「『違い』認めろ!」(2025/4/4)
「誰にでも 得意・不得意 あるものだ! 協力のため 『違い』認めろ!」-。
きょうもごく普通の多くの人たちが日ごろから疑問に思っていてもなかなか現実味を持って考えることができない「素朴な疑問」について、あえてありがちな物の見方とは少し違った角度から物事を考えてみることにしようと思います。最近はいわゆる「ハウツー本」や「トリセツ」などもまともに読んだことがないのに「奇想天外の致命的に誤ったトップダウン」の決定を繰り返す人間たちまで出てきているようです。国際社会の多くの人たちが「ビフじいさんのような人」による「奇想天外の致命的に誤ったトップダウン」の決定から「解放」されるまであとどのくらいの時間が必要なのでしょうか? 地球上には「ビフじいさんのような人」にも読みやすくてよく分かる「ハウツー本」や「トリセツ」が必要だと思っている人たちも急速に増えているような印象を受けますが…。
当たり前と言えば当たり前の話ですが、人間というものは一人ひとり違った個性を持っているものなのです。あえて別の言い方をすれば、いくら一卵性双生児などとして生まれてきたとしても、世の中には自分と全く同じ人間は自分以外には存在しないのです。人間は一人ひとり違った個性を持っている…。そのように考えるのならば、どこの誰にでも得意・不得意というものがあるのではないかということに気づくことになると思います。たとえどれだけ能力の高い人であったとしても、ある特定分野に限定すればその人よりもずっと能力の高い人が地球上のどこかにはいるのではないかと考えられるのです。あえて言い換えれば、広い世の中のどこかには自分が不得意なことを得意にしている人たちが存在するし、逆に、広い世の中のどこかには自分が得意なことが不得意な人たちがきっと存在すると考えることができるのです。もしも多くの人たちが「自分が得意なこと」を誰かの代わりにやってあげると、誰かが代わりに「自分が不得意なこと」をやってくれるような形で協力することができるのならば、多くの人たちは苦労することが減って、それだけでもそれぞれの人たちの生活が豊かになるのです。多少の誤解を恐れずに単純化して言えば、「自由貿易」というものは、それぞれの国では簡単に手に入るモノやサービスを交換して互いに豊かになろうとする「しくみ」、それぞれ違った個性を持った人たちが国の単位で協力して豊かになろうとする「しくみ」と考えることができるのです。ですから、「ある国」と「別のある国」の間の「ある特定の分野」だけを取り上げて「不公平」などと言い出して一方的に関税を引き上げるなどというのはあまりにもバカげた話なのです。関税を引き上げれば輸入量が減少しても価格が上昇しても最終的には「消費者」から利益を奪い取るということになるのです。そもそも「不公平」かどうかということはもっとずっと大きなレベルで判断しなければならない話なのです。互いに協力して豊かになるためには安易に「不公平」などと決めつけずに「違い」を認める必要があるのです。繰り返しになりますが、そう遠くないうちに「HOW TO MAKE AMERICA GREAT AGAIN」などと書かれた分かりやすい「ハウツー本」などを探し求める動きが地球上のあちこちで活発になってくるのではないかと思いますが…。きょうのところはあえてこれ以上のことは言わないことにしておきます。