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スマホと過ごす余生

夏向きの不思議な話

以前より、数年に一度くらいの間隔で不思議な出来事に遭遇しているのですが、先日ふたたび奇妙な体験をしました。
ご存知かもしれませんが、最近わが街で硫化水素による県外者の自殺がありました。
それは私が偶に利用している国道のパーキングでありました。
私はその日、所用でその国道を利用し、用事をすませての帰り道、そのパーキングの前を通りかかったのです。
坂道でアクセルをふかしたとき、なんともいえない、それは私とは全く別の意思のようなものが、スッと入ってきました。
全く白紙のような気持ちが突然、私の胸のうちに入りこんだのを感じました。
なんだろう?
私はその日の午後もスケジュールが立て込んでいて、時間に追われていましたが、なんとなく気掛かりになり、すぐそこのパーキングに車を停めました。
前の日に車のタイヤを交換したので、このタイヤの調子がおかしいのかしら・・・と思いタイヤを見て回りました。
(でも、そのとき自分でもタイヤに原因があるとは最初から信じてもいませんでした。)
私の前には県外ナンバーの車が停まっていて、中の人が寝ているのに、あまり大きな音を立ててはいけないと思い、静かに作業をしました。
別に異変もありません。
私はそのまま停めてある車の横を通り、帰路につくためにアクセルをふかしました。
通り過ぎるとき、車の中に目をやりました。
顔は見えませんでしたが、寝入っているという感じでした。
私は、この人は自由きままに旅をしていて、疲れ果てて寝ているのだと思いました。
忙しい自分と照らし合わせ、なんとも自由でうらやましいと感じました。
自分もいつかきままに、こんな風に旅が出来たらと思いました。
ただ、そのとき私は車の窓を全開にしていて、今日は暑いのになんで窓を閉め切っているのだろうかと少し不思議に思いました。
よほど疲れて眠っているんだろうな、その程度にしか思いませんでした。
車の窓枠には何かが張ってあり、私は車の窓を自分で修理しているのかな、と思いました。
私はさらにアクセルを吹かし、国道の本線に入り、スピードをあげてその場をあとにしました。
翌日の午後、そこで硫化水素自殺が行われていることが発見され、その夜はTVニュースなどで仔細が伝えられました。
よく死者が呼ぶというようなことを耳にしていましたが、私も呼ばれたのだと確信します。

ただ正確にいうと呼ばれたというより、
繰り返しますが、スッと私の中に何か私とははっきり違う意思みたいなものが入ってきたという感じでした。
それは言葉のような表現形態ではありません。
そのとき、私は忙しくて現実的な言語による思考回路に支配されていたため、彼の意思に応えることは出来ませんでした。
彼は、私に自分が死んでいることを伝えようとしたのだと思います。
言葉とは違う形で、私はメッセージを受け取ったという感覚が今でもしっかりと残っています。
その感覚を思い起すと、寒気がして困りました。
しかし、たとえ死んでも魂のようなものが確実にあるのだということを体感できた・・・そのことは私に大きな安堵のようなものをもたらしました。
やっぱりMさん。
死んですべておしまいってことは、どうもないみたいですね、
やはり。
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