7月22日(火曜日)
四国地方は、連日30度~35度を超える猛暑日が続いています。
夜になっても、気温があまり下がらず眠れない熱帯夜が続いています。
私自身も寝不足の日々が続いています。
今朝も寝不足を感じながらも、朝の5時過ぎから里山まで散歩に出かけました。
里山の山頂に到着した時は、暑さのため汗で衣類が濡れていました。
それでも、今朝も5名の者が散歩に来られていました。
今朝は、瀬戸内海の島々までがはっきりと見えました。
こんな日の午後は・35度を超える猛暑日になりそうです。
しばらく山頂で・雑談をして過ごします。
1980円の備蓄米の話・物価高騰の話題・選挙の結果について・・等々
各自が好き勝手に言い合ってストレスを解消します。
●暑いからと言って家で朝寝して過ごすよりも、
暑くても里山へ来るほうが、みんな元気がでるみたぃですね。
お互いに「また、明日もお会いしましょう!」と言って下山します。
●これより以下は>>>鳥取県にある「伯耆大山の別山バットレス」の画像と
記事になります。
猛暑の続く7月に・雪降る寒い冬の「大山の画像」をご覧になって下さい・
画像は、YouTubeでお借りしています。
伯耆大山は中国地方の最高峰で、標高1729mの山です。
2.000mに満たない山ですが・・・
全国各地から「登山愛好家」が訪れる魅力的な山ですね。
四国の「石鎚山」は、標高1982mで「鳥取大山」よりも少し高い山なのでが・
四国には、あまり雪が降らないので・毎年、冬になると私たちも「鳥取大山」へ
出かけていました。
●画像は、「鳥取大山の別山バットレス」と言う雪の岩壁を登るコースです。
夜の6時頃からフェリー船に乗って岡山まで行き・後は夜中に車を走らせて
翌朝の4時頃に「鳥取大山」に着いて、6時頃には、「別山バットレス」の
岩壁に取りつきます。
画像の後方に見える細い尾根が、登山用語で言う「ナイフリッヂ」ですね。
つまり、ナイフの刃のように鋭く切り立った尾根を歩きます。
尾根の左右とも、雪で覆われた深い谷になっています。
踏み出す足を一歩間違えば・・・命取りになる>>>危険を伴うコースですね。
冬の大山バットレスで二人だけとり残されてしまった私とS子。。。。
私が20代後半? 彼女は20代前半だったと思います。
私は、いつも軟弱で優柔不断・・・S子はいつも前向きで活発な女性でした。
いつも意見は対立していましたが・何故かー? お互いに「気が合って」いました。
いわゆる。。。。。気の合う「ザイル・パートーナ」でした。
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別山バッドレスの核心部分である「ナイフリッヂ」で彼女の前を歩く私の足が、
突然止りました。
私と彼女は、お互いに一本のザイルで結ばれています。
私が谷に滑落すると・彼女も共に死んでしまうかも知れません。
それだけではない・・・遺体すら、春の雪解けまで収容出来ないー・
色々な思いが・私の心の中で交錯していました。
ナイフリッヂが・・・私はマジで怖かったのです。
冬の大山バットレスで・・・
その時、私が発した「言葉」を老いた今でも鮮明に覚えています(笑)
「俺には妻子がいる、今、お前とここで心中することは出来ん」。
彼女曰く「私が先に登ります」・・・と。
その後>>>軟弱な私は・全て彼女に任せることに同意して・・・
その後は彼女が先に登り・彼女が登ったルートを私は後方から追って登りました。
若い彼女の「実力・体力・気力」は・私よりも上でしたね(笑)。
あの日・あの時~約40年が経過しました。
彼女も、今は、孫がいる年齢になっていると思います。
●この時に参加していたメンバーを中心に翌年は「ヒマルチュリ」7800mへの
遠征登山隊が計画され出かけましたが・2人が帰らない人となりました。
☆自然を相手にする登山には「身を守るルール」がないと私は思っています。
私はフルマラソンも走っていましたが・健全なスポーツには「身を守るルール」が
必ず約束されています。
どんなスポーツ競技であっても、死に至る行為はルール違反として罪になります。
●冬山であれ・里山歩きであれ・登山は自然が相手なので・登山途中で死に至る
事故に遭遇しても・山は許してくれません。