「激変すれば…」(2024/7/1)
「一時の 感情だとか 熱情で 選挙結果が 激変すれば…」-。
きょうもごく普通の多くの人たちが日ごろから疑問に思っていてもなかなか現実味を持って考えることができない「素朴な疑問」について、あえてありがちな物の見方とは少し違った角度から物事を考えてみることにしようと思います。繰り返しになりますが(→参考:2024/6/20付etc.)、「民主主義」では「選挙」は必要不可欠なものとされています。しかし、本当に今現在の制度のような「選挙」が「民主主義」には必要不可欠なのでしょうか? もしかすると実は今現在の制度のような「選挙」が「民主主義」を低迷させたり腐敗させたりしている原因になっているのではないでしょうか?
最近は地球上のいくつかの民主主義国家で「投票日」や「選挙期間」という非常に短い期間内のたった1回の投票によって「当選者」を決めてしまう選挙制度の「弊害」が次々と現れているようです。もしも選挙制度のために「選挙」が「民主主義」を低迷させたり腐敗させたりしているのならば、言うまでもなく選挙制度を改革する必要があります。しかし、具体的に選挙制度のどこをどのように改革するべきなのかということを正しく判断するのはなかなか難しいことなのです。今現在の選挙制度は、多かれ少なかれ、「有権者」の「一時の感情」や「熱情」によって選挙結果が劇的に変化してしまうものになっています。もしも「有権者」の「一時の感情」や「熱情」によって選挙結果が劇的に変化してしまうことによって「弊害」の方が大きくなるのならば、「有権者」の「一時の感情」や「熱情」に左右されにくい選挙制度に改革することが1つの方向性にはなるのだろうと思います。もっとも具体的に選挙制度のどこをどのように改革すれば「有権者」の「一時の感情」や「熱情」に左右されにくい選挙制度になるのかについては様々な考え方があるのだろうとは思いますが…。きょうのところはあえてそのことを指摘するだけにとどめることにしておきます。