自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(jchiba)(東京都所属)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「『自由』には…」(2024/7/20)

2024-07-20 00:45:15 | 政治・時事

「『自由』には…」(2024/7/20)

『自由』には 『他者の自由』を 奪い取る 『自由』は含ま れないはずだが…」-

きょうもごく普通の多くの人たちが日ごろから疑問に思っていてもなかなか現実味を持って考えることができない「素朴な疑問」について、あえてありがちな物の見方とは少し違った角度から物事を考えてみることにしようと思います。世の中には実に様々な個性を持った人たちがいます。そうした様々な個性を持った人たちがいる社会を「社会」として維持していくためにはいったい何が必要になるのでしょうか?

そもそも自由で民主的な社会における「自由」とはいったいどのようなことを意味しているのでしょうか? 「自由」は無制限なものなのでしょうか? もちろんそんなことはないのです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、自由で民主的な社会における「自由」は、無制限なものではなく、どんなに少なくとも法律などのルールによって制限されることになるわけです。それに加えて、自由で民主的な社会における「自由」は、「法律などのルール以外のもの」によってもさらに制限されることになるのです。そして「法律などのルール以外のもの」の中で最も重視されるのが「他者の自由」ということになるのだろうと思います。あえて別の言い方をするのならば、自由で民主的な社会における「自由」には、「他者の自由」を奪い取るような「自由」は含まれていないということになるのです。「他者の自由」を奪い取るような「自由」が認められないということは、逆の言い方をすれば、他人が自分自身の「自由」を不当に侵害することも認められないということになるわけです。自分は他人の「自由」を侵害せず、他人も自分の「自由」を侵害しない…。そのことが様々な個性を持った人たちがいる社会を「社会」として維持していくために必要不可欠なものの1つになるのではないかと思います。きょうのところはあえてそのことを指摘するだけにとどめることにしておきます。

(http://www.jchiba.net/)

(http://blog.goo.ne.jp/jchiba_net)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする