今神といっしょに幸せでいること、神が愛したように愛し、神が手助けなさるように手助けし、
神が与えるように与え、神が仕えるように仕え、神が救うように救い、
四六時中いっしょにいて、苦しむ人の姿をとっておられる神に手を触れることです。
マザーテレサ

神と今すぐいっしょに天国にいることができます。
今神といっしょに幸せでいること、神が愛したように愛し、神が手助けなさるように手助けし、神が与えるように与え、神が仕えるように仕え、神が救うように救い、
四六時中いっしょにいて、苦しむ人の姿をとっておられる神に手を触れることです。
マザーテレサ
11/9は母が天に帰った3回目の記念日でした。朝から母の夢を見ました。
メモリアル礼拝を神さまにお捧げしました。
熊本の母は妹が肝臓がん末期宣告を受けた時、父と一緒に関西に住む叔母のお見舞いに来ました。その帰りに我が家に一泊してくれました。愛する両親と我が家で過ごす時間はとても貴重で感謝でいっぱいでした。母は嬉しそうに、「あなたから聞いていた神さまのことをT(妹)に話してきたよ」と言いました。
叔母が肝臓がん末期宣告を受けた時、母から叔母のところに祈りに行ってと電話がありました。
「どんなに拝んでも自分たちが信じてる仏さんや神さんは動いてくれない。あなたの神さまは動いてくれるから」
母はそんなことを言いました。わたしは京都にいる妹と一緒に大津まで、叔母の御見舞に行きました。
集中治療室に入っていた叔母は肌も黄疸が出ており、真っ黒になっていて、危険な状態であることがわかりました。横にいる叔父は悲しい顔をしていました。
わたしは叔母に手を置いて祈りました。
そして、『何かあったら「イエス様、助けて」と言ってね』と伝えて帰りました。
叔母はそれからずっと、食前に手を合わせて神さまに感謝の祈りをするようになりました。
叔母はいやされて退院しました。それから10年ほど生かされていました。わたしの父が天に帰った年と同じ2014年2/14のバレンターンデーに天に帰りました。
両親が叔母と最期の面会だと思って関西に出てきたのは、1997年1月の寒い日でした。
愛する両親が目の前にいるのに、わたしは神様のお話をすることが憚られました。
両親が気持ちよく過ごせたら良いし、信仰のことでトラブルを起こしたくない思いでした。父は長年、先祖供養の仏教をしていました。母は父に従っていました。
そんな二人の顔を見ていると、言いたいけど言えない。
「わたしは二人の娘でよかった。二人にとても感謝しています。」それだけしか言えませんでした。両親はとても喜んでくれました。
その夜、両親にはいつも礼拝しているリビングに寝てもらいました。
わたしは隣のわたしの部屋から、二人が寝ている部屋に向かって、壁に手を置いて祈りました。せっかく二人が来ているのに何も話せなかったことを神さまに謝りながら祈りました。
翌朝起きると、母はすでに起きていました。そして、開口一番、わたしが起きてくるのを待っていたかのように、「祈り方を教えて」と言いました。
母は30年以上前に、田舎で道路工事中に起きたブルトーザーの操作ミスで生き埋め事故に遭って長期入院をしました。わたしの友人の父も含めて、数名の方が生き埋めで亡くなられました。母は奇跡的に助けられました。けれど、輸血の影響で体調はよくありませんでした。様々な拒絶反応も起こり、薬とのおつきあいが続いていました。
そんな母がキラキラ輝く笑顔でわたしの前に立っていました。
「今朝起きたら、いやされていたの。持ってきた薬はもういらなくなったから、全部ゴミ箱に捨てたよ」と言うのです。母の言葉に、わたしは驚いてしまいました。
「わあ~すごい!お母さん、わたしはこの部屋で、いつもイエスさまを礼拝しているんだよ。」わたしがそう言うと、母は嬉しそうな輝く笑顔をしました。そして、また、「早く祈り方を教えて」と言いました。母は神さまに感謝したくてたまらなかったのです。
わたしは、「イエスさまとか、神さま、とか、天のお父様とか呼びかけて自分の祈りをサンドイッチにして、最後に、イエス様のお名前で祈ります。アーメンと言えばいいんだよ」と言いました。すると母は、
「そんなに簡単でいいの?」と言って喜びました。
日蓮宗の先祖供養として、父と一緒に毎日お経巻をあげていた母にとって、神さまはどこまでもシンプルでお優しい存在を知ったのです。母は「ついでに目も悪いから祈って」と言いました。
わたしは母に手を置いて祈りました。その後、イエス様を信じるお祈りを一緒にしてもらいました。嬉しそうにワクワクしている母に洗礼を勧めると、母は喜んで受けてくれました。朝の光が母を優しく包み込んで美しい洗礼の時となりました。神さまの時に深く感謝しました。
その時、洗面所から戻ってきた父が、「何をしているんだ?」と言いました。
わたしと娘は危機感を感じました。イエス様、どうか父の雷が落ちませんように・・・。瞬間に祈りました。
すると、今まで父に服従していた母が、なんと、父にも洗礼を勧めたのです。
父は「せっかくだから」と言って洗礼を受けました。
この奇跡は天からきたものでした。
聖霊によらなければ、だれも、「イエスは主です。」ということはできません。
(1コリント12:3)
父と一緒に信仰告白をして洗礼を授けると、父は静かに目を閉じて祈られていました。洗礼が終わるとすぐ、父は玄関に行って泣いていました。やがて戻って来ると、窓の外に降る雪を見て
「雪はすべてのものを真っ白にしてくれるなあ」と言いました。
わたしは、イザヤ書1:18の言葉を思いました。
”たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなり、
たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる”
嬉しいうれしい奇跡でした。
やがて雪で飛ばなかった飛行機が飛ぶようになって、両親は熊本へ帰っていきました。
母は家に着いてからすぐに電話をしてきて、「もう仏壇の前に座れなくなった。」
と言いました。
母は賛美が大好きになってくれました。
わたしたちが家に帰った時には、母と一緒に賛美をしました。
父もそんな母をあたたかく見守るようになりました。
母は病気をしたこともない健康な人でした。
そんな母が、5年ほど前のお正月の2日に、町内のお葬式に出かけて行きました。
その帰りがあまりにも遅かったので、父は探しに出かけました。
町内でも人を動員して探したそうです。
長時間かかって発見された母は、裏山の畑の中で足を痛めて動けなくなっていました。
大人の男性が3人で抱えても抱えきれない重さだったと聞きました。
母はすぐに救急病院へ運ばれましたが、お正月で担当医がいないという理由で帰されたと聞きました。
数日後、母はやっと入院できましたが、悪化していて長期入院を繰り返すことになりました。
父が天に帰った時、母は少し記憶が薄れていました。それでも、父の棺の横でじっと愛する人を見つめていました。
それから2年後、母の様態がよくないから祈ってと兄から電話がありました。
日曜日でしたので、芦屋に礼拝に行って祈っていました。
お昼過ぎに、兄から回復したとの連絡がありました。
神さまに感謝してホッとしていましたが、その夜、母は天に帰りました。
元気だったのに・・・。兄もそう言いました。信じられない思いで熊本に直行しました。
母は安らかな顔で眠っていました。母の頬には虫に刺されたような大きな傷跡がありました。誰もその傷を問わないのが不思議でした。
母に静かに手を置いて祈りました。お化粧をしてあげると、母は嬉しそうでした。
母はもう神さまといっしょ。大好きなイエスさまの御手の中にいる。永遠のいのちの世界に帰ったのでした。地上での働きをありがとう、お疲れ様でした。いつも笑顔で優しくて、父を愛し尊敬していた母。父に服従していた人生でした。けれど、そんな母がたった一度だけ、自分から父に洗礼を勧めてくれました。父の救いのために、服従してきた人生から、神に生かされる一人の人間として生まれ変わったのだと思います。
信仰とはほんとうに神さまから与えられているもの。人をより美しく輝かせるものなのだと思いました。
「天国ってどんなところなんだろうね?」生前、母と会話をした時、「行ったことがないからわからないよ。」母は笑いながら言っていました。
その天国にいる母は、父と一緒に礼拝に来るようになりました。
愛猫Rubyも母に抱っこされて一緒に賛美している姿を見ました。
いま、天国で愛する父や両親たち、新米のRubyも交えて神さまのお働きをしているのでしょう。
死の中にも、生きている生命にも、神さまが一緒にいてくださる。
永遠のいのちとは、キリストを信じ、救われたものに与えられる神さまからの約束です。
見えない空間にも、すべての世界に神さまの愛が満ちています。
母が笑顔で神さまを賛美していると信じられる世界。
救われた年のクリスマスイブに、母からの電話で、
「あなたを産んでてよかったって父さんと感謝しているよ」と言われました。
親不孝ばかりしてきたわたしが親孝行できたのかなと思えて、主に出会えて良かったと、心から感謝しました。
すべてのことが、相働きて益となる。ローマ8章のみ言葉が成就しました。
ただただ、キリスト・イエス様に感謝しかありません。


