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「鍵屋」と「玉屋」

2005年07月08日 | 2006年までの記事
こんにちは、花火blog編集部員(A型)です。

昨日の七夕はいかがでしたか?
どうやらではなく、稲妻が全国各地で見られたようですね

花火カレンダーを見てみますと、オヤオヤ、どうやら本番は
来週末からのようです。

ならば、話題をちょっと変えますね。
花火大会といえば、現代花火を盛り上げた事で超有名な
「玉屋」「鍵屋」 なんですが、実は
「玉屋」のルーツは「鍵屋」さんだったりします。

「玉屋」は「鍵屋」の番頭さんが、鍵屋の社長「鍵屋弥兵衛」さん
に暖簾分けしてしていただき、開いたんです。

「玉屋」は玉屋市郎兵衛と名乗ったようですね。
まぁ、襲名、改名が盛んな時代でしたので、本名が何かは、わかりません。

では、ちょっと興味があって「玉屋」「鍵屋」をiタウンページ検索で調べてみました。

「玉屋」

「鍵屋」

ふむふむ、ずいぶん意味深な検索結果ですね。

この「玉屋」と「鍵屋」の競演は、両国の川開き(現在の隅田川花火大会)の時代で
終焉しています。
この「玉屋」さん、出た当時は人気絶大だったようで、今に伝わる掛け声
「たーまやー!」という物がありますよね。
(自分はサザエさんで覚えた掛け声ですが)
江戸の唄にも、
「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情けなし」
というのがあるそうです。

この玉屋さん、花火といえば「玉屋」と「鍵屋」と言われるほど人気絶頂の時に、
江戸の町で大火事を起こしてしまうんです。
(天保14年[1843年]4月17日、玉屋は失火によって全焼、町並を半丁ほども類焼)

「火事と喧嘩は江戸の華」、「宵越しの金は持たねいぜい」という江戸を象徴するような
言葉がありますが、江戸っ子の思考としては、「どうせ働いて、貯金して家を建てたって、
火事で無くなってしまうんじゃ意味が無いから、チマチマ貯金するよりも、格安の長屋に
住んで、今を思う存分楽しもう。。。。」って考えが蔓延して、博打・賭博・プータロー
だらけで、まともに働く人が少なかった。もちろん治安も悪化、だから喧嘩も多い。

全ての元凶は火事の多さにあるという事で、当時火事は大罪だったのです。

しかも将軍家慶が日光へ参拝に出かける前日の大火事であったため、
「玉屋」さんは江戸から追放されてしまったのですね。
という事で鍵屋・玉屋の競演の時代は、32年間で閉幕したわけです。

今、その名前が残っているのには、いろいろと訳があるのですが、
それはまた次回という事で。
コメント
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