「何買える?」(2024/7/23)
「何買える? 『1日100円』 あったなら… 『食費』になるか? 『家』は買えるか?」-。
きょうもごく普通の多くの人たちが日ごろから疑問に思っていてもなかなか現実味を持って考えることができない「素朴な疑問」について、あえてありがちな物の見方とは少し違った角度から物事を考えてみることにしようと思います。そもそも「寄付」や「支援」は誰に対してどれだけ役に立っているのでしょうか? もちろん「寄付」や「支援」にはそれなりに効果があることは確かです。しかし、そろそろ「寄付」や「支援」などというものに関する「幻想」や「根拠のない強い思い込み」を捨て去る必要があるのではないかと思います。
想像してみてください。今現在の日本では「1日100円」でいったい何が買えるのでしょうか? どんなに少なくとも今現在の日本では「1日100円」ではおにぎりやパンが1個買えるかどうかという金額です。ですからたとえ何日か「1日100円」ずつ貯めたとしてもなかなか1日分の十分な「食費」にはならないのです。また当たり前と言えば当たり前の話ですが、今現在の日本では「1日100円」では「家」が買えるわけがないのです。たとえ気が遠くなるような長期間に渡って「1日100円」ずつ貯金したとしてもなかなか「家」を買うことはできないのだろうと思います。ちなみに「寄付」や「支援」を受ける側の人たちにとっての「1日100円」の価値は今現在の日本の「1日100円」の価値とほぼ同じなのでしょうか? それとも今現在の日本とは「1日100円」の価値が大きく違っているのでしょうか? あえて言い換えるのならば、「1日100円」でいったい何人の人たちを救うことができるのでしょうか? わずか「1日100円」であっても「寄付」や「支援」によって何百人や何千人の命を救うことができるのでしょうか? 少なくとも今の時代には「1日100円」で多くの人たちを救うことができるなどという話はほとんど「幻想」に近いものではないかと思います。多少の誤解と批判を恐れずにあえて言わせてもらうのならば、今の時代の「寄付」や「支援」は自分がこれから食べようと思っているおにぎりやパンを半分にして困っている人たちと分け合うというようなイメージに近くなっているのではないかと思います。くどいようですが、「1日100円」でいったい何が買えるのでしょうか? きょうのところはあえてそのことを指摘した上で強調するだけにとどめることにしておきます。