれることもあった。酒は好きだった。懇親会の類にはことごとく出席。むしろそちらを楽しみに研究会を出席。

 ところが、そんな私が酒を完全に断つことになる出来事が、2004年の暮れ、フィールドで起きた。なんともまあ、ひ弱な話なのだが。そのとき滞在していたうちの主が、飲酒が原因で肝臓を壊して、重篤な状態にあった。私はそんなことを全く知らずに(招いてくれた子供は事前に教えてくれなかった)行った。クリスマスはみんなで過ごせた。私も家族一人ひとりにささやかなプレゼントを渡したりして、楽しいクリスマスだった。

 しかし、その主へのセーターの贈り物が、ほとんど袖を通されることもなく、一緒に埋葬されることになるとは。その主はクリスマスの2日後の夜、容態が悪化。その家の長男と主の妻と共に、車で1時間くらい揺られ、Iという町の病院に担ぎ込む。病院に到着したとき、両脇を支えられながら、まだその主は歩けていた。

 簡易ベッドに寝かせて、医師を待つ。点滴を打つということで医師が席を外したときだったと思う。私がふとよそ見をした瞬間、奥さんが悲鳴をあげた。振り向くと、口には吐血の痕があり、明らかに生きていない目を開けっぱなしの体が、そこに横たわっていた。

 その後の埋葬に先立ち多くの人が弔問に訪れたが、その家の者が属していた教会の牧師がやってきて「この主は教会に来ずに酒ばかり飲んでいたから、私は葬儀に参加するわけにはいかない」と言った。正式な埋葬の前に教会のメンバーで祈るときが訪れた。このままでは、葬儀で祈ってくれる牧師が不在になる。これは通常あり得ないことだが、例えば自殺によって死んだ人の葬儀では「牧師は挨拶に来ても祈りには来ない」という「非常に悪いこと」が起きてしまう。

 こうした事態に怒り悲しんだその家の子供たちがあまりにかわいそうになったので、聖書を必死に読んで使える部分を見つけ出し、子供たちを慰めると「そうだそうだ、その話を是非教会メンバーの前でやってくれ」ということになり、話した。

 そのこととは無関係だと思うが、埋葬日にはちゃんと別の牧師がやってきて、祈ってくれた。

・・・ダラダラ書いてきたが、こんなような出来事(一家の主が酒が主原因で死ぬ)をその後ふたたび経験してしまった私は、あろうことか「酒を飲むのはいけない」と自動的に刷り込まれてしまい、一切酒を飲まなくなってしまった。

 まあ、要は私がひ弱なだけなのだが、そういうわけで、酒が出る会をことごとく避け、今に至っているということを言い訳に、研究会に出ることもなく、一人悶々としているわけなのです。

 今日の勉強会だって、友達と二人で文献を読み合わせるという、こじんまりとしたものだし。
 

楽しくても蕁麻疹

2007-09-19 02:51:59 | Weblog
 今日の文献を読む会で取り上げる論文を読んでいるのだが、これがなかなかおもしろい。この議論に反駁することで自分の考えも少しはクリアになってきたような。

 そういうわけでおもしろいからいろいろ深く考えるのだが、私の体は、しばしば、深く考えることの副作用に悩まされる。

 蕁麻疹。熱心に何かを考え始めたとき、いつの頃からか、蕁麻疹がわーっと出るようになってしまった。今まさにおもしろさ炸裂状態になったとき、右の太ももと二の腕とに同時に蕁麻疹がわーっと。掻くとおもしろいように広がるので掻くのだが、掻いていたらカラダの右側全体がかゆくなってきた。


 よしよし、じゃあ深く考えるのを一度やめて別のことを考えよう。


 明日のお昼何を食べようかな。
 うどん食べたい。以上。



 ・・・蕁麻疹が終息。ごくろうさん。

久々に

2007-09-12 22:54:01 | Weblog
 例のWSの報告書書きのために、主催者(他分野の院生)と打ち合わせ。

 WSの各回の復習をはじめる。いろいろ新しい発見があって、おもしろい。私自身思いっきり勘違いしたまま議論をしていた回もあり、恥ずかしくも思うが、それはひとえに詰め込みすぎの欲張りなWSで消化不良だったからだと思う。まあ消化は徐々に、でいいだろう。

 今日は久々刺激的だった。このブログを関係者各位が見ていると分かっていて書くのもどうかと思うのだが、最近なんだか人類学の人と話すのがつまんなくなっていたところに、別分野の人と話して新鮮だった。

 人類学の人がつまらないというよりも(むしろ彼らの話の鋭さには常々恐れ入っている)、映像に関して人類学の人と話すのがつまらなかったことを私自身がずっと引きずっていたということだと思う。どうしても「エスノグラフィ」としてフィールドでの映像を見たがり、そのうえ話が「撮影者と被写体の関係(距離)」「リアリティ」といったテーマにすぐ落ちてしまうことに私はずっと不満だった。

 最初は私自身の作品が中途半端だったとも思ったのだが、最近必ずしもそうではないと思い始めている。他分野の人や「素人」のコメントは、私自身が表現したこと(私が綿密に計算したこと)をほとんどそのまま(そうした計算を文字で提示しなくても)受け取ってくれたからである。

 前も書いたように思うのだが「人類学者が撮影する映像、制作する作品はこうあるべき」という期待のまなざしで見たら、どんな作品であれそうとしか見ることができなくなるだろう。

 ・・・まあ、そんなわけで、来週までに報告書を書き上げようという話をしていたのだが、実は締切りが先月だったという連絡が入り、大慌て。

 一両日中にはなんとか・・・ね。

軌道修正

2007-09-08 16:09:28 | Weblog
 先月のミニ勉強会のために考えていたことを一旦リセットして、軌道修正として違う本を読み始める。

 できないことを無理に解決しようとしないで、できないこと自体について一本書けばよい。

 ・・・という風に発想をかえることにした。


 とまあ、現状打開しつつある(?)今日この頃だが、こうして土曜日が来ると、またも園芸店までチャリで走ってしまう。いい加減にしろ。






早めの敬老の日特集。竜胆、撫子、アスパラガス、苔(無料)




 竜胆は背の低い安いものを。撫子も終わりかけていて150円。背の高い葉っぱだけのものを探していたところ、ミニチュアの竹のようだったアスパラガスを発見。今日の団地の草むしり大会で剥がしてきたコケを最後のっけてできあがり。

 ちょっと窮屈そうだから、来年5月あたりに植え替えなくてはいけなくなるかもしれない。

 和の鉢もなかなかよろしい。

 それにしても、今日も暑かった。朝から昼まで3時間も草むしりしていて、途中でめまいが。休憩のときに家に帰ってアイスノンで脇と首を冷やして事なきを得る。